第15話

 暫くその家の前で佇んでいた白虎だったが、家を見れば見るほど他者には入るなと警告を促して、自身には入って来いと言っているように想えてくる。

 白虎は鎖のついた門扉に近づき、高さを見た。門扉の一番上の部分は白虎の頭の辺りの位置にある。普通の人であればよじ登りかなりの腕力が無ければ無理な高さだが、白虎にとってこの程度の高さは楽に乗り越える事の出来る高さ。しかも他の場所には侵入を防ぐ有刺鉄線がめぐらされているのにこの場所にはない。

(誘っているのか?)

 白虎は膝を曲げると勢い良く地面を蹴って飛び上がり、門扉に右手の指先を軽く置き、それを軸にして逆さになりながら、コートを翻しふわりと門扉を飛び越えた。静まり返った住宅街に白虎の着地した靴音が高く響き渡る。

 何処からか見られているような、視線が絡み付いてくるようだったが、おそらく近所の誰かが窓から源武の家に入り込んだ侵入者を眺めているのだろうと白虎は気にせず、ぐるりと家の周りを一周した。

 家の中から人の気配がすることはなく、無人であるのは確実。

 確認をしたのだからこのまま帰還すれば良いものを、何故か白虎は中に入って様子を見たいという気持ちが抑えられない。

(一階も二階も完全にふさがれているな。いや、しかし)

 白虎は暫く考え込んでいたが、何かを思いついたかのように、家の裏側へと回る。庭の端から全体を見渡して暫く、白虎はその違和感に気づいた。

 以前は一階の窓に庇は無かったはず、しかも、あった筈の雨どいがなくなっている。いったい何故なのかと考えれば考えるほど源武が自分を家の中に誘い込もうとしているようで、白虎の運動能力を考慮して他の者が入る事はできない、白虎専用の侵入場所を用意しているように思えてくる。

 今一度家全体を眺め、もし源武が誘い込もうとしているのならばこの庇は怪しい、ならばここから考えられる経路は何処なのかと模索し始めた。

(考えられるとすれば、屋根か)

 白虎はコートを脱ぎ腰に巻き付け、皮製のジャケットのポケットに入れていた皮手袋をはめ、ウエストに装着しているポーチの紐の部分をしっかり腰に巻きつけて、パンツの裾をブーツの中に入れジャケットのファスナーを閉める。

「そこまで言うなら誘いに乗ってやろうじゃないか」

 家を背にして庇の下に立ち、地面を蹴って庇の端に手をかけた白虎は、握った手の部分を軸にして、振り子の要領で何度か体を揺さぶって庇の上に飛び乗った。トタン板で出来ているように見えた庇は思いのほか丈夫で、白虎一人が飛び乗った位では壊れる気配も無い。

(やはり、これが侵入経路の入り口部分か。さて、ここからだな)

 源武の家の向かい側には道路を挟んで、平屋の家が建っていた。今居る庇よりも向こうの平屋の屋根の方が少し高く、自動車が一台と歩行者一人程度の道幅の道路。そのまま飛んでみても届くわけも無い。

(直接は無理そうだな。距離がありすぎる……。助走をつけることが出来ない以上、道幅がもう少し狭くなくては無理だ。あのポールを使うか)

 向かい側の家の庭に立つポールに向かって、手を伸ばしながら飛び出した白虎は両手でポールを掴むと、勢いで体を回転させ遠心力で平屋の屋根へと登る。

(ここから今度は源武の家の屋根にもどらなくては)

 源武の屋根は平屋の家より少々上にあって、助走が出来る分飛距離は伸びるはずだが上へとなると難しい。白虎は立ち上がり、向こう側を見つめつつ、ウエストにあるポーチをさぐる。ポーチから出てきたのは極細の鉄線が巻かれた小さなリール。このワイヤーはBOBで開発されたもので細いが人二人分は支えられるとても丈夫な物だった。鉄線の先端部分近くにはゴム製のカバーがかぶさった錘がついている。

 白虎は源武の家の屋根を眺め、屋根の隅に取り付けられている風見鶏を眺めた。本来であれば屋根の山の頂点、真ん中あたりもしくは頂点の端に取り付けるはずの風見鶏があのような場所にあるのはおかしい。明らかに使えと言っているようなものだ。その誘いに乗る事にした白虎だったが、普通にこの場所から鉄線を投げても風見鶏の軸に巻きつけるほどの長さは無い。風見鶏に鉄線を巻き付けるにはワイヤーが届く位置までこの屋根を飛び出さねばならない。おそらく、それすらも源武の計算の内なのだろうと今居る場所と源武の屋根、そして鉄線の長さを計算し白虎は鉄線を手に巻きつけると助走をつけ、ぎりぎりの場所で平屋の屋根から飛び上がった。

 空中に飛び出しながら風見鶏に鉄線が届く位置へと入ると、鉄線の錘の方を風見鶏の軸の部分に投じて撒きつけ引っ掛ける。撒きついた鉄線を、両手で素早く手繰り寄せながら握り、弧を描いて源武の家に近づいた。屋根の端部分に片手がつき、片手で鉄線を持ったまま屋根についた手の力のみで、体を引き上げ屋根に上る。屋根の端から内側へ数歩移動し一息ついた白虎は自分がたどってきた経路を眺めた。

(全く、源武も面倒なことをさせる)

 鉄線を回収した白虎は屋根の上から周りを眺め屋根の端部分から真っ直ぐ前方の端まで歩き、歩ききると一歩中に入ってまた端から端へと歩き出す。ブーツの足音をあたりに響かせながら歩いていた白虎がある一箇所で止まった。かかとで屋根を叩き、音を確認。

 他の場所と違い軽い音が跳ね返ってくるその場所に片膝をついて、折り重なるように組まれている屋根の板を丁寧に外す。すると、屋根裏の空間が見え、頭を突っ込み覗き込めば、丁度この穴の下辺りに、アルミ製の小さな扉が見えた。

(あそこがゴールだな)

 体がぎりぎり入るだけの穴を開け屋根裏に入って扉の所まで行き、扉を奥へ押すと軽く何の抵抗も無く開く。様子を伺いながら、白虎は扉の付いている天井の端を両手で掴み、ぶら下がって手を離し部屋の中へ降りていった。

 家の中は湿気の含んだ少しかび臭い匂いが漂っている。どうやら、人が来なくなってかなり経つ様子。見回せば幾度となくやってきた見慣れた源武の家の中であり、埃はたまっていたが何だか時間が止まったかのような、楽しい時間がよみがえるような気がした。

 階段を下り一階にやってきて食卓の上を見ると、朱雀の好きだった絵本が置いてある。ここをたずねたときは必ずと言って良いほど朱雀が読んでくれとねだった絵本。懐かしさに手を伸ばしてみれば、絵本に妙な厚みがあることに気づき、埃を払って絵本をめくってみる。すると、絵本の最後の部分に封筒が挟まっていた。

 白虎は険しい表情をして封筒を取り、絵本を食卓において封筒を眺めれば「白虎へ」と書かれているのを見つける。

「源武、やはり私が来ると思っていたのか」

 封筒をあけて中にある便箋を取り出せば、封筒の底でちゃりんと音がした。覗き込んでみると、白虎が朱雀にあげ源武に渡したロケットペンダントが入っている。ペンダントを取り出し封筒と一緒に絵本の上に置いて手紙を読み出した。

『白虎へ。多分お前はこの家に来て、俺の思惑をちゃんと理解した上で侵入してくれるだろうと思いここに手紙を残す。あれから数日、H.Dについて調べれば調べる程、H.Dがただの快楽剤ではないことがわかり、ゲートがあれをばら撒く理由もおぼろげに分かってきた。だが、これと言った証拠がつかめないで確信が持てずにいる。なので俺はこれからシティを調べる為にダウンタウンを上がる事にした。危険なのは承知の上だ。それと、あの事件はやはり、ナイセルさんが教会へ通って、教会で渡された神の果実と言うH.Dを服用していたのが原因だったようだ。あの教会はゲートの息のかかった教会と言うだけではない。詳しく手紙で話すことはできない。証拠がない以上俺の想像だと言われればそれまでの事柄だ。しかし俺はやはりH.Dとそれを扱うゲートの連中を許す事は出来ない。危険を承知で上がるのは単なる恨みだ。だから、お前はこのことに深入りせず日々を過ごして欲しいと思う。そして、ペンダントはお前が持っていて欲しい。中に入っていた写真だけ貰っていく。かわりに朱雀の写真を入れて置いた。朱雀もお前と一緒だと喜ぶだろうしな。願わくは、またお前に会えることを。源武』

 手紙を読み終えた白虎は机に手紙を置き、ふぅとため息をつく。

「源武、またか? お前の手紙は要点を得ないな。これじゃ前と一緒で何にもわからないじゃないか」

 封筒からペンダントを取り出し、トップを開くと朱雀が笑顔でこちらを見ていた。

「朱雀、お前のパパさんは一体何を考えているんだ。スタンドプレイが過ぎる。……にしても、源武は何を調べ上げ、何のためにシティに上がるんだ。しかも命がけで。朱雀が作られたとはどういうことなのだ?」

 白虎は眉間に皺を寄せたまま、源武の手紙を持って流し台に行く。ポーチからライターを取り出し手紙に火をつけた。そうしろと書かれていたわけではないが、この手紙はここで始末しなければならないような気がしたからだった。

「源武。暫くここには来られないと思う。お前の憎むゲートのせいで忙しくてね。手紙ではなく、お前自身に会えることを私も祈っている」

 流しで燃え尽きた手紙を錆色の水で流し、絵本を片手に持って部屋を見回し二階へ。入ってきた扉がある天井の下に来ると、軽くジャンプをして扉の端へ片手で掴まり、腕の力で自分の体を引き上げた。

 暫く屋根裏から部屋の中を眺めていた白虎は静かに扉を閉め、屋根の上へ出て屋根も綺麗に整える。立ち上がった白虎は屋根の上から遠くの景色を眺めた。

 遥か遠く、この国の中心部分にそびえるビル郡。断崖絶壁のダウンタウンより高い位置で周りをコンクリートで囲まれた場所がシティと呼ばれる上流階級者だけが住まう所。ビル群の中でも一番高く、町の中心でまばゆいばかりに輝いているビルがゲートのビルだ。

「一体、あそこに何があるって言うんだ」

 白虎はビル郡を見つめながら呟く。しかし、明確な情報を与えられず、何もない状態で考えてもしようがない事だと溜息をついた。大きな伸びをして肩を動かし白虎は屋根から少し助走をつけて踏み切る。飛び出した空中で二回転し、源武の家の庭と門扉を飛び越え、道路に両足を曲げて衝撃を和らげ着地した。

 絵本を脇にはさんで手袋を外し、無造作にポケットにしまうとパンツの裾をブーツから出す。一通りの身だしなみを整えて、源武の家に背を向けて振り返ることなく絵本を開きながら歩き出す。静かな町に白虎の歩くブーツの音がゆっくり響き、白虎は声を出して絵本を朗読しながら歩いた。

「真っ白な雪降り積もる、銀色の世界に赤い点。罠にかかった銀狼は血を流し、ただ静かに命が尽きるのを待っていた。一人で生きてきたのだもの。一人で死んでもさびしくない。目を閉じて静かに命が尽きるのを待っていた……」

 澄んだ声を響かせ歩く白虎の頬を一筋の涙が伝い、雫となって空中に舞う。それ以降、源武に会うことも、連絡もなく白虎は流れていく時に身を任せて日々を過ごしていった。

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