第4話
十二年前、白虎はダウンタウンでフリーの傭兵として働いていた。
当時、H.D変異体の被害も今ほど酷い物ではなく、それよりもそれぞれの地区の領土をめぐって争いの方が激しかった。優秀な傭兵は高い賃金で雇われ戦いに借り出される。その中でも白虎は味方につければ必ずその戦いは勝てるといわれ、出逢えば必ず死ぬという意味から、死神と噂されるほどの能力だった。
敵、味方など関係なく傭兵として雇われ続け、家に帰るなど全く無かったが、ふとした拍子に珍しく何処の戦いにも赴かなくていい日が出来、久しぶりに自宅で骨休めをしていた。そんな日に、訪れる者など殆ど居なくなった自宅のビルの呼び鈴が鳴り響く。
傭兵としての契約の話か、もしくは自分を殺しにやってきた誰かなのか。そんなことを考えながら白虎はドアノブを握り、ゆっくりとドアを開いた。
警戒して開いたドアの隙間から見えたのは、立ちふさがる壁のように見える大きく筋肉質な体を持った男。にこやかに笑う男の顔に覚えの無い白虎は男から視線を逸らすことなく聞く。
「誰だ?」
「お前が白虎か?」
「私が聞いている。先に名乗るのが礼儀だろう」
白いタンクトップに迷彩のパンツと言う格好で出てきた白虎は、自分の質問に答えることなく聞いてきた男に不信感を抱いて後ろ手に銃を構えた。相手に悟られぬよう殺気を出来る限り押さえ、淡々と話しかければ目の前の男はだみ声で少し笑って答える。
「あぁ、そうか。すまんな。俺は源武と言う」
「源武、私の記憶には無い名前だな。ご指名の白虎は私だが何か用か?」
「死神と言う名をもった白虎をBOBに引き抜きに来た。いわゆるヘッドハンティングだ」
源武は唐突にそう言い、綺麗に整った歯を見せ笑った。警戒心など微塵も無い姿は逆に白虎を緊張させる。
「ダウンタウンに住んでいてBOBと言う組織をしらないわけじゃあるまい?」
源武の問いかけに頷くだけで返事をした白虎。
変異体に対処するため自治区が独自にBOBという組織を作り、各地区に存在している事は知っていたが、傭兵として戦っている自分とは関係のない話と思っていた。ゆえに、それ以上の知識は無用と詳しく知ることはしなかったのである。
目の前の男から視線をそらすことなく、ヘッドハンティングとはどういうことなのかと考え込んでいた白虎に、源武はドアの端を持ちわずかな隙間を大きく開いた。
「警戒するのは分かるがセールスに来たわけじゃないんだ。ここで立ち話というのもいただけないと思わないか? 詳しい話をしたい。ヘッドハンティングに来たのにお前を殺したのでは俺は損をすることになる。お前を殺そうとしているわけじゃないから後ろの銃をおろして、中に入れてくれないか?」
「あぁ。(この男、私が銃を構えているのをわかっていたのか?)」
源武の言葉とその時一瞬発せられた気配にこの男は自分よりも腕がいいかもしれないと悟り、銃を腰のベルトにねじ込むと源武を中へ招きいれた。
シャッターの横にある通用口のようなドアは少し小さめで、源武は大きな体を何とか小さく折りたたむようにして入る。白虎は一定の距離を保ち、源武の前を歩いてビルの二階部分に案内した。
シャッターのあるビルの、道路に面している一階部分の半分は吹き抜けで、二階から一階が覗けるロフトのようになっていた。全体的に殺風景で飾りっ気の無い部屋の様子を、白虎に遠慮することなく見回す源武の姿に白虎は少々機嫌を悪くする。
「(人の家を勝手に、どういう神経しているんだ)水でいいだろう?」
「あぁ、別に茶を飲みに来たわけじゃない。何でもかまわん」
相変わらず辺りを見回しながらから返事に近い返答をする源武を残し、白虎は奥にある簡易的なキッチンの、業務用の大きな冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を二本持って戻る。
戻ってくれば、座ってくれとも言っていないのに部屋に置いてある唯一の大きい家具であるソファに源武は腰かけていた。
普段白虎が仮眠の際に寝転がれる程大きいソファだったのだが、巨体の源武が座ると、とても小さい物に見える。
ミネラルウォーターの蓋を開け、源武の目の前に置いて白虎は源武の対角線上に折りたたみの椅子を出して座った。部屋に続いて今度は白虎をじっと見つめてきたが白虎は気にすることなく水を飲み、お前は飲まないのかと源武に言えば源武はせっかくだからなと一口水を飲む。
「先に飲んだのは毒見のつもりか? 毒を入れているなんて思ってないぞ」
「人の事をさぐる様に見ておきながらいけ好かない奴だ。アンタ、一体何者だ?」
「何者って俺は源武だとさっき名乗っただろう? それ以上でも以下でもない。それにしても殺風景な部屋だな。女の部屋とは思えん」
「必要な物はちゃんとある。不要な物は邪魔になるだけだ」
「ほぅ。ではあの一階の膨大な銃器は必要な物か。怖い女だ」
「無駄な会話は嫌いだ。用件を言わないならさっさと帰ってもらう」
「せっかちだな。人と人とのコミュニケーションは会話から始まるんだぞ」
「必要であるならな。私に人と人とのつながりは必要ない」
「銀色の孤高の虎、噂は本当か」
源武はそっけなく言い放つ白虎の態度にそう呟いて嬉しそうに微笑みを浮かべた。
家に招き入れたとはいえ、素性の知れない源武の存在を未だに疑っている白虎にとってはその微笑みさえ、何かを企んでいるのでは? と思えて仕様が無く、じっと言動を見守る。源武は白虎の警戒心を分かっていて小さく笑った。
「そんなに警戒するな。こんななりでもそれなりの立場だ、変な事をするつもりもない。何よりお前を殺すのならとっくにやっている。お前と俺の力の差はお前が一番よくわかっているだろう?」
「どうだろうな、人間は嘘をつくのが仕事だからな」
「疑い深いな。しかしそれでこそ死神と言ったところか。まぁいい、用件に入ろう。先に言った通り俺はお前をBOBに引き抜きに来た。お前は傭兵だ、BOBがどういう組織かは聞き及んでいるだろう?」
まるですべて熟知しているのだろうと言わんばかりに眉を上げ微笑んでくる源武に白虎は頭を横に振った。
「私はただの傭兵だ、組織の詳しい事は知らない。H.Dによる被害を縮小する為にダウンタウンで独自に設立され、H.D変異体に対処しているという誰でも知っていることがらしか知らない」
「それだけ知っていれば十分だ。まだ出来たばかりに等しいからな、BOBという組織の事すら知らない奴もいる。我々はH.Dに対処する為、ダウンタウン全体でその道のプロを雇っている。科学者やスナイパー、お前のような傭兵、それぞれがそれぞれの役目を与えられ、一つの組織となって機能している」
「私に公務員をやれとでも?」
白虎は源武の話を断ち切るように皮肉を言い、鼻で笑って上目使いに源武を睨みつける。しかし、その視線を源武に向けたとたん、白虎はびくりと体を揺らした。源武の瞳は力強く威圧感が白虎に迫る。
「真面目な話だ」
だみ声が更に低く、唸り声のように聞こえ白虎は口元に浮かべた笑いを収め一息吐き出して「すまない」と謝罪の言葉を述べた。それほどに源武の視線は真剣であり、それに真摯に応えぬ自分は愚か者であると悟った。ソファの背にもたれることなく、背筋を伸ばして座る源武の大きく開かれた足の膝に乗る手は硬く握り締められている。真剣さと共に伝わってくるのは緊張感。
「白虎、お前はH.D変異体をその目で見たことはあるか?」
「H.Dの乱用による精神崩壊した個体の事だろう。聞いたことはあるが実際に目にした事はない。私の相手は人間ばかりだからな」
「傭兵であるなら人間相手なのは当然だろう。変異体は全てにおいて人間離れしている。実際、彼らは人間ではなくなっているのだから当たり前なのだが、それは想像を絶する」
「人間ではなくなっている? どういうことだ、ただの精神崩壊者だろう?」
「いや、違う。気の狂った人間なら別に変異体でなくともその辺に転がっている。これだけの貧しさだ、気が違って当然の状況の奴もいる。だがあれはそのような生易しい物じゃない。一目でわかる特徴で言えば、連中はもう人の形を成していない。ただ、その姿を説明するのは難しい。勿論その能力等も口では説明できるものじゃない。一体一体違う形状をしているということもあるが、実際に見、その身で戦うのが一番理解できる存在なのだ」
「説明になっていないな」
「説明できないのだから説明になってないのは当然だ。そうだな、しいて言うならどんな人間も持っている悪の一面が具現化したという感じだ」
「それも抽象的だな」
「抽象的にならざる終えない。必ずしも同じ形態をとるとは限らないからな。ただ、変異体は必ず人を襲い、襲われた人はH.Dを使用してなくても変異体に変化する。だからこそ、化け物になってしまった彼らを押さえ込まねばならない。ただ、化け物に対峙するには相応の能力を持っている者しか無理だ。そういう者は一握りほど、現在の状態では絶対数が足りない」
源武はそこまで話してちらりと白虎を見る。その視線に白虎はなるほどと考え込んだように瞳を閉じてつぶやいた。
「頭数をそろえようっていうのか? 私で」
「白虎、俺に従えとは言わん。ただ、俺はお前の能力を、お前自身を信じている」
真剣に白虎を見つめ源武は語り、白虎は背もたれに体を預け、瞳を閉じたまま動きをとめる。白虎のところへ来る前に何人も勧誘し、断られてきた源武がやはり白虎も駄目かと視線を下に向けため息をついた時、白虎の小さな笑いが聞こえ顔を上げた。
「さっき会ったばかりの奴によくもまぁ信じているなんて言えるものだ。アンタ、相当おかしいな。そうだな、待遇によっては考えてやってもいい」
「本当か?」
「後は仕事の内容をちゃんと知っておきたい」
「そ、そうか! うん、それじゃぁ、詳しい話はBOBでしよう。施設も見てもらったほうが説明しやすい」
ぱっと表情を明るくした源武はソファから立ち上がり、白虎をせかすように慌てて入り口の方へ歩いていこうとした。そんな源武を呼び止めて、いまだ椅子に座ったままの白虎が水を一口飲んで言う。
「あと、もう一つ」
「なんだ? あぁ、給料なんかはそりゃ傭兵の時のようには支払えないが、それなりに」
「別に金などどうでもいい。金の為に傭兵をやっていたわけでもない」
「そうなのか」
「あぁ、今の世の中で一番苛酷だと思える場所が傭兵だっただけだ。金はたまたま働きに対して支払われていたに過ぎない」
「では何だ?」
「絶対に譲れない条件がある。私をアンタの、源武の下に付かせる事が条件だ」
源武は思わぬ白虎の条件に少し驚いたが、すぐに微笑んで腰に手をあて仁王立ちして白虎をみた。
「それはお前の力量次第だな」
「信じているのだろ。なら問題ないはずだが?」
「それとこれとは別だ」
源武の言葉にやれやれと肩をすくめた白虎だったが、その口の端には笑顔が浮かぶ。とりあえず見学をという源武にその必要はないと身の回りの物を鞄に詰め、表に止めてある源武の車に積み込んで、ビルの入り口に何重にも鍵をかけ「それじゃ、行こうか」と白虎は驚く源武に言い放ち車に乗り込んだ。
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