第7話 だからそういうことかいっ!起

 むずむずむず。

 う… わっ。何だ一体。

 何かが僕の鼻をくすぐっている。


「くふくふくふっ」


 しかもこんな不気味な音まで漏らしている…

 耐えきれず、うっすらと目を開ける。すると何か明るい色合いのものが目の前に…

 ま、まさか「エックス君」!?

 ドクターの言葉が頭をよぎる。ぎょっとして僕は目を大きく開けた。だがよくよく見ると。


「な、ナヴィ!!」


 頭の上には、上下逆さまのナヴィ。そして顔一杯の笑顔で、何処かに向かって言い放った。


「ムラくん、おきたよ~」

「おおっ、起きたか!」


 聞き慣れたダミ声。僕は視界に入ってきた顔を見て、思わず跳ねる様に起き上がった。


「ぷ、プロフェッサー!? …え? 何が、いったい…」


 辺りをきょろきょろと見渡す。うっ。顔を動かした時だった。


「いっ、痛ぁーっ!! 何だ、これ…」


 ずきずきずき、と鈍い痛みが左目の上に走った。僕は思わず、痛む場所を押さえてうめいた。


「落ち着け、落ち着かんかムラサキ! ほれ」


 プロフェッサーは「ICE」と書かれたパックを僕に見せた。


「単なる打ち身じゃ。当ててるがいい」


 打ち身… そう言われればこの痛みにも納得する。きっとここに鏡があったら、僕の顔には大きな青あざが出来ていることを確認できることだろう。

 言われるままに、僕は放り投げられたパックを受け取る。ひっ、と思わずその冷たさに一瞬お手玉をする。だが確かに、顔に当ててみると、その冷たさが…いいなあ。


「くーっ… 効きますねえ」

「まあ後でちゃんと、ドクターに診てみらえ」


 はい、と僕はうなづく。しかし。


「…それにしても、プロフェッサー、無事で良かったぁ… あ、あれ? 眼鏡…」


 いつもしている角眼鏡が無い。


「ああ、ちーっとひびが入ってしもうたから外してるんじゃが、まあ細かい作業する訳でなし、不自由はせんよ」

「はあ…」


 僕はうなづきながら辺りを見渡す。

 プロフェッサーの向こう側に、ライトが一つ二つある様で、一応顔の判別ができる程度には、明るくなっている。…決して明るいとは言えないけれど、さっきの悪夢の様な暗さに比べれば…充分だ。


「でも一体何が… それに、ここは何処なんです?」


 どう見ても、ここは見慣れないフロアだ。少なくとも僕は今まで来たことが無い。毎日掃除する場所とも違う。

 まあでも、この船も広いし、結構細々とエリアが分けられているし。そういう所があってもおかしくはないのだけど。

 だが向こう側に見える、背の高い棚には見覚えがある。それに、光のある方からは、何やら騒ぐ声が聞こえてくる。


 …嫌な予感がした。


「ここは、酒蔵じゃよ」


 プロフェッサーはあっさりと答えた。


「酒蔵ぁ?」

「まあ、お前はここに用事も無いことだし… マーサも来させたことが無いじゃろな。ま、とりあえず、目も覚ました、応急処置もした。よし、あっち行こうかの」


 プロフェッサーは、親指を立て、光の方を肩越しに指した。僕は言われるままに、とりあえず立ち上がる。するとその時ようやく僕は、光源の存在をはっきり見ることができた。

 キャンプ用のランタンが三つ。一つは壁に、一つは床に、そしてもう一つは…テーブル代わりの酒樽に…


「あー!!!」


 思わず僕は、叫んでいた。


「うっせー! お前、何っー声出すんだよっ!」


 負けじと大きなボマーの声が響いた。


「ああムラサキ君、ケガしちゃったんですね…」


 王子の申し訳なさそうな顔。そして。


「やあ、ムラサキ君、お目覚めですね」


 このひとが。


「せ、船長…」


 嘘っぽい温和な笑顔の持ち主が、木製のテーブルチェアに座っていた。足の力が一気に抜けた。僕は思わず、その場にへたへたと座り込んでしまった。


「はっはっは。まあそう顔を引きつらせていないで、こっちいらっしゃい」


 そう言って手招きされても… 全然嬉しくない…

 それだけじゃない。よく見て見ると、フランドもアリも… 要するにみんな、そこにある色んな物を椅子代わりにして、気ままに座っているじゃないかっ!

 と、こん、と頭の上に何か当たる。


「おや坊や、お目覚めかね。悪かったねえ、色々」

「お、おかみさん」

「まあお食べお食べ」


 そう言って、僕の前の床にどん、と料理の乗った皿を置いた。


「あー、ムラサキばっかり! それさっきアタシが頼んだんでしょっ!」

「お黙りフラン。あんた、あたしの秘蔵のキャビア、勝手に持ち出しただろ」

「いいものは食べられるうちに食べるのが、アタシの信念よっ」


 判ったよ待っといで、とおかみさんは他の皿を皆の真ん中に置いた。

 そして隊長は。船長の陰に居たので気付かなかったのだが、良く見ると、横の壁に身体をもたれさせ、これ以上無いくらい気怠げにグラスを傾けていた。


「…船長…」

「おやムラサキ君、怖い顔ですね」

「…何なんですか、一体これは!」

「酒盛りに、見えませんか?」


 見えますが。


「説明して下さい!! 僕にも判る言葉で!」


 さすがに僕も叫んでいた。

 ドクターが居たら、また体温上昇、血圧上昇、と言われるだろう。ああそうだ。その時の僕の頭の頭の上にヤカンを乗せたら、軽く数秒でお湯が沸いただろう。


「判りやすい言葉ですか」


 しかし船長は顔色一つ変えない。逆に周囲が「おおっあのムラサキがっ」という顔で半ば驚き、半ば楽しがって見ている様だった。


「そうですねえ…『隠れんぼ』ですよ」


 船長はあっさりと言った。


「か、かくれんぼ?」

「ムラサキ君は、子供の頃やりませんでしたか? ワタシはよくやりましたがねえ」

「は」

「ま、しかし子供じゃあ無いんだから、そのあたりは知力体力時の運を全て使ってもらわないことには面白く無いでしょう」


 そう言えば、辺りを良く見ると、部屋の隅には幾つかの通信機が、エネルギーパーツを解体されて転がっている。…怒りを通り越して、目眩がしてきた。


「おわかりですか? ムラサキ君」

「あ、ムラサキがたおれる~」


 ナヴィが何か言ってる。しかしそこでめげてはならないのだ。僕は力を奮い起こし、体勢を立て直すと、船長に向かって叫んだ。


「でも船長! プロフェッサーとおかみさんが今朝消えて、心配だって…」

「ああムラサキ、儂らのは、単なる事故じゃ」


 愛用の古典的な金属製の工具箱に腰掛けながら、プロフェッサーが口をはさむ。彼は純米酒を、小さなコップでちびりちびりと飲んでいた。


「ほれ、そこの入り口の扉に、新しいロック機能を付けようと思うての」

「ロック機能…」


 プロフェッサーの指さす方向を僕は見る。確かに。でも何でまた。


「それでまあ、朝早く、マーサとここに入って作業しておったのじゃが、何の拍子か、上から酒瓶が落ちてきての」

「そぉそぉ」


 おかみさんも口をはさむ。


「あれはホントにびっくりしたよ。何せこのひとがいつもの惚れ惚れする様な早さでさくさく工具を取り出しては、あちこちの配線やら回路やらの作業をしていたと思ったら…」


 …さりげなく惚気が入ってるし。


「そぉじゃな。いきなり… じゃ。まあそれからから大変じゃ。助けを求めようにも、儂の通信機は壊れるし」


 彼はそう言って、壊れた眼鏡を取り出した。


「切断しっぱなしのコードはショートして焼き付くわ、扉はその時の衝撃で開かんくなるわ、照明はつかんわで、身動きが取れんようになってしまったんじゃ」

「はあ…」


 そんなことがあったんですかい。


「まあ、じゃから船長が気付いて捜し出してくれんかったら、さすがの儂らも、えらい事になってたわい」

「二人で閉じこめられるのはいいけれど、さすがに酒蔵には食料も無いしねえ」


 おかみさんも大きく頷いている。


「はっはっは。と言う訳で、私は実はお二人の恩人ってことなんですよ」

「…そうですか。じゃあ何で、船長がそれをさっさと見付けられたんですか」


 隊長には負けるが、僕も低音で攻めてみた。笑いながらいばっているこのひとに、ふと殺意が芽生えたのは確かだ。


「それにどーして、それが『隠れんぼ』に発展するんですか?」

「おお、ムラサキにしては鋭いっ!!」


 数人の声と拍手が重なった。


「や、今朝工事するって言うのは、前々から船長に連絡しておいたんじゃ」


 プロフェッサーが口をはさむ。


「じゃから、朝、儂らが居ないってことで、すぐに気付いたんじゃろ。まあその後それを『隠れんぼ』に発展させたのは儂らの知ったことでは無いがな」


 と彼もまたちら、と船長を見る。


「そーですか、判ってたんですね…じゃあすぐにここを探せば良かったじゃないですか! あの時点で!」


 そう、あの食堂の時点で。…そうでなけりゃ、こんな苦労をすることも無かったはずだ。


「いーや」


 ひらひら、と船長は手を振った。


「それだけで何が楽しいんですか」


 は。僕は思わず絶句した。…そーだ、このひとはそういうひとだっけ…

 船長の行動は、「楽しいか、楽しくないか」に尽きる。もっともこの場合、「自分が楽しい」が、最優先なので、周囲に迷惑は… 当然の様にかかる。


「ま、それもあるんですが、ワタシ的には、これはある一部の人に対する罰ゲームでもありまして」

「ある一部じゃ、なくて、隊長だけでしょ」


 フランドが口をはさんだ。だがその突っ込みに船長はブランデーを、グラスの中でゆっくりとたゆたわせるだけで、まるで動じない。


「隊長への…?」


 言われている本人は、関係なさそうにぼんやりと、何か呑んでいる。


「ムラサキ君」

「は、はい」

「さて質問です。まず何で、プロフェッサーは酒蔵のロックを、今朝早くなんて時間につけなくてはならなかったでしょう? そしてまた、どうして、普通なら上手いバランスで、しっかりとホルダーに収まっているはずの酒瓶に強襲されて、眼鏡を壊されなければならなかったのでしょう?」


 う、と僕は答えに詰まった。それと隊長と…


「あ」


 ふと、船長室に転がった酒瓶の数を思い出した。


「判りました? つまりそれは全て、ここ頻繁に出没する、悪質な『酒蔵荒らし』のせいなんです… ねっ、ヘルさん」


 そしてにっこりと隣に視線を落とす。だが言われたほうは、うるさいなあ、とばかりに上目遣いで船長を睨め付けるばかりだった。


「えーと… つまりこうゆうことですか? 『隊長が最近ちょくちょく酒蔵におかみさんの許可も無しにやってきては、酒を乱暴に物色して持って行く』『だから防犯用にロックをつけ直そうとした』」


 ぱちぱち、と船長は手を叩いた。


「おおさすがムラサキ君、それで正解」


 …そこまで言われて判らなかったら、さすがに僕もアホだ。


「ですからさすがに昨夜は、ヘルさんにも大人しくしていてもらおうと、ワタシもがんばったんですがねー… 力不足でした」


 ふう、と船長は天井を見上げ、わざとらしい程のため息をついた。そして両手を広げ、古典演劇めいた口調でこう高らかに宣言した。


「そして悲劇は繰り返されたのだ!」


 やれー、とフランドがはやし立てる。


「…いやあ、さすがに私も心が痛みましたよ。ヘルさんのことだからワタシの管轄なのに、お二人を巻き込んでしまったばかりか、事故にまで遭わせてしまった… 実にこれはワタシの不徳の致すところであります」


 もしかして、今日の隊長の不機嫌と、これでもかとばかりの寝汚さは! …そりゃあ寝不足の上、深酒なら… 仕方ないだろう…

 僕はもう腹いせに、どんどん船長に言葉をぶつけて行った。


「だからって船長! みんなまで、騙す事無かったじゃないですか! あくまでこれは隊長に対する罰ゲームだったんでしょ!」

「だって『隠れんぼ』は人数が多いほうが楽しいし。それにわざとらしい方法取ったおかけで、このひとにハンディもつけられたし。ヘルさんアナタ、途中でやる気無くしたでしょ」


 くくく、と船長は笑う。それに対しては、さすがに隊長も面白くない様だった。ワイングラスを一気に空にし、船長の膝に空いている手を掛け、立ち上がる。そして細いその腕を、するりと相手の首に回した。

 …あまり見たくない光景が目の前で展開されようとしていた。


「だいたい、あんたが自分で捜すなんて言うの、おかしいって思ったのにさあ…」


 船長の目の前に、隊長の空のグラスがゆらゆら揺れている。

 ぞく。何だこの色気は… この雰囲気は…!! やめろやめろ、僕にはその気は無い!!


「まーさーか、ここでみんなで楽しく酒飲んでるなんてさあ。ホントずるいよ。あんたは…」

「まあまあ」


 船長は隊長のグラスにさりげなく、血のように赤いカベルネのワインを足した。

 ふん、と一瞬、隊長の鼻息が荒くなったが、とりあえずは目の前の酒が重要な様だ。そのままひょい、と彼は船長の膝の上に座り込んだ。…恐ろしいことに、ちゃんとサイズ的に収まっている…


「さて納得いただけましたか? ムラサキ君」

「…はい」


 納得したくはないが。


「という訳で、君もゲームオーバーです。賞品の『食べ放題、飲み放題』を楽しんでください」

「はあ」


 納得… いや、できない。何か知らないが、したくない。

 そんな自分が次第に大きくなってくるのを僕は感じていた。だけど具体的に、何に対して? と問われると、それが上手く出て来ない。胸の中で、もやもやとわだかまっているばかりだった。

 だがここのクルーは、僕に考える時間など与えてくれやしない。


「うわっ!」


 思わず腕を引っ張られ、僕はその場に倒れ込んだ。目の前に、大きなコップがぐっ、と突き出される。

 そのまた向こうに、にやりと笑うボマーの顔があった。…いい加減出来上がっている顔だ。


「呑め呑め! お前もガンガン行け!」


 言いながら彼は、僕のコップにビールを思い切り注いだ。


「ちょ、ちょっとボマーさんっ、こぼれるこぼれるっ」

「いいじゃなーい」


 ぽん、と背後から肩を叩かれる。フランドもいい気分に出来上がっている様だった。ただでさえ露出の多い彼女の肌は全体的にほんのりと赤みがかっていて、…色っぽい。


「まあ、今日は無礼講だって言うし。おかみさんにガミガミ言われずに、イイお酒、好きに飲めるんだったら、こういうのもたまにはいいじゃない? チャンスをアリガトっ、タイチョ」


 ふん、と隊長はその言葉に露骨に「無視」を返した。彼女はふふーん、と笑うと、スツールに足を組んで座り、自作のカクテルを口にする。


「…それ、何ですか?」

「何かしら。ラムベースで色々作ったけど… もう忘れたわ」


 なるほど、彼女もかなりの酒豪らしい。しかしきっと頭ははっきりしているのだろう。

 だったら。


「あのー」


 何だよ、と半分座った目で、ボマーはくいっとこっちを向いた。


「皆さんはどうやって、ここにたどり着いたんですか?」


 全員の動きが一瞬止まる。

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