18.Trolley Problem

 第三八次遷移D項――それは、現在、輸送船団が死にものぐるいで、その実行を達成しようとしている超光速航行移行設定の、別案だった。

 本来、船団が辿るべき航路とは異なる道筋――経済面、あるいは時間面の要求を満足させるべく策定されたものでなく、緊急避難的な性格の航路計画だ。

 メリットは、それによって当座の危機から逃れられること。

 デメリットは、フォーメーションが破壊され、を(それも多数)だしかねないことだった。

(だから、これまでガマンにガマンを重ねていた筈なのに)

 今更どうして? と高橋少佐は唇を噛む。

 単に遷移で敵襲をかわすだけなら、今という時まで引っ張る必要などなかった。

 敵が艦載機による空襲をしかけてくる前……、いや、それどころか、無理をすれば爆雷攻撃をしかけてくる前の段階で、それをおこなうことすら可能であったかも知れない。

 もちろん、それは、『たられば』レベルの繰り言だ。

 しかし、もし、そうであったら、自分たちが護るべき輸送船はもちろんの事、護衛艦群自体も被害をこうむることなく済んでいたのに違いないだろうのだ。

 だから、

(臆病風に吹かれたか……?)

 船団司令部――なかんずく、その指揮官に対する疑念が、高橋少佐の脳裏をちらとかすめたとしても、それは、ある意味、無理からぬことではあったろう。

「船団旗艦より通信!」  

 そこに、船務長から、再びの報告がはいる。

「……何と言ってきた?」

 ほんのわずかにも心の裡を反映させることのないよう注力しながら、高橋少佐は内容を訊く。

「はい」と一言こたえると、船務長は、受信したばかりの通信内容を口にしはじめた。

「発:船団司令部。宛:〈くろはえNo.8〉」

(護衛隊各艦宛ではないのか)

 てっきり護衛艦すべてに対する指令であると予想していたのに、それがはずれて、高橋少佐は眉をひそめた。

「本文:現在、遂行中の随意守備任務は、本指令受信時をもって解除。以降、艦番-八No.8は、遷移設定D項にもとづく船団全船遷移完了時点まで、本船団後方監視ならびに防空戦闘任務に就くものとする――以上」

「ふム」

 内容を聞いて、一言うなった。

 人指し指と親指とでアゴをしごくように摘まみながら、思考をめぐらせる。

(司令部は、こちらの動きをかなり正確に掴んでいるようね)

 すこし意外な思いに駆られながら、そう思った。

 当たり前だが、船団は、遷移予定ポイントへ向け、前へ前へと進んでいる。

 そして、反動推進式の航宙船は、その構造上、自艦後方は死角ブラインドである。

 つまり、前方に控える敵は、力尽くでも振り払わなければならないが、

 後方から追いすがってくる敵と、交戦状態となるのは悪手でしかない。

 舳先へさきを反転させねば戦えず、戦闘中は進路を消化することが出来ない。

 航行と戦闘――どちらを優先すべきか、選択は二者択一だからである。

 逆向きで戦う対艦戦闘は、自艦機動の自由度をおおきく毀損し、不利。

 であるならば、前方の敵と同様の欺瞞ぎまんを後方にも仕掛けるのはどうか?

 交戦ほどには積極的な関与でないから、ロスは少なく、ゲインは同等。

 だから、有効であろうと考えがちだが、これについても不満はのこる。

 直接的な戦闘行為――砲雷戦を主とする艦種と、空母は戦法が異なる。

 直線的ではなく間接的に破壊力の投射を実行するのが空母という艦種。

 集束ビーム兵器や彗雷と違って、艦載機は破壊の規模、時期等が調整可能だ。

 故にこそ、後方の敵たる空母の観測は、前方の敵よりおろそかにできない。

 ひとまず攻撃意図をくじいても、その動向の把握は絶対必要なのだった。

 艦載機群の運用状況見落としは、命取りともなりかねないからである。

――こうした思考の結果、高橋少佐は、船団前方に向けては彗雷、後方へ向けてはプローブと、艦外へ射出する飛翔体を使い分けたのだったが、船団司令部は、自らもまた防空戦闘の渦中に身を置きながら、〈くろはえ〉が為した攻撃の、秘められた意図を正確に読み取っていた。

 そして、にもかかわらず、船団がバラけかねない過早遷移の実行を指示してきたのだ。

 だったら、その指示は、恐怖心等の人間的な弱みからくる非合理的なものではなくて、利害得失等の計算を経た、理性に裏付けられたものであるに違いない。

「ふム」

 高橋少佐は、もう一度うなった。

 疲れ目をいやすように、少しキツ目に眉根をんだ。

 そして、気がつく。

 遷移と遷移の間のつなぎ――次回遷移のための準備として、常空間でおこなう針路変更中たる現在、その航程を船団がはや八〇パーセントちかく踏破していることに。

 緩やかな弧を描く航路の中間点――常空間クリッピン屈曲点グポイントに達した時点では、『あと六〇時間(の辛抱)!』と気合いを入れたものだが、気がつけば、その本来の遷移予定時刻までの残り時間が二〇時間を切っていた。

 緊張や恐怖の連続で、いつしか時間感覚が正常さをうしなってしまっていたらしい。

「……なるほど、それなら納得か」

 更にもうひとつの点にも気づいて、そうつぶやく。

 現在時までの戦闘で、船団は、輸送船はもとより駆逐艦からも喪失、損傷艦をだしている。

 最たる理由は、敵手の〈USSR〉宇宙軍が、今回はじめて空母を実戦投入してきたことだ。

 相手も初の実戦であろうに、単艦としての運用においても艦隊としての戦術においても少しも辿たどたどしさを感じさせないあたりは、やはり、AIによるサポートが、それだけ強力という事だろうか。

 いずれにしても、そうして船団は、その前後を敵に挟まれ、窮地にまる次第となった。

 そこを〈くろはえ〉が引っかき回して、一時であれ、猶予ゆうよの隙をつくりだしたのだ。

 船団司令部が、それを千載一遇の好機ととらえたのは、だから、ある意味当然であったろう。

 遷移実行の時期を前倒しし、それによって航路計画が変化し迷子が出ても、当初予定を維持しつづけて、ジリ貧のまま消耗していくよりマシと結論したに違いない。

(今後のことを思えば、何としてでも、敵の新規の艦隊編成、また戦術のことを大艦隊司令部に報せなければならないし……)

 犠牲には目をつぶってでも、この場から離脱する必要がある――護衛としてのきょうじを捨てても、そう考えたのだろうと、高橋少佐は、旗艦からの指令の背景をザッと推測した。

 そして、

「事実上の殿軍ご指名か……」

 ちいさく、フンと鼻を鳴らして、直接指示の意味するところを受け入れたのだった。

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