第12話

 通常通りの現場処理が行われ、装甲車に乗って帰って来たBOBではいつも通り静かな時間が流れる。

 ただ、いつもと違っていたのは、源武が自室に入ったきり、出てこない事だけだった。

 白虎は源武の自室前の廊下で、部屋のドアを目の前に、壁にもたれかかるように座り込んでいた。ほとんどの戦闘要員は任務の後、それぞれが自室に戻り次の出動があるまで体を休ませる。もちろん白虎もそうだったが、源武はいつも訓練生の所へ顔を出したり、休憩室や遊戯室で談笑をしたりするようにしていた。だが、今回は「解散」とBOB前で宣言をし、そのまま自室に篭ってしまったのだ。

 白虎も一度は自室に戻ったが、部屋には朱雀との想い出が多すぎて、つい、逃げ出すように休憩室へとやってきた。

 別のチームのリーダーである嶺が一人、休憩室で休んでいるのが見えたが、今は誰とも会う気が起きないと嶺に声をかけることなく立ち去ろうとした時、嶺の方から白虎に話し掛けてきて、仕方なく白虎は嶺の傍に座る。

「白虎、先ほどの出動で何かありましたか?」

「……どうしてですか?」

「貴女の態度もですが、何よりあの源武が自室に閉じこもって出てこないのですよ」

「そう、ですか」

 ため息混じりに答えた白虎だったが、それ以上説明する気は無く押し黙った。その様子に嶺は小さく一つ咳払いをして続ける。

「何があったのか聞いた所で答えてくれそうには無いですね。まぁ、しつこく聞くつもりもありません。ただ、その様な二人に仕事をされては返って迷惑です。今日の仕事は全て、僕のチームが引き受ける事にしました。勿論、貴女方二人以外の人手は借りますが」

「あの、それって」

「白虎と源武は出動しないでくださいね、足手まといになりますから」

「……申し訳ないです。嶺さん」

「今日だけですよ。最近はH.D変異体の発生率が極端に多くなっていますから明日からはちゃんとしてもらわないといけません。一日の間に体もですが心も万全に整えて置いてください」

「はい、十分です。気遣い、ありがとうございます」

「気持ちは、痛いほど分かるのですけどね。僕も三年前、婚約者が感染して死にましたから」

「嶺さん……」

「言わなくてもね、雰囲気で大体分かるのですよ。あの変異体はセイティ地区からやってきたと聞いていますし、セイティは源武の家がある場所ですからね。先ほどの任務で知り合いを処理したのでは? 変異体になってしまった人間は遺骨すら残らない。だから、残された者に死んだという実感も無い。不思議なもので遺体を見ていないということだけで、もしかしたらまだ生きているかもしれないと、ただ、探し続けるのです。頭ではなくて心がね。周りの者に幾ら死んだと、もういないのだといわれても、心で探していて、探さなくなっても心に穴が開いたようになって自分を保つのがやっとでした。H.Dは使った者だけでなく、関係してしまった者達、皆を廃人にしてしまう。BOBに居る人達の大半は家族や親しくした人を亡くしている。皆、誰よりも気持ちが分かる連中ばかりです。一人で抱え込まず話すことも大事ですよ」

 白虎の肩を軽く叩き、嶺はそういって休憩室を出て行く。

 白虎は暫くソファに座りまだ混乱している頭を抱え俯いていた。床を見ていた視線を胸のポケットで施設の蛍光灯を反射して光っているペンダントに移し、取り出して見つめる。良く見ると、ペンダントから何かがはみ出していた。

 そう言えばこのペンダントはロケットになっていたのだとその時気付き、ペンダントトップの横部分にある突起に爪を立ててペンダントを開く。すると、中から小さく折りたたまれた紙が出てきた。

 白虎にペンダントの中に何かを入れた記憶はなく、やったとすれば朱雀だろうと現れた紙を手に取り開いてみれば、それは初めて朱雀と出会った朱雀の誕生日に撮った写真で、満面の笑みの朱雀と源武、そして少し不貞腐れている白虎が居る。

 以前、白虎が何度目かの源武の家に遊びに行った際、朱雀と一緒にお風呂に入ることがあった。

 お湯に濡れるからとペンダントを外せといっても朱雀は外さず、どうしてと白虎が質問しても、朱雀は笑って「宝物だから」と言い理由を教えてくれる事は無かった。白虎は写真を見た瞬間その事を思い出し、質問の答えが自分の手の中で開かれ、唇を噛み締める。

 頬が乾き、瞼すら閉じることが出来ないほど泣きすぎて、泣き枯れた瞳から涙なんてもうでないと思っていたが一筋の水滴が頬を伝った。自室ではなく、人目がある休憩室で泣きじゃくることも出来ず、白虎は袖で涙を拭いて堪え再び写真に目を落とす。

 何気なく、写真を裏返した白虎の目に黒いものが映りこみ、良く見てみれば一生懸命書いたであろう、拙いミミズがはったようにくねくねと曲がった文字がある。ひらがなで「だいすきな みんな いつも いっしょ すざく」と書いてあった。朱雀の書いたその言葉を見たとき、白虎は朱雀の最後の言葉を源武に届けていない事に気が付き立ち上がった。

 白虎は写真をペンダントと一緒に胸のポケットにしまい、一目散に源武の自室へと向かう。

 BOB所内、全てに知れ渡っているのか源武の自室の周りに人は居らず、静まり返った廊下が寂しさを増して、源武の構うなという気配があたりに充満しているようだった。

 血の繋がりなど関係なく、あの親子はともにそれぞれを尊重し愛し合っていた。それを誰よりも知っている白虎は最後の言葉を必ず届けなくてはと思いつつ源武の今の悲しみを思うと胸が痛んだ。ドアをノックするが、部屋の中から気配はするのに返事は全く無く、白虎は深呼吸をしてから再度ノックをして言葉をかけた。

「源武。白虎だ。開けてくれないか」

 名乗っても返事は無く、無言こそが源武の答えとなっているようで、白虎はたった一枚の扉がとても分厚い鉄の扉のような気がしてさっきより強くドアを叩く。

「源武、私は伝えなきゃいけない事がある。朱雀の最後の言葉だ」

「……頼む、白虎。一人にしてくれ」

「駄目だ。源武には聞かなきゃいけない義務がある。ただ、私も源武の気持ちが分からないわけじゃない。だから、ここを開けてくれるまで待つよ。いつまでもここで待つから父親としてちゃんと聞いてやってくれ、朱雀の最後の言葉を」

 白虎は廊下に腰を落とし、壁に背中を預けて目の前の源武の自室の扉を眺めた。片膝を立て、その上に腕を置き、髪の毛を掻き上げ呟く。

「聞かずに居るなんて許さないからな」

 警報が鳴り響き、せわしなく人が動き回っているBOBの施設内だったが、源武が出てくるのを待つ白虎の周りは、まるで時間が止まっているかのように静まり返っている。静かな空気に押しつぶされてしまいそうで、白虎は小さなため息をつきながら膝を抱え込んだ。

 どのくらい時間が経ったか分からない。

 源武の部屋の前でうな垂れ座っていた白虎は、部屋の中で気配が動いたのを感じた。ドアノブを見つめそれが動くのを待っていると、戸惑っているような気配がしたのち鍵が開く音がする。ドアノブが少し動いたのを確認して白虎は立ち上がり、静かにそっと開いていくドアの隙間を眺めた。

「源武……」

「白虎、入ってくれ」

 姿は見えず声だけが届いて、白虎は少し開いたドアノブを握り中へと入る。何だか重い空気に胸が詰まりそうだったが後ろ手にドアを閉めれば、中にはベッドで頭を抱えながら座り込んでいる源武がいた。

 閉じたドアに凭れるように立ったまま源武を眺める。あの巨体が恐ろしく小さく縮んで見え、その小ささが源武の落胆を示しているようだった。

 暫くの沈黙ののち、白虎ではなく源武が先に口を開く。

「俺は、朱雀が分からなかった。朱雀に、自分の娘に銃口を向けてしまった。俺は朱雀を殺そうとした!」

 源武は声を殺して、頭を抱えたまま下を向いて泣いた。床に涙の水たまりが出来上がる。こんな源武は出会ってから初めて見る姿。ただ泣き咽ぶ源武を白虎は静かに見つめ、慰めるというよりは状況を淡々と説明するように言葉を返す。

「朱雀の変化はかなり進んでいた、分からなくて当然だ。私も朱雀が銀狼と呼ばなければ気付かなかったし、それが無ければ他の変異体同様銃口を向けその頭を打ちぬいていた」

「だが! お前は分かった。だから、だから俺の前に立ちはだかって朱雀を守ったんじゃないか」

「いや、ヘッドギアの向こうから声が聞こえなければ危険を覚悟で確認しになど行かなかった。確認するまでは自分の空耳かとも思っていた。それに源武がそこに居るのが分かっていたからできた事でもある。私が万一変異体になっても源武なら躊躇なく殺してくれると思ったから」

「俺が、お前を、朱雀のようにお前に銃口を向けてか?」

「あぁ、ちゃんと殺してくれたはずだ。私がそれを望んでいると源武なら分かったはずだろう?」

 源武は黙り込み、頭を抱えていた手をだらりと膝に置いて自分の涙がたまった床を眺めて呟く。

「それなら、どうしてあの時、俺の前に立ちふさがった」

「決まっている。相手が私ではなく朱雀だったからだ。源武に朱雀を殺させたくなかった……」

 源武の質問に静かに答えた白虎の声はとても澄んでいて、源武はざわついた自分の心の中を静めてくれるような感じがしていた。

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