6.Direct Contact―1

「艦長!」

 航法長が叫んだ。

、船団針路に対して反航軸線に乗りました! これより本艦旋回頭、低温噴射全力にて減速開始いたします!」

「了解」

 こちらは平静に、通常通りの態度で高橋少佐が頷くと、ほとんど間を置くことなく艦内全域に高加速警報が鳴り響いた。

(いよいよ、か)

 得意能面、失意泰然――指揮官の喜怒哀楽は、それが緊急時であればあるほど部下たちのメンタルに強い影響をおよぼす。

 緊張にこわばった部下たちの顔を見るにつけ、役者として演技が破綻しないよう重々心がける必要があった。

(厄介な……)

 あらためて、そう思う。

 開戦以来の連戦により、敵も味方も、宇宙軍部隊の将兵は、その練度をかなり下げている。

 疲労もあるし、損耗もある。何より平時と異なり、演習に時間を割く余裕がなくなってしまったことが最もおおきい。

 欠員を補うための補充兵、また、新造艦、あるいは新設部隊に割り当てられる新兵の錬成期間も、ムチャと思えるくらいに短縮されている。

 以前、『ガールスカウトどもを率いて戦争なんかできるか!』と、何処ぞの艦長が怒鳴ったとも聞くが、高橋少佐も(口にこそしないものの)まったく同じ気持ちだった。

 ただでさえ要員が不足傾向にあるのに、新規の部署は日増しに増えていっている。

 急速な戦闘航宙艦戦力の拡充にともない、大量に必要となった将兵を促成栽培してでもまかなわざるを得なくなっているのである。

 結果、あらゆるレベルでの熟練兵ベテランの引き抜きや異動が横行し、部隊の長は人事の動向に神経をとがらせることとなっていた。

 ウカウカしていると、あたら使える自分の手駒をに盗られてしまうからである。

 実際、艦齢がふるいが故に古兵の割合が多かった〈くろはえ〉は、そのかなりな部分を強制的に転出させられたという辛酸をなめている。

 直接的に敵と対峙する聯合艦隊、および遣支艦隊(支星系派遣艦隊)の一部に、補充兵としてあてがうと、人事局から大量の辞令が送りつけられてきたのだ。

 埋め草として、新兵による補充はなされたものの、当然、能力的に見合う筈もなく、〈くろはえ〉は、その戦闘力を減ずることとなってしまった。

 まさかに、異なる大艦隊間での異動がおこなわれるなど、予想もしていなかった高橋少佐の『油断』であった。

(それだけ戦局がひっぱくしているということではあるんだろうがな……)

 ぎり……と唇を噛みしめる。

 思い出すたび、はらわたが煮えくりかえる気分になってしまうのだ。

(軍令部の参謀連中が、前線部隊の戦力低下を防ぎたい気持ちが理解できないわけじゃない。しかし、そのしわ寄せをこっちに押しつけられるのは困る)

 戦術ディスプレイを睨みつけた。

(そもそも護衛艦隊を『平和な』部隊と見下すのなら、こんな状況が起こらないよう、対応するのが筋ではないか)

 愚痴とは知りつつ、そう思うのだ。

 画面上に映し出されてある『敵』の動静は、高橋少佐が見るかぎりにおいて、多分にれ――少なくとも、尻に卵の殻をまだくっつけているような未熟な者が大半のこちらよりは、よほど戦慣れしているように思えるからでもあった。


 グン……! と身体に横向きのGがかかる。

 旋回頭――制動噴射を実行するため、艦を進行方向に対して一八〇度回転させているのだ。

 まだ遠い。

 まだ時間がある。

 いかなる兵器の射程にも、まだ入ってはない。

 わかっていても、敵に背中を向けている――いま、攻撃されても、こちらには反撃するすべが無いという事実に、背中を冷たいものが伝っていく。

 ついにこちらの座標と針路を把握したのだろう敵は、一見して攻撃隊形とわかる艦列をととのえ、相対するかたちで急速に接近してきつつあった。

 爆雷の先制飽和攻撃を担任する駆逐艦群。

 それに続行する軽巡(軽空母?)が二隻。

 そして、船団攻撃の主役だろう駆逐艦群。

――それら兇獣の群が、迫りつつあるのだ。冷静でいつづけることは難しい。

「制動噴射、全力、低温、開始まで残り二○秒ふたまる

 ありかなしかの反動の末、〈くろはえ〉の艦首と艦尾は、その位置をかえ、動きを止めた。

 航法長がふたたび告げる。

 低温噴射――それは、常物質と反物質を反応させてエネルギーを得る対消滅反応エンジンを主機とする航宙船の噴射パターンの一つである。

 より正確に言えば、戦闘航宙艦に特有の噴射パターンだ。

 対消滅反応は、常物質と反物質が接触すると生じる反応だが、そのいずれもが同量である時、もっともエネルギー変換効率が良い。

 しかし、こと空間戦闘を任とする戦闘航宙艦にあっては、混合比率ミクスチャーたがえる非効率的な噴射を敢えておこなうことがままあった。

 代表的な理由としては欺瞞ぎまん

 主機が発する熱量を故意に狂わせ、噴射情報の隠蔽をおこなうためである。

 たとえば反物質が五に対し、常物質を七、あるいは九を接触させれば、対消滅反応をおこし、エネルギーに替わるのは反物質が五に常物質も五の同量でしかない。反応を生起させる相手のなかった常物質は、主機が吐き出す奮進炎にまじって、ただ吹き飛ばされてゆくだけとなる。

 この、無為に宇宙空間へ吐き出されるだけの常物質が、しかし、航宙船が後ろに引きずる奮進炎の見た目の温度を下げ、熱紋をふくめ、各種のデータを精確に測定することを妨害する役目を果たすのだ。

 もちろん、敵味方ともにほぼ正面衝突にちかい針路をとっている今回、高橋少佐が低温噴射を指示したのは欺瞞が目的なわけではない。どちらかと言えば、それは防衛戦闘にむけての布石のようなものだった。

「ま、気休め程度でしかないけれどね……」

 背後からの殺気を意識しないよう、けっして表情や声に恐れがあらわれないよう注意しながら呟いた。

 そして、航法長の制動噴射開始までのカウントダウンがゼロを告げる時がくる。

「これより制動噴射開始。全力、低温、六〇〇秒。総員衝撃に備えよ!」

 フネの奥深いところから、微かではあるがダムの放水時のような轟音が漏れ伝わってくる。

 構造材がきしみ音をたて、中和装置が吸収しきれなかったGがいつもとは逆方向――胸や腹部にむかって重たくのしかかる。

「先行機動浮標プローブ群より観測データ受信中! 敵前衛駆逐艦群、爆雷投射を開始した模様!」

 際限なく高まっていくようにも感じられるGに、誰もが息苦しさをおぼえているなか、船務長が吼えるような口調で報告してきた。

 高橋少佐は自分のコンソール上、戦術ディスプレイ内に目をはしらせる。

 船団のパスファインダーをつとめる自艦――その更に前方に送り出していた無人観測機械が敵の攻撃を検知し、警報を送ってきていた。

〈くろはえ〉の転舵とほぼ同時――カウンターに等しいタイミングだった。

(はじまった)

 なおもディスプレイを凝視しつつ、高橋少佐は、こくりと小さく唾をのみこんだ。

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