第5話 この人にだけは助けを求めたくない

 …と思っていたら。


「ああ~アリさんの通信機の反応が、消えちゃったぁ…」


 その場に居た者(ドクター除く)が、その時一斉にため息をついたことは言うまでもない。


「おい王子、…もうちょっと、がんばってみてくれねえ? おっさんと連絡取れるか…」


 ばたばた、とボマーは階下に降りて行く。僕もソファから立ち上がり、王子達が見える所まで行った。

 ああ、顔色が悪くなってる。元から王子は白い肌なのだが、その横顔はいつも以上に白く見えた。ミハイルはその横の、船内コントロールパネルで、警報装置の記録をチェックをしていた。


「おい」


 ボマーは上がって来て、僕とドクターの姿を確認する様に交互に見た。


「…駄目… なんですか?」

「あー、さっぱりわからん」


 言いながら、ボマーはアリの通信機の信号を何度も何度も検索し直している王子の方へと視線を飛ばしていた。だが何度やっても同じらしい。

 自分の方はもう駄目だ、と思った様で、王子は立ち上がり、ミハイルの方へと向かった。


「どう? みっちゃん」

「…装置は全て正常に働いています。記録にもそれらしいものはありません。何者かに侵入されたとは、とても…」


 そう言いながら王子の方を見た時、ミハイルの表情が、険しいものに変わった。


「…王子?」


 あれ、どうしたんだろう、と僕はその時思った。二人は小さな声でごそごそと話し合っている。しかもその様子と来たら、…何か… 妙なのだ。

 だってそうだ。何か王子がつぶやいたと思うと、急に作った様な笑顔になったり、またそれを見て、ミハイルが手を取り、こっちのソファへと連れて行こうとする。だがそれを王子が止める。何か必死な表情で。

 そしてじっとミハイルの顔を見つめると、耳元に口を当てた。な、何だと言うんだ。

 僕は訳も分からないままに、じっと見入ってしまった。


「おいムラサキ、どーした?」

「あ、ボマーさん、あれ…」


 ん、とボマーも階下をのぞき込み、軽く左耳に手を当てた。


「あー別に、心配ない心配ない」

「ボマーさん」

「ま、とにかくあっちはいいって」


 手をひらひらと振る。…そう言われても。

 ミハイルは何やら、納得した様にうなづき、王子の肩に手を置いている。そしてまた何か言うのだが、今度は王子が大きく首を振った。

 僕は何となく、見ているのが恥ずかしくなってきて… ソファに戻ることにした。

 だって仕方ない。この船の場合、船長と隊長という一番恐ろしくもいい例が居るものだから、…そういうことがあってもおかしくないじゃないか、って… つい考えてしまう。


「おいムラサキ、ちょっと来い、お前ぜーったいこんなの手にしたこと無いだろうから、オレ様がきっちりレクチュアしてやるぜっ」

「縁が無い人生の方が良かったなあ…」


 つぶやいても何にもならないのだが。

 仕方なくボマーの近くに陣取ると、彼の説明を耳に入れる。でもまあ、実際このひとは説明は上手い。

 と言うか、必要最低限以上のことは言わないのだ。

 例えばプロフェッサーだったら、この手にした銃の仕組みだの何やらも同時に説明する。たぶんある種の人々にはそれでいい。だけど僕にはさっぱり判らなくなってしまうだろう。

 その点ボマーのアドバイスは簡単かつ実用的だ。


「いいかムラサキ、とにかく普段はこのモード。でもって敵が来たら、目線をこの十字に合わせ、とにかく引き金を引け。そんだけだ」


 そういう風になってるから、と彼は締めくくった。


「習うより慣れろ、という世界だしよ」

「はあ」


 つまりは皆さんそういう世界を慣れて来たということだ。


「で、いかんと思ったら逃げろ。ただし、ドクター置いて逃げたら、お前を後で殺すからな」

「は、はい!」


 無論僕はそんな気はさらさら無い。ドクターだけは何があっても守りたい所だ。何と言っても、彼女は今のところ、この船における僕の唯一の安らぎなのだ…

 その彼女がふいに首を傾げた。


「ん? どしたんだ? ドクター」

「ん… 何か… 静か… ね…」


 はっ、と僕達は顔を上げた。


「そう言えば…」


 銃の説明に夢中になっていて、気付かなかったが、階下の気配がまるで無くなっていた。

 まさか、と僕とボマーは同時にソファから立ち上がっていた。


「あちゃあっ!!」


 ボマーはぴしゃ、と額を叩いた。


「何処行きやがったあいつら!!」


 ばたばた、と彼は階段を下りた。僕も続いて降りた。

 操縦席には二人の姿は無かった。綺麗さっぱり消えていた。


「やっぱり、『神隠し』だ…」


 思わず僕は口にしていた。


「馬鹿野郎! そんなことある訳ねーだろ!」

「だって…」


 正直、その時の僕の心と言えば、その得体の知れないことに対する恐怖で一杯だったのだ。ああすみませんドクター、あなたを守る、ということすら、半ば消えて居ました。懺悔します。

 そしてそんな僕を見て、ボマーはふと気がついた様に言った。


「…おいムラサキ」

「な、何ですか」


 嫌な予感が、した。


「お前、もしかして、霊とか怪談とか呪いとか…」


 にやり、と彼は笑った。


「い・や・だろ…」

「やめて下さい~」


 僕は思わず叫んでいた。そして一気にこうまくし立てていた。


「仕方ないでしょ、小さい頃からそうなんですよ。だってボマーさんそういうこと無かったですか? ほらだって子供の頃とかって、怪談とか大人が妙に嬉しがって聞かせるじゃないですか! 僕そういうの聞いた夜の、暗い廊下や、寝てる時に起き出したトイレとか、もう嫌で嫌で嫌で… ダッシュで走って逃げたくなるんですよ~」

「けどここは明るいぜ」


 素晴らしい突っ込みをありがとう。

 そしてボマーは、半分興奮状態にあった僕から、いきなり、銃を乱暴にひったくった。


「あ…? 何を…?」


 何が何だか、僕にはさっぱり判らなかった。

 そしておぅい、とドクターを呼ぶ。何ですか、と透明な声がふんわりと人の消えた船橋に響いた。


「ああっ!」


 かち、と安全装置の外れる音。そしてその手は、まっすぐ銃口をドクターに向けていた。

 空気がぴん、と張り詰めている。いつもの彼の、いたずらっぽい目線はそこには全くなかった。

 僕は全身の血が一気に引くのを覚えた。


「な、何するんですか!」


 その指が動こうとする時―――

 僕はようやく、銃を構えたボマーの腕に掴み掛かることができた。

 だけどすぐに、反対の手で襟首を捕まれる。あっという間に僕は、床へ背中から叩き付けられていた。


「ぐ…」


 押さえつけられた喉が苦しい。何って力だ。

 そしてぐっと、鼻先に銃が突き付けられる。

 何が… 一体何が…

 大型猫を思わせるボマーの目が、ぐいっと迫って来る。

 僕は喉がからからに乾くのを感じた。

 何が何だか判らない。もしかして、いきなりこの船の大気の中にウイルスだのナノマシンだのが吹き込まれて… (これはプロフェッサーの受け売り)頭がどうかしてしまったのじゃないか、だったら皆居なくなった訳も分かるけど、でも今ここで僕はどうしようどうしようどうしようもないじゃないか、とくるくると頭だけが回っていた。

 ごくん、と息を呑む音だけが響く。


 と。


 次の瞬間、ボマーはぷわっ、と大きく吹き出した。


「な…」


 僕は大きく目を開けた。大口を開けて笑いながら、ボマーは立ち上がった。


「あ、ドクター、今のはただの冗談だからさー」

「はい… そうでしょうね…」


 にっこり笑って彼女は再びソファの方へと戻って行った。


「い、一体…」


 何が一体どうしたんだ。

 僕は痛む首をさすりながら身体を起こした。

 目の前には、まだ笑いが止まらないらしいボマーが居る。


「…い… いい加減にして下さいよ! こんな時に」

「ふん?」

「僕はもう、心臓が止まるかと思いましたよ!」


 するとボマーはにやりと笑い、顔を上げる。


「んー、でも『神隠し』とどっちが怖い?」

「そ、それは…」


 答え様が無い。状況が違う。

 でも。

 今この現在で考えてみれば。


「…今のボマーさんの方が、…怖いです」

「だろ。見えねー何とやらより、現実の敵の方が怖いに決まってるだろーが」


 はあ、と僕はうなづいた。


「ま、お前の危機対処はまあまあってとこだな。努力賞だ」


 う~、とうなる僕に、彼は銃をぽんと投げ返した。


「オレぁ今から、下へ降りるから。お前が少しでも動けないと困るのよ」

「下へ? 何でまた」


 確かにそうである。


「お前頭働かせろよ。ホントに侵入者が居るとしたら、ここを使って籠城戦に入るしかねえんだ」

「籠城戦」

「で、ついでに言うなら、ここの出入りはこのエレベーター一本だ」

「はあ」

「…と言うことは、ここにたっぷりと、武器とか色々揃えなきゃいけねえってこと。判る?」


 彼はにやりと笑った。わかりました、と僕も答えた。


「…でも、そんな、一人で行くんですか? アリさんだってその途中で消えてしまったんだし… 僕も行きます!」

「あー、かえってお前は邪魔」


 彼はひらひら、と手を振った。僕もさすがに、その言葉にはかちんと来た。


「邪魔って…」

「…って言うか、もしもの時、他人を守りながら戦うっての、俺は苦手なの」


 僕はさすがに言葉に詰まった。確かに、僕じゃ足手まといだ。彼と一緒に戦えるどころか、見殺しにされるか、彼の邪魔をしてしまうのがおちだろう。


 えー、でも…


 何か他に方法は無いんだろうか。僕は必死で考えた。

 そして、ある一つの恐ろしい考えが浮かんだ。


「そうだ… ボマーさん、隊長に力になってもらいましょうよ」

「…お前今、何って言った…?」


 彼は今聞いたことが信じられない、と言う様に、顔をゆがめた。


「…だから隊長…」

「ダメーっ!!」


 彼は両手を広げて、僕の言葉を遮った。


「何でお前今頃そういうこと、思いつくんだよ! 勘弁してくれ! 隊長は、隊長だけは、俺は、下手に動いてもらいたくねぇ!」


 僕はぽかん、として彼を眺めた。


「…だって、強いんでしょ? 隊長… って… 僕はそりゃ、直接は見たこと無いけど」


 彼は軽く目を閉じて腕を組み、うーん、とうなった。


「…確かに、強い。じょーだんじゃなく、強い」

「なら…」

「鬼の様に強い。アリのおっさんですら、ははーっ、と土下座する程の使い手だ」


 って。

 アリの戦っている姿なら、かろうじて見たことがある。その時には、その強さに、ほとんどうっとりとしてしまったくらいだ。そのくらい、「本当に強いひと」の戦い方というのは、ある意味「美しい」ものだ。でも、そのアリが土下座するくらいって…


「ところが、だ」


 ふう、とボマーは眉を寄せ、彼らしくない深いため息をついた。


「この船で、一番危なっかしいのも隊長なんだ。…お前なんて、まだまだまだまだマシだぜ。苦手だけどよ、守れば済むんだからよ」


 …どういうことだろう? さすがにその疑問は顔に出たらしい。


「あー、俺も言葉が足りないよな。つまり、だ」


 僕ははい、と神妙な顔でうなづいた。

 このひとは基本的に説明が嫌いだ。説明より行動、行動するには訳がある。造反有理。それは違うか。

 なのに、その人がいちいち説明する。したがる。と言うとこは、凄まじく重要なことなのかもしれない。


「さっきお前は、ドクターが撃たれそうなら、何とかしようとしたろ?」

「そりゃあまあ…」


 もちろんだ、と僕はうなづいた。


「危険なことだけどよ、お前はとにかく何とかして、人を守ろうとした訳だ。ま、それは人間だから、一種の本能に近いものだよな」

「そう… だと思います」


 確信は無いけど。


「けどよ、そうじゃない時は、当然、危険は普通、なるべく避けるだろ?」


 ええ、と僕はうなづいた。


「攻撃されたら身を守ろうとするだろ? それは自分の生命を守ろうとするからだよな?」


 念を押す様にボマーは矢継ぎ早に問いかけた。


「ところが、だ。あの隊長にゃ、自分自身を守ろうって気が、これっぽっちも無えんだ」

「は?」


 思わず僕は問い返していた。

 言葉の意味が判らない訳… ではない。ただ想像が全くできない。自分の身を守らない人間、なんて。

 ボマーは続ける。


「何って言うかよ… とにかく、戦いとなると、何かに取り憑かれた様に、危ねー方へ危ねー方へ、って突っ込んで行っちまう」


 何かいいたとえを探している様だったが、どうも彼には無理だった様だった。彼は無理矢理まとめに入った。


「…とにかく、危ねーんだ、あのひとは!!」


 どん、と彼は手すりを叩いた。はい、と僕もその剣幕に思わずうなづいた。


「そんな奴を上手くお守りできるのは、アリのおっさんだけだぜ。オレぁ、絶対、関わりたくねえ」


 ボマーはそう言って両手を上げた。


「じゃあ、どうしても一人で行くんですね」

「まあ、ちゃっと行って、ちゃっと帰ってくるからよ。心配すんなって」


 はあ、僕はうなづいた。

 しかしその表情がよほど不安そうに見えたらしい。


「…しょうがねえな…」


 ボマーはつかつか、と情報デスクの方へと向かうと、コンソールを乱暴に叩いた。

 何だ何だ、と僕は彼の後を慌てて追った。

 コール中のサインがモニターに現れて、点滅を始めた。


「畜生… 早く出やがれ」


 腕を組み、足首をもう一方の足の膝に乗せた彼は、苛立たしげにその足首を小刻みに動かしていた。

 長い長い時間が過ぎた様な気が、した。

 そしてやがて、鈴のような音がして、画面が開いた。と、その中に、白いしなやかな手が一瞬映った。

 だがその後は、炎に照らされたように光の加減が刻々と変わる、薄暗い室内しか見えなくなった。


「おい、隊長ーっ!! 聞いてんだろ?!」

「ええっ!」


 僕は驚いた。あれだけ彼は嫌がっていたのに。


「そっちにドクターとムラサキを入れてくれ。他の奴らは、みんな消えちまったんだ」


 向こう側は相変わらず無言だ。


「オレぁ今から、必要なものを武器庫に取りに行かなきゃなんねーんだよ。その間だけでいい。二人をそっちにかくまってくれ」


 やっぱり返事はまったく無い。


「…おい聞いてんのかよ、隊長!」


 ボマーはコンソールを殴りつける。だがやはり応答は無い。


「…仕方ねえな、最後の手段だ」


 彼はそうつぶやき、にやりと笑った。最後の手段?


「おい隊長、いい加減にしろよ! お前のサンドイッチ、食っちまうぞ!」

「はあ?」


 僕は思わず声を立てていた。そんな事でまさか。


「ぼ、ボマーさん、それじゃあ… だってさっき王子が呼びかけた時には…」

「ふん、見てろ」


 すると、船長室の扉が開く音が、中二階から聞こえてきた。


「…あ、開きました… ね…」


 だろ、と笑みを浮かべ、ボマーは通信を切った。


「何で…」

「そりゃあまあ、いくら化け物でも、腹は減ったんじゃねえの?」


 それもまた、ひどい言いぐさではあるが。


「船長室は外からだと、船長と隊長しか開けられねえ。だから入ってしまえば安心だろ?」

「そ、そうですけど… また何でそんな風に」


 それって結構不便ではないだろうか、と僕は思った。


「あー、船長曰く、出歯亀禁止、だそーだ」

「は」


 出歯亀って… 出歯亀って…


「ったくよぉ、誰がヤロー同士の何とやら、見たいって言うかよ!」


 あ、このひとはそうなのか、と僕は妙にそこで納得してしまった。ああ良かった… 僕の常識もまだ通用する。


「じゃあ、帰ってきたらまた通信入れっからよ。絶対、下手に動くんじゃないぜ」


 そう言って走り出しながら、彼は何気なく左耳のピアスをいじる。そう言えば、時々何かさわっているけれど、耳に合わないんだろうか。


「あ、ちょっと待って下さい!」

「何だよ」

「王子とミハイルさんは…」

「あ、言い忘れてたな、ほれ」


 ひゅ、とボマーは僕に向かって一枚の紙を投げた。こんな紙一枚を、良くもまあ上手く届かせるものだ。


「こいつら一応『神隠し』じゃねーぜ」


 そして彼はそうするが早いが、エレベーターに飛び込むと、下に降りて行った。


「…『すぐ戻ります―――王子・ミハイル』…?」


 でもボマーさん… この二人は通信機持っていないんですよ…

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