第18話

 一人で立って歩いていくなど無理な話で、案の定、二歩ほど進んで崩れ落ちそうになりクラウドが後ろから支える。

「無理をするな」

「どうしても、あの子に会いたいんだ。隔離室へ行く」

「どうしてもって、何かあるのか?」

「聞きたい事があるんだ。頼む、クラウド」

 クラウドの目を一直線に見つめて白虎は頼みクラウドはため息を一つ吐き出して、所長の方を向いた。

「所長、白虎は言い出したら聞きませんよ。勝手に会われるよりましでは?」

「全く、クラウドまで味方につけられては仕様がないな。ただし、白虎が部屋に入ったら、扉は閉めさせて貰うし、話の様子はモニターするぞ。もし何か変化があるようなら容赦なく攻撃するからな」

「すみません。ありがとうございます」

 呆れる所長に礼をすると、クラウドに支えられながら、白虎は一言も発することなく拘束室へ向かう。拘束室の前に付いた時、白虎はクラウドの手を離れた。

「白虎、俺も入るぞ」

「いや、いい、私一人で行く。所長ともそう約束したし、何より私が一人で行きたいんだ」

「わかった。ここで待っているよ」

 納得したわけではないが、白虎が言い出したら聞かないことは誰よりも知っているクラウドだったので、拘束室の重い扉を開けることを手伝い廊下で中に入っていく白虎を閉まっていく扉で見えなくなるまで見送る。

 全身に電気が走るようにわたっていく痛みに耐えながら中に入った白虎は、むき出しのコンクリートの小さな部屋の角に壁に向かって立っている少女が居るのを確認した。白虎が振り返ると部屋の入り口の上のカメラが動いているのが見える。

 白虎が拘束室に入った頃、同じようにモニター室に所長が入っていっていた。

「音声をヘッドホンに回せ、あと、すまないが、他の者は外で待機していてくれ」

 所長は人払いをし、自分一人で部屋の中の様子を見守る。白虎が自分の傷を押してまで会いたがるのだから何かあるに違いないと思っていた。しかし、どのような内容か分からない今、無駄な混乱をさける為、他の所員に白虎と少女との会話、行動を見せるわけには行かないと考えたのである。所長は人払いをしたモニター室でど真ん中を陣取って映し出される様子を見守った。

 白虎は動く数台のカメラを見つめながら拘束室の鍵を内側から閉めて、扉に背をもたれかけたままズルズルと座り込む。流石の白虎でも、全身を駆け巡る激痛には勝てない。尻を床についた衝撃が下から頭の先に突き抜けた。小さな衝撃だったが、背中に痛みが走り白虎は思わず「うっ」と声を漏らしてしまった。

「今、動いたな」

 モニターを見ていた所長は、白虎が声を漏らしたと同時に、壁を見つめていた少女が頭を動かし白虎の声の方に耳を向けるように小さく動いたのに気付く。

 完全に床に腰を下ろして背中を扉に預け、上を向いた白虎は大きく息を吐いた。その息の音を聞いて、少女は再びゆっくりと頭を白虎の方へ傾ける。

「やはり、白虎に反応して動いているのか。しかし、何故だ?」

 所長は少女の反応にモニターを食い入るように見ながら、思わず呟いていた。

 白虎は顔をあげて、少し頭を傾けた少女の後姿を見つめる。全裸だった少女には、少し大きめの白いシャツが着せられており、サイズの合っていないぶかぶかのシャツの裾は少女の太ももまできていた。どうやら着ているのはシャツだけでパンツを穿かせてはいないようだった。

(男物のLサイズのシャツじゃないか。しょうがないか、このBOBに子供物など置いて無いだろうし、女物もBOBには少ないからな)

 暫く少女を眺めていたが、少女は少し頭を傾けただけで、その後は微動だにせず、壁の傍で立ち尽くしているだけ。

「壁に何か面白い物でもあるのか?」

 白虎が少女に向かって語りかけると、少女はゆっくりと白虎の方へ体の向きを変える。

「やはり、白虎の言葉に反応している。誰が語りかけても何をしても何の反応もしなかったというのに」

 モニターを見ていた所長はただ驚いていた。

 ゆっくりと振り向いてきている少女に、白虎は更に語りかける。

「シャツが大きすぎるな。寒くは無いか? 寒かったらすぐに所長に言って子供服を用意させる」

「白虎め。それじゃどちらが上司かわからん」

 白虎の少々偉そうな物言いに呆れたように言った所長だったが、白虎が語ることで少女は白虎と向き合い、顔を白虎の方へ向けるのを観察していた。

 声に反応しているものの、少女の表情に変化はなく、BOBに来た時と同じくまるで、瞳孔が開いているかのように視点の定まっていない瞳で白虎を見つめている。

「私の名前は白虎という。お前名前は?」

 問いかけに答える事無く少女は黙ったまま。

「話せないのか? 声は聞こえているよな。こっちに来てくれないか? 本当なら私が行けばいいんだが、少々傷だらけでここから先に動けないんだ」

 白虎がそう言うと、少女は静かにゆっくりと白虎の方へ歩き出した。とても静かに、足音すら立てずに歩く、その足はとても細くしなやか。少女の肌は透き通るほどに青白く、漆黒の髪の毛がそれをさらに際立たせている。

 少女は白虎の横まで来ると白虎の方を向いたまま、足を折り曲げフワッとうずくまるように座った。白虎が少女の頬を両手で優しく撫でると、少女は一瞬こわばる。

「大丈夫。何もしない」

 声をかけると少女は顔を上げ、白虎を見つめた。小さくなっていた瞳孔径がゆっくりと大きくなり少女の右手がスッと延びて、白虎の左頬を撫でる。そのまま、少女の手は白虎の耳から前髪に、最後に白虎の長い銀色の髪を握り締めた。

「銀髪が珍しいか? 昔はお前と一緒で真っ黒だったんだよ」

 優しく白虎が少女の頭をなでると、少女が呟く。

「銀、狼……」

 少女の呟きに白虎ははっとし、少女の肩を掴んで視線を少女の瞳に向けた。

「お前今、私のことを銀狼と言ったのか?」

 白虎が少し声を大きくして聞いたが、少女はそれ以降しゃべることなく、再び瞳孔径が小さくなって体の力を抜き、白虎に体を預けるようにうずくまった。

「お前。いや、いつまでもお前では駄目だな。名前は言えるか?」

 少女は喋れないわけではないようだが、白虎の問いかけに答えず、ずるずるともたれかかってくる。

「言いたくないのか? それとも、名前が無いのか? かといって、名前が無いままと言うのは不便だな。そうだ、今から言う中から気に入ったものを選べばいい」

 白虎は少女の体を自分の膝の上に乗せ、見上げてくる顔の目の前に指を立て、目を見ながら一つずつ白虎が今考えた名前を言っていく。

「宝珠、朱雀……、黒龍」

 白虎が黒龍と言ったとき、少女の目がゆらいだ。それを見た白虎は、もう一度少女に向かって言う。

「黒龍」

「こく……、りゅう」

「そうか、黒龍が気に入ったのか。じゃぁ、これから、お前は黒龍だ」

「こくりゅう……、ぎんろう」

 黒龍と命名されたことに少女の目に少しだが光が戻ったようだった。だが、すぐに何も見ていないかのような瞳をする。

(なんだろう、この子は生まれたての何も知らない、まるで真っ白なキャンバスのようだ)

 膝の上で安心して丸まっている猫のように体を預けて、匂いを擦り付けてくる少女の様子に白虎がそう思ったとき、拘束室に所長の声が響いた。

「白虎、どうやら、その子はお前の言う事なら聞くようだ。というより今の所、その子はお前にしか興味がないようだ。どうせ白虎はこれから一週間の休みをやる事になっている。お前の管理下に置くのであればその部屋から出すのを許可しよう」

「いいんですか?」

「あぁ、とりあえずは。万一、何かあった場合はお前の意見を聞くことなく処理するからそのつもりで居ろ」

「……了解」

 所長の言葉を聞き終わると、白虎は黒龍を膝からおろし背中を扉につけたまま、床に手をついて立ち上がろうとする。しかし、回復などしていない体は正直にその痛みを白虎に伝え、白虎は背中の痛みに思わず膝から崩れるように床に倒れこみそうになった。しかし黒龍がすばやく白虎を支え倒れずに済む。黒龍は白虎の腰辺りまでの身長で、全体的に痩せた細い体つきだったにもかかわらず、白虎を支えた力は強く、軽々と支えているといった感じ。少々驚いたが、自分もまた同じように体に見合わない力を持っていることもあり、そういうものなのかもしれないと白虎は妙な納得をしていた。

「ありがとう。黒龍」

「ありがとう……、こくりゅう」

 黒龍は白虎の言うことを繰り返して、白虎を支え続けていた。

 自分の言葉を繰り返して呟く黒龍に言葉を知らないのでは? と白虎は黒龍の横顔を見つめ扉の鍵を開ける。扉は入る時と違って引き戸になっているので、体の重さで押し開く事は出来ない。苦労して、扉を引こうとしていると、廊下側から扉が押されゆっくりと開いた。

「白虎、大丈夫か?」

 開いたドアからクラウドが顔をだし、すかさず白虎を抱きかかえるように支えた。クラウドが白虎を支えると、黒龍は手を離し一歩後ずさる。おびえるように室内に戻ろうとする黒龍に白虎は笑顔をむけた。

「黒龍、大丈夫だ。クラウドは私の友達で優しくて良い奴だから安心しろ」

 白虎はクラウドの肩に手を回し、体を黒龍の方へ向けて、あいている片手を黒龍に伸ばす。

「だいじょうぶ?……くらうど、ともだち」

「そう、クラウドは友達だ。なぁ、クラウド?」

「え? あぁ、友達だ」

 肩に回している白虎の手に頭をつつかれ、促されたクラウドがあわてて話を合わせるかのように言うと、黒龍は「くらうど…ともだち」と呟きながら、伸ばされた白虎の手に自分の手を乗せた。小さな黒龍の手を握ると白虎は、クラウドに自分の部屋まで連れて行ってくれるように頼む。

 クラウドは医務室に戻るようにすすめたが、白虎は頑として言う事を聞かなかったので、仕方がないと諦め白虎を自室まで運んだ。白虎を自室に運んだ後、クラウドは医務室に行ってくるとその場を去る。

 狭い自室のベッドの上に黒龍を座らせ、その隣に白虎も腰をかけた。黒龍は白虎が横に座ると、白虎の腕に頭をもたげ、手を白虎の太ももに置く。全てを白虎に預けるようにもたれかかる黒龍に白虎は何も言わず、ただ優しく頭を撫でていた。

 扉をノックする音が聞こえると、黒龍はびくりと体の筋肉を収縮させ痛いほどに白虎にしがみつく。白虎は痛さを堪えて笑顔を黒龍にむけ、手を優しく撫でると、扉に向かって声をかけた。

「開いている。入っていいぞ」

 開いた扉から清風とクラウドが顔を出し、クラウドは自室に入ると白虎の頭に袋を乗せる。

「何だ? これは」

「薬だ、医者が泣いていたぞ。言う事きいてくれないってな」

「いつもの事だ」

「ま、そうですね。白虎にとってはいつものことですよ。それに、白虎の回復力は人間業じゃないですし、医者の薬なんていらないって思っているのでしょ?」

「本当に必要な時はちゃんと言うことを聞く。清風こそ医者が、自分勝手に検査して医務室にあるものを我が物顔で使うって泣いていたぞ」

「失礼ですね。ちゃんと断って使っていますよ。了解の返事は頂いていませんけど」

「全く、チーム白虎はリーダーがリーダーなら隊員も隊員だな」

 ため息混じりに楽しげに笑ったクラウド。白虎はなんだか面白くないと思いながら頭に置かれた薬をベッドに置きクラウドと話し始めた。その横で、黒龍はベッドの上を四つんばいになりながら薬の入った袋のあるところまで行き、袋を逆さにして薬を出す。薬がベッドに散乱し驚いた白虎が黒龍を見て聞いた。

「黒龍、何をやっているんだ」

「くすり……。えんじゃるうぃんぐすはげーとをひらく」

「何だ、エンジェルウィングス? 天使の翼とはどういう意味だ」

 首をかしげる白虎の傍で清風は驚きの表情を見せて思わず叫ぶ。

「何故それを。白虎、この子はどうしてその名前を知っているのです?」

 突然の清風の声に驚いた黒龍は身を縮め、身体を細かく揺らして震えだした。しかし清風は黒龍の様子を気にすることなく黒龍の肩をつかんで「今言った名前をどこで知ったのです」と質問攻めにする。

 清風の様子に白虎がそれを止めようとした瞬間、暗く奥底から湧き上がってくるような殺気を感じ、殺気の出所、清風の向こう側を見て白虎は瞳を見開いた。うつむいて震えている黒龍の眼に妙な光が生まれ、口角が上がっていき、なんだか薄ら笑いを浮かべているように見えたからだ。白虎は清風の手を反射的に払い、黒龍の目の前に座り込む。黒龍の両頬に手を置き、強制的に顔を上げさせ自分と同じ目線にした。

「黒龍。大丈夫だ。敵はいない。彼は敵ではない」

 白虎は思わず口走った自分の言葉の「敵」という単語に自問自答する。敵とはいったい何のことなのか、自分は何を口走ってしまっているのか。分からないままに黒龍に言いきかせた。

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