第6話 関わりたくないひとと関わりつつ「何でこうなるの?」
「ムラサキ君… 扉開いてるけど…」
「あ、今行きます」
サンドイッチの皿を手に僕は中二階に上がった。
すると、いつもだったら装飾過多の壁、せいぜい飾り戸にしか見えない、奥の扉が左右に開いていた。
そうかこうやって開くのか、と僕は何となく奇妙な気がした。
「えー… とにかくドクター、行きましょう」
おっとりと黙って笑いながら、彼女はうなづいた。
ダウンライトだけが灯る、薄暗い通路を僕らは足音をさせること無く進む。他のスペースより上等な絨毯であることが何となく判る。
それにしても長い。
本当に船長室につながっているのか? と僕が疑いかけていた時だった。
微かに歌声が、聞こえた。
「…?」
低く、甘い声。こっち、という様に、ドクターは一歩前へと足を踏み出した。あ、と僕は自分の足が止まっていたのに気付いた。
やがて、広い階段が視界に入ってきた。
僕らが居たのは中二階だった。つまり通路は階段の踊り場へとつながっていたのだ。
真ん中に一階へ下りる広い階段と、壁側に二階へ行くものとがある。声は、一階から聞こえてきた。
ドクターは迷わずに広い階段を下りて行く。僕は慌ててそれを追いかける。そして階段に背を向けた黒いソファへと近づいて行った。
何かがちらちらと明るくなったり暗くなったり、不規則な光を放っている。良く見ると、そこには暖炉があった。
濃い赤のどっしりした木製のそれは、天井まで伸び、全体的には落ち着いた色調のこの部屋のアクセントになっている。
そしてそこには、確実にオーダーメイドだと思われる様な、ぎっしりと細かい飾りが刻まれている。…他の部屋にも無論、あちこちに良い木材は使われているし、飾りだって半端じゃない。だけどこの部屋のものときたら。
ソファもそうだし、その前で炎をてらてらと映しこむマーブルのフロアテーブルにしても同様だ。だいたい何なんだこの部屋の広さは。そう言えばここは一階で…二階もあって、二階にも確か廊下と扉が見えたから… って、それ、全部「船長室」ってことか!?
…何か、なあ。
僕の今までの常識を、この船はいつもことごとく破ってくれるんだよなあ…
と、それどころではない。ドクターは歌声に誘われる様に、大きなソファの方へと近づいて行ったのだ。そして誰かが居るかの様に、そっと腰をかがめ、のぞき込んだ。
「…元気?」
歌声が、止まった。
「んー…」
すると、その声につられるように、白い細い手が、ソファの背もたれを掴んだ。…寝そべっていた隊長が、身体を起こしたのだ。
こんなに簡単に起きるなんて。僕は正直、かなり驚いた。
彼は前髪をうるさそうにかき上げながら、顔を上げた。その瞬間、何の偶然か、視線が合ってしまった。
心臓が、止まるかと思った。
「…何やってんだよ、そんなとこで」
「…は、はい」
「突っ立ってないで、座ればいいだろ…」
「は…」
慌てて僕は、サンドイッチの皿をテーブルに置いた。
テーブルの上には、ボトルが数本、空のキャンティとグラスと一緒に置かれていたから、とりあえずそれをそおっと避けて。そしてとりあえず、開いていた一人掛けのソファへと座った。
ドクターは僕の向かいだ。暖炉の炎が、彼女の透ける様な肌の白さと長い髪の黒のコントラストを綺麗に映し出していた。
けどこの炎、どうやら本物ではないようだ。確かに姿も熱も音も、本物そっくりだけど、…やっぱり微妙に違う。
隊長が座っているのは、四人が楽々座れる程大きなものだ。そこに彼は、片膝を立てて、脱力しきった体勢をとっている。
「…お酒… 呑んでたの?」
ドクターは笑顔で問いかけた。
「ふぅん… まあね。寝てた」
隊長は手の甲で瞼を擦りながら、あくび混じりに答える。
「…あ、サンドイッチ、どうぞ…」
僕は慌てて言った。だが隊長は、あまり興味もなさそうに、ちらっと見ると、またソファに横になってしまった。
せっかく持って来たのだけどなあ、と僕は王子が甲斐甲斐しくつまみ上げていた姿をふと思い出していた。
「あの! 隊長!」
何か少しでも言ってやりたい。僕にしては、珍しく、そんな勇気を出したつもりだった。だが。
返事は無かった。
「…寝てるけど…」
ドクターがぼつんとつぶやく。僕は腰を浮かせて目を凝らした。
「もう?」
彼女は小さくこくん、とうなづく。
「信じられない…」
本当に、信じられない。だって一応、僕らは「非常事態」だからここに避難してきたというのに。
「…どうしたの… ムラサキ君… 何か… 体温上昇? …血圧も上がっていそう」
「わ、判りますか?」
「何となく…」
そうだった。血圧と言うか、…これは怒りだ。苛立ちだ。
普段はあまりにも怖いので、考えることすら放棄していた、隊長への苛立ちだった。
「…ドクター… 隊長は、みんなの事、本当は嫌いなんでしょうか?」
「…?」
表情を変えること無く、彼女はただ首を小さく傾げる。
「だってそうでしょう? 船の仲間が消えたって言うのに、知らん顔で寝てるんですよ?」
「…そうね」
「もしかしたら、みんなが酷い目に遭ってるかもしれない… もしかしたら… 侵入者に殺されてるかもしれないのに…」
「…」
あ、と僕はそこまで口走ってしまったことを後悔した。
だってこれは愚痴だ。少なくとも、ドクターに言うべきことではない。だけどどうしても、言わずにはいられなかった。
「あ、あの…」
「ん?」
気を悪くさせたのじゃないか、と僕は彼女の表情を伺う。
だけど彼女は、柔らかい笑顔で耳を傾けているだけだった。僕はほんの少し、安心した。
そして少しの間、僕たちの間を、沈黙が支配した。
「…それはね…」
二分ほど経った時だったろうか。沈黙を破ったのは、ドクターの小さな声だった。
「隊長は… 犯人が分って… いるからなの…」
「は?」
僕は思わず問い返していた。今、何って言った?
「判って… って… どうして…? いえ、それより、一体誰なんですか? ドクターも、あの、この犯人… いや、犯人って…犯人が居るんですか? 知ってるんですか?」
だが僕の質問は、あまりにも彼女には、勢い良く、矢継ぎ早に過ぎた様だった。
長い長い時間が経った様に感じた。
やがて彼女はにっこりと笑い、少しだけ前に身体を傾けると、人さし指を立てた。
「…エックス君…」
「は? エックス… くん?」
思わず問い返した。何ですか、それは。
「いたずら好きの…謎の… 宇宙生命体で…」
「…」
「好物は… 白玉だんご… 弱点は… 浸かり過ぎの… ピクルス…」
は?
数秒。
僕は思ったことを口に出すべきか迷った。そして思い切って。
「あの… ねえ… ドクター… それ、嘘… ですよね?」
「え」
すると、彼女はゆっくりと口を押さえた。
「…あら… ムラサキ君… どうして… 分ったの…?」
僕は大きくため息をついた。
「…そりゃ誰だって、判ります… お願いですから、ドクターまで、ふざけないで下さいよ…」
「別に… ふざけてるつもりは…無いんだけどなあ…」
ふふふ、と彼女は微笑んだ。…結局僕はこの笑顔には勝てないんだ…
「…あのね… ムラサキ君」
「何ですか」
彼女の言うことなら、出来れば僕は全て許容したい。だけど、つい口調が冷たくなってしまう。タイミングの問題だ。
言ってから、僕は「ああっごめんなさい」と心中つぶやいた。「あなたにそんな口調取るつもりは無かったのです」と。
だけどドクターは、僕のそんな気持ちなど知ってか知らずか、いつもの調子で続けた。
「隊長は… 嫌いじゃないの… みんなの事…」
「また冗談ですか?」
でもまた隊長の弁護だ。そう思うと、やっぱり少し…
「…そんなの、信じられないですよ」
僕は首を横に振る。
「…だって… 一緒に… いられる人じゃ… ないでしょ…? …嫌いな人となんて…」
「!」
僕は弾かれた様に、ドクターの方を見た。確かに。
このひとが。この某若無人の俺様体質が、嫌いな奴と同じ船に居られる訳が無い。
嫌いな奴だったらその強さでとっとと蹴散らすか、この船から宇宙服も無しに放り出して終わりだろう。(よく考えたら僕だってその寸前だったじゃないか)
「…でも、じゃあ、何で… 何でですか? 何で、このひとは」
しかしドクターはその問いには答えず、いつもの穏やかな微笑みを浮かべるだけだった。
*
やがて船は夜時間に入った。
ドクターはソファの手すりに寄り掛かり、…寝てしまった。
そして僕は、と言えば、ボマーの連絡が入るのを待っていた。ひたすら待っていた。
だが音沙汰はまるで無い。
もう、無事でいるとはとても思えなかった。この先の予測なんて、まるでつかなかった。
となると。
この二人を守る… 守らなくては、ならない?
そんなこと。僕は内心否定する。いくら何でも、僕がこの隊長を守るなんて、ありえないことだ。冗談としか思えない。
だがその一方で、僕の中では、先程言われたボマーの言葉が鳴り響いていた。
――隊長には自分を守ろうとする気がこれっぽちも無い――
――魅入られた様に危険な方へ突っ込んでしまう――
でもそれって。自分を守る気が無いって。
それは「死を恐れない」んじゃなくて、「自分の生死なんてどうでもいい」ってことじゃないのか?
ぶるん、と僕は頭を振る。やっぱり、理解できない。
だってそうだ。人間、生まれたからには生きなくちゃいけないものだ。おばーちゃんも言っていた。生まれてきたこと自体が一つの奇跡みたいなもんだから、それを粗末にしてはいけないんだと。
僕は別にそれに疑問を持ったことは無い。だからそう考えない人が居ることなど、考えたこともなかった。
だけどこのひとが、そうだと言うなら…
相変わらず寝入っている隊長の細い肩は、ソファの上で小さく上下している。
理解しようと試みる。だけど無理だ。
一体どうして、この強い人が。綺麗なひとが。この船で、何不自由無く楽しいことばかりを追い求めている様なひとが、そんなこと考えるって言うんだろう。
判らない。僕はふう、とため息をついた。
その時不意に、テーブルのサンドイッチに目が行った。
そう言えば、王子はこれを作るのに一生懸命だったな。…隊長とは、まるで逆だ。
そう言えば、そろそろこれも、やばいんじゃないだろうか。作ったのは昼だし、生ものばかり使ってるし、この部屋は空調も良く効いている。冷蔵庫に移すか、それとも、もういっそ処分してしまうか…
そう思って僕が皿を取ろうと腰を浮かした時だった。
ぱしっ。
白い細い手が、見かけでは想像できない程の力で、僕の手首を掴んでいた。
「…取るなよ…」
「隊長… お、起きてたんですか…」
「…」
無言のまま、彼は凶悪なまでの眼差しで僕を真っ直ぐ見つめた。背筋が凍り付くのを僕は覚える。
「ご、誤解しないで下さい。生ものが入ってるから、もうさすがに…」
「関係ないよ」
離してくれない。そんなに腹が減っているんだろうか?
「だめですって、お腹壊しますって」
僕はそのまま皿を上げようとした。だけど、手が上がらない。
「…」
「…」
ぎりぎり、と僕は歯を食いしばった。自分が力がある方だとは思っていない。でも普通の成人男子程度はあるはずだ。なのに… どうしてこのひとは…
根負けした僕は皿から手を放す。はあはあ、と自分の息が上がっているのに驚いた。
と、その時、隊長の手も外れる。チャンス! 僕は素早く、再び皿に手をかけた。すると。
バチン!!
「痛あっ!!」
手を、したたかにはたかれた。
「お前ねえ… しつこいよ…」
…赤くなってる… 何って力だ… だけどそうやって僕を見てる視線は、あの半分眠そうな怒った様なもので…
ああもう、一体僕にどうしろって言うんだ!
「あーもう、知りませんからね!」
じんじん、と手の甲がしびれてる。仕方ないなあ、と僕はソファに座り直した。
そして隊長は、僕のそんな心の叫びを聞いているんだろうか? …いないだろうな。けだるげに身体を起こした。
…食べ始めるんだろうか?
だが隊長がサンドイッチに手を伸ばす様子はない。ただぼうっとした視線で、ゆらゆらと揺れる暖炉の炎を見つめるばかりだ。
「あの… 食べないんですか?」
僕は改めて、恐る恐る問いかけた。食べるなら食べる、食べないなら食べない、とはっきりさせて欲しかった。
何か、すごく、対応に困る。
「お前には関係無いよ…」
面倒臭そうな答えが返ってくる。
「俺に持って来たんだろ?」
「…は、はい」
「じゃあコレは俺のモノだ。お前には関係無い」
関係無いって。
そう言えば、まともに会話したのって、初めての様な気がするんだけど。
と、彼はいきなりソファから立ち上がった。
「あ、隊長! 何処行くんですか!?」
返事は無い。彼はゆっくり、ゆらゆらと階段に向けて歩き始めた。
どうしよう。
僕はしばらく彼の後ろ姿を目で追う。だが階段を上がって行く。…って一体。
ちら、と向かいのソファを見る。ドクターはまだ眠っている。このひとを一人にするのは… だけど…
ええい!
僕は思い切って立ち上がり、隊長の後を追う。階段を上がると、通路を扉に向かって歩いて行く隊長の姿が見えた。
出て行くつもりか。
細い光を狭めて扉が閉まる。慌てて僕はその扉に取り付いた。すると案外スムーズに開く。内側から開けるのは大丈夫らしい。
飛び出してみると、既に隊長は、エレベーターの方へと向かって行くところだった。
「隊長! 一人で出たら危ないです!」
だが彼には僕の声など聞こえない様だった。
「…くそっ!」
僕は思いきって走り出した。背後で扉が音を立てて閉まった。
「…帰りましょう、隊長!」
もう何度同じ言葉を言っただろうか。
何とか隊長が乗ろうとするエレベーターへは滑り込みセーフ、で入ることが出来た。
そしてそれから、もう何度も何度も僕は同じ言葉を繰り返している。だけどそれはことごとく無視されてきた。
手を伸ばして止めようともした。だが隊長は背中に目があるのではないか、という様に、僕の手をするりするりとかわして行く。それは野良猫を捕まえようとする時の感覚にも似ていた。
そうこうしている間に、いつの間にか僕の目の前には、食堂の扉があった。
何でまた?
隊長はそのまま扉を開け、中へと入っていく。
夜時間なので、常夜灯も光度を落とし、廊下だの食堂内部の辺りの調度品の影を絨毯に落としている。なまじ豪華なだけに、それはひどく存在感があって不気味だ。
ボマーのおかげで一度引っ込んだ寒気が復活するのを、僕はじりじりと感じていた。…一人で残されるのは、たまったものじゃない。
仕方ない。僕も慌てて食堂に入る。食料を漁りにきたんだろうか? だがどうやら違うらしい。隊長はキッチンやストックルームとは違う方向へと歩いて行く。
「…え? バールーム?」
僕は思わずつぶやいていた。そう言えば、そんな部屋もあった…かも…食堂から目隠しの壁をはさんだ続き部屋にあるのだ。ただ僕はまだ入ったことが無かった。と言うか、おかみさん曰く「あんな小洒落たとこ使って呑む様な子がうちに居るかい」
全くだ、と僕は思う。
グラスが下がったラックのついたバーカウンター、所々にファブリックのソファやテーブルが置かれ、食前酒を飲みながら歓談を楽しめるようになっている。…シックで大人でゆったりと酒の味を楽しみながら…
…似合わない。この船の誰に似合うって言うんだ。
当人達もそれはよーく判っているらしい。使われていないそこは、少しばかりほこりもつもり、まるで倒産した高級会員制クラブに見える。
朝一番の捜索でこの場所を調べた時の事を思い浮かべる。ここは関係ないよな、と。
なのに。
隊長はそんな僕の思いは全く無視し、真っ直ぐバイカウンターの脇の壁に立つと、壁にすっと手を当てた。
「あ?」
思わず僕は声を立てていた。す… と、壁の一部が、ゆっくりとスライドし始めたのだ。
「か、隠し部屋ぁ?」
隊長は答えない。仕方なく、僕は僕で、彼の横に立ち、中をうかがった。だけどその奥は真っ暗闇で何も見えない。
隊長も軽く眉を寄せ、その闇をにらみ付けるだけだった。
と、その時。
かたん。
隊長の片眉が、ひゅっと上げられた。
「な…」
軽く、鋭い音。いつの間にか、隊長の手には、ナイフが青白い光を放っていた。…何か…いるのか?
「だめです! 隊長」
僕は思わず隊長の肩を掴んだ。
だけど。
「放せよ」
肩越しに、鋭い視線が、僕の眼に突き刺さった。
…違う。今までの、眠そうで気怠げな眼と、明らかに違う。
顔つきまで。隊長の口元には、凶悪な笑みが浮かんでいる。
僕は自分の身体が恐怖で一瞬のうちに凍り付くのを感じていた。だってこのひとは、僕程度の手を振り払うことなんて、凄く簡単なはずだ。なのにどうして。
僕の怯える表情の変化を… 楽しんでいる? そうだ、きっとそうに違いない。
…どのくらいの時間、彼はそうしていたのだろう。少なくとも、僕の感じていた時間と、現実の時間には、大きな差があったはずだ。
いきなり隊長の身体は僕の手からするりと外れた。僕は彼が闇の中へ消えていくのを、少しの間、見送ってしまった。
そして更に数秒。
はっ、と僕は我に返った。そして慌てて小銃をポケットから出し、目の前の暗闇に飛び込んで行った。
…怖いんだってば! と内心叫びつつ。
一寸先は闇。
ではなく、一寸先も見えない闇が、入り口の扉を閉めた後には広がっていた。
見えないだけでも困りものなのに、どうやらそれだけではない。壁の様なものがあちこちにごちゃごちゃとあって、僕の行く手を阻んでいた。後戻りしようにも、来た方向すら判らなかった。この先どう進んでいいのかもまるで見当がつかなかった。
仕方なし、僕は手探りでじりじりと進んでいた。
しかし、だんだん眼が暗闇に慣れてくると、天井の方に微かに明るさがあることに気が付いた。
そうすると、壁と思ったものが棚だったことに僕は気が付く。見通しは効かないが、高い棚の向こう側に光源はあるようだ。
だとしたら、まずその光源へと進む方がいいかもしれない。ただ闇雲に隊長を捜しても、何にもならないだろう。一応手には銃を構えている。
ふう。
呼吸の音。そして心臓の音。
静かな闇の中で、それだけがひたすら僕の耳には鳴り響いていた。
たまらない。こんな緊張は慣れていない。逃げ出したい。
そう。一体どうして僕は、今ここでこんな事してるんだろう?
何となく、僕は後悔している自分に気付いた。
――オレぁ関わりたくねえ――
ふと、ボマーの言葉を思い出す。今ならすごく、その意味も判る。確かに彼に関わったせいだ。今僕がこんなことになっているのは。
だけど、つい。
思ってしまったのだ。思いたくもないことを。
放っておけない。
隊長の予測の付かない行動に、そんなものを、確実に、自分は感じてしまったのだ。
もしかして。そしてあらためて僕は思う。もしかして、ボマーも、こんな感情に振り回されるのが嫌で、隊長にはなるべく関わりたくないのかもしれない。
でもそれって?
何処かで覚えのある感覚だ、と僕は思った。
何だったろう。ええと。つい手を出したくなる…
「あ!」
思わず小さく声を立てていた。
キッチンでの、王子の様子が、ぼんやりと僕の心の中に広がったのだ。
何で。何で。何で。
思い起こしてから自問する。そんな訳、ないじゃないか。冗談だろう。そんな訳ない。
でも―――
僕は考えつつも、足を進めることは忘れていなかった。
やがて天井の光が、次第にはっきりしてきた。幾つ目かの棚を抜けた時、長い棚の向こうに、明るく照らされた壁が見えた。
居た。
ほんの少し、僕はほっとした。隊長の細いシルエットが逆光に浮かんでいた。足音も立てずに、彼は棚の間を光に向かって進んでいる様だった。
「たいちょ…」
呼びかけようと、した。が、その時。
僕は背後を振り返った。気配がした。辺りを見回した。だがそれらしいものは見当たらない。気のせいか?
向き直り、僕は足早に隊長を追い掛けた。だけど隊長は既に、棚の影から光の方へ飛び出していた。
その様子は無防備としか言えない。どうするつもりなんだ!
僕は息を呑む。
だが隊長の手のナイフは、だらりと下ろされている。…何もいないのだろうか? いや違う。
隊長は光に向かって視線を外してない。何かその先に目的のものがある…はずだ! 僕は足を速めた。
―――その時だった。
「あっ!」
ぐにゃり。
足元に、奇妙な感触。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
思わず僕は跳ね退いた。尻餅をついた。
全身が思い切り粟立っているのを感じる。心臓の鼓動が急激に激しくなる。どきどきどきどき。
何か居る。だけど、何? 座り込んだ僕は、ゆっくりと、足元を見た。
「え」
そして思わず、目をむいた。
「み、ミハイルさん?」
何で彼が!
そこには、隠すようにカバーが掛けられた、ミハイルの身体が転がっていた。普段でも青白くなりやすいその肌が、闇の中に白く浮かび上がっている。
その時僕の中で、何かが弾けた。
「ひぃぃ…」
喉の奥が引きつる様な感触。歯ががたがたと音を立てているのが判る。なのにその時、目の端で何かがさっと動いた。僕は思わず手にした銃を向けていた。
その時だ。
がしっ!!
頭に強烈な衝撃が突き刺さるのを、僕は感じた。そしてそのまま、身体を床に叩き付けられるのを。
ちかちか、と目の前に赤や青の火花が飛んだ。ああもうだめだめだめ…
きっとこれも幻聴だよ。だって隊長がこんなこと言ってるんだから…
「ずるいよ」
…何でそう言う訳?
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