第2話 まずは船長、そして子供。
さてそれで、僕はフランドと下の階を捜索し始めた。
しかし下の階と言っても、これが結構広い。空き室も多い。
フランドは「開かずの部屋があってもおかしくないわねー」なんて言ってたけど、…正直、そういうのは僕はとっても嫌だ。
一つ一つの部屋を丹念に調べていたら、何か少し疲れたので、廊下の壁にもたれかかると、不意にフランドが足を止め、左耳のピアスを押さえた。
「…ああ王子。こちらフランドよ、どうしたの?」
どうやら船橋に居る王子からの通信の様だ。ちなみに僕は戦闘要員ではないので、通信機は持っていない。
「…はぁん。はいはい、判ったわ」
彼女はそう言うと、背後の僕をちょいちょい、と指先で呼びつけた。僕はよっ、と声を掛けて体勢を立て直した。
「どうしました?」
「船橋から。何か手がかりになるものはあったか、って」
「…無いですよね」
「無いわ」
大きくうなづき、きっぱりと彼女も言った。
「コンピュータルーム、船外作業用エアロックルーム、武器庫…」
彼女は自分の調べた区域を、一つ一つ指を折りながら挙げていく。そして最後にこう付け足す。
「ぜーんぶ、無し! 何ーっも、無しよ!」
「そうですか…」
「あんたの良く使ってるワラジ虫にセンサーがあったでしょ?」
「ゾウリ虫です…」
「どっちでもいいじゃない! あいつら駆け回らせてもみたけど、別に人的障害物反応なんか出なかったし…あんたの方はどうなのよムラサキ! フツーの船室の方は、どうだったの?」
「あ、駄目でした」
「駄目でした、じゃないわよ。もう… と言う訳よ、王子、聞こえた?」
聞こえたらしい。ふんふん、とその後に言われた言葉にフランドはうなづいていた。
「戻るわよ、ムラサキ」
「え、もういいんですか?」
「見つからないものは見つからないわ。それに何か、上がって来てくれって言うし」
「ええ?」
僕は思わず問い返していた。
「船橋で、何かあったんですか?」
「知らないわよ! アタシに聞いたって。とにかく王子が言うことには、何か変なコトが起きたから、一度みんな集まって欲しいってことなんだから」
そう言ってフランドは走り出した。ピンヒールの靴を履いているのに、とにかく足も速い。僕は慌てて彼女の後を追いかけた。
船橋へはエレベーターで上がる。しゅ、と扉が開き、中に入って行くと、ナヴィがとことこ、と僕らの方へと駆け寄ってきた。
「おっかえんなさーい」
「はいはいただいま」
フランドもこの子には優しい。ちょうど腰のあたりにくる頭を、よしよし、と撫でてやっている。
「みんな、あっちにあつまってるよ~」
ナヴィの指したのは、情報デスクの方だった。
僕も皆の輪の中に入っていった。王子はその真ん中で、コンソールの上に懸命に指を走らせては、呼び出しを掛けていた。
「そっちはどぉだったのよ」
フランドはひょい、と顔を上げ、隣に居たボマーに問いかけた。彼は目を閉じて口をへの字に曲げ、両肩をひょい、と上げるばかりだった。
「収穫無し? そっちも」
「ってことは、そっちもだよなあ」
「まーったくね…って」
いきなりフランドの表情が変わり、おまけに身体をのけぞらせた。何だ何だ、と僕も彼女の視線の先を追いかけた。すると。
「み、ミハイルさん…」
「こーなんだよ、なー、さっきから、みの字の奴…」
ボマーは親指を立てて眉を寄せ、げんなりとした顔でミハイルを指した。
「…いったいどーしたのよっあんた、その顔っ! あんたの取り柄と言えば外見だけなのにっ!」
のっそりとミハイルは顔を上げた。その表情に、僕は思わず背筋がぞっとした。
いや、実際ミハイルは、フランドの言う様に、元々姿形が非常に良い。
長身だし、後ろで留めた長い髪は黒く艶やかで、いつもきっちりしたものだし、顔立ちも整っている。軍か警察関係の制服を身につけたら、さぞ似合うだろう。
姿勢や物腰の良さ、というのもその一因だろうが。そういう格好をして、黙ってさえいれば、隊長とは違う意味で、人々の目を引きつけると僕も思う。
ところが。
「ただの… 何ですか…」
「ただの… いえいえ続きをどうぞ」
フランドまでその迫力に、思わず胸の前で手をひらひらさせている。や、これは迫力というより…妖気…
いつもオールバックで整えている髪も、一筋二筋と乱れている。しかし彼を、これだけ憔悴させるということは。
僕はかなり心して彼の次の台詞を待った。
「…船長の姿が、消えてしまったのだ…」
僕とフランドも顔を見合わせ、数秒黙った。
「確かあんた一緒だったのよね… ふざけて隠れてんじゃないのぉ?」
「いーや、そんなこと」
ボマーが反論するか、と思った。
「皆思ったぜ」
うんうん、と残りの面子も大きくうなづく。いや実は、僕もそう思ったのだけど。
「通信機が全然効かないんですよ」
王子もお手上げの様子だった。
僕はふと隊長の方をちら、と見た。やっぱり目が半分寝てた。
だけど寝てない証拠に、親指の爪を時々噛んでいた。
何か思うところがあるのだろうか。でもその表情からはやっぱり「眠い」「暇だ」くらいしか僕には読みとれなかった。
「…ああ…私がついていながら…」
ミハイルは唐突にがくっ、と床に膝をついた。
「何、まだ『苦悩モード』?」
「こうなるとそう簡単には戻らねーからなあ、みの字」
ミハイルが苦悩しだすと、船内の空気そのものがおどろおどろしい大気に汚染されてしまうのが、僕には心配で心配で。
かと言って筋金入りの苦悩症のひとに、ごくごくありふれた平凡な小市民の僕が一体何ができるというのだろう。
とか思っていたら、やっぱりそれを打破しようとする人々は存在した。
「くっそー、この空気、散れっ散れっ」
ボマーはぱたぱた、と手を大きく振り回した。
「とにかく! 消えちまったもんは仕方ねえんだ! おいみの字! そこで現実逃避していないで、ほら立ち上がれっ!」
「ボマー君…」
ミハイルもようやくそこで顔を上げた。
「あんたもたまにはいいコト言うじゃない」
「るせ、オレはいつでも全開よっ!」
「全開すぎて時々すべるけどさ。ところでそれよりアタシ、重要な問題に気付いたんだけど」
重要な問題? と皆がフランドの方に目をやりました。
「実は血糖値が下がって仕方ないのよっ」
「血糖値…」
はっ、と皆その言葉の意味に気付く。既に時計は、共通時正午を過ぎていた。
「お腹空いちゃった。とにかく何か食べてからじゃないと、アタシ達、ロクに頭も働かないんじゃなぁい?」
「それもそうだ。それは正しい」
それまでまるで口出ししなかったアリもぼそっとつぶやいた。うんうん、と皆もそれには大きくうなづく。
「よっしゃ、それならすぐに腹ごしらえだーっ!」
そう言いながら、ボマーはさっそく食堂へと向かうエレベーターへと駆け出した。皆もその後についていった。
だが一人、情報デスク付近の椅子に座ったまま動かないひとが居た。隊長だ。
「おーいムラサキ、先に行ってるぜーっ」
ボマー達の声が聞こえた。すみません、と僕は返事をする。
隊長も動かすべきだろう。だけど正直、僕にはその勇気はなかった。
ところが、だ。
勇気あるひとが居た。王子だ。彼が動こうとしないので、ミハイルも残っていた。そう言えばアリも居た。このひとは、ボマーに言わせると、「隊長のお目付役」だそうだ。具体的にはどういうことなのか、良く判らないが。
「…隊長、隊長、起きて下さい」
ゆさゆさ、と王子はやっぱりまた眠りにつきかけていた隊長を揺さぶった。
どうしてこんな怖いことができるのだろう。僕ははっきり言って、王子が次の瞬間、隊長のナイフで切り裂かれないか、と全身硬直状態だった。
そう言えば、こんなことが前にあった。洗濯物を置きに皆の部屋の付近へと歩いていた時、僕はたまたま、隊長の背後に回っていたらしいのだ。
するとその時、しゅっ、と音がした。
次の瞬間、右前の壁にナイフが突き刺さっているのが僕の目には映った。
ちなみにその時、隊長は僕に面倒くさそうにこう言った。
「…何だ、虫かと思った」
この時、本当に虫を駆除しようと思ったのか、それとも船中に入り込んだ「虫」を退治しようと思ったのか、…怖くて僕は未だに聞けていない。
とにかく、王子は起こそうとしていた。
でも無論、このひとがそう簡単に起きる訳がない。
何度も何度も、実に根気よく、王子は隊長を揺さぶった。そうしたらさすがに目をうっすらと開けて、あの凶悪そうな声を上げながら身体を起こした。
「隊長、とりあえず皆、食事しようってことになったんです。食堂に… 行きましょう」
「行きたければ、行けばあ?」
そう言って、のっそりと隊長は立ち上がり、船橋から彼らの部屋のある中二階へと続く階段へと、あくびをしながら進んで行った。
「隊長! でも!」
「放っておけばいいではないですか、王子!」
さすがにミハイルも、この隊長の行動にはたまりかねたようだった。
「船長が消えて、また何があるか判らないんですよ? 皆一緒に行動しないと…」
するとふい、と階段の途中で隊長は足を止めた。
「…オレは部屋で寝る。場所が判ってるんならいーだろ」
「そ、それは…」
「オレは、眠いんだよ」
断言する。ちら、と向けた視線に、アリ以外の皆が、さすがにすくみ上がった。
そんじゃな、と手をひらひらと振ると、隊長は奥の船長室へと続く扉へと入って行こうとした。
「隊長! 後で差し入れをしますから!」
扉が閉まる前に、とばかりに王子は大声を張り上げた。けなげすぎて僕はもう、涙が出そうだった。
その後ろでは、ミハイルとアリがこんな短い会話を交わしていた。
「いいのか?」
「仕方ないだろう」
僕は、と言えば。結局ぼうっと見ていただけ、ということに気付き、慌ててこう口にしていた。
「あ、あの、とにかく皆さん、下に降りましょう」
「そうだね… 待たせてごめんね、ムラサキ君も」
「い、いえ…」
にっこりと王子は僕に笑い掛けた。そして僕たち四人は、戻ってきたエレベーターに乗り込んだ。
*
「おっそーい!」
エレベーターから出るなり、フランドの声と、ぴしっ、というムチの音に迎えられた。
「何やってたのよアンタ達! あらぁ、隊長は?」
「部屋で寝るそうです」
僕は慌てて答えた。さすがに彼女お得意のあのムチは、軽く振っただけでも迫力がある。
「ですから何か差し入れでもしましょう、と…」
王子がその後に口をはさんだ。後ろから来るミハイルはやっぱりまだ憮然とした表情だった。何だって一体…とぶつぶつつぶやく暗く重い声が、時々耳に入ってくる。
「あーダメダメ。どーせ差し入れなんかしたってあの猫が寝てたら起きないってば」
フランドはひらひらと手を振った。
「でも…」
「まあでも、王子、アンタがしたいってことには、別にアタシも知ったことじゃないからね」
一瞬曇った王子の表情も、再び明るいものになった。僕もほっとする。
ふと見ると、ドクターがぼうっと辺りを見渡していた。
「ど… うしたんですか?」
僕はおそるおそる、声を掛けた。
「あ… ムラサキ君…」
透明な声が、僕の名を呼んでくれた。ああ嬉しい。…じゃなくて。
「…さっきから、戻って来ないな… と思って」
「戻って来ない?」
ボマーがその言葉に耳聡く反応した。
「おいドクター、…」
聞くより早い、とばかりに彼はざっと食堂の中を見渡した。
「うっわ… おい、ナヴィが居ねえ…」
「あーっ!!」
「ええっ!」
「お?」
「あ、確かに…」
そう言えば、と皆今更の様に声を立てた。
「ど、ドクター、見てたんですか?」
「うん… 今さっき… ムラサキ君達と入れ替わりに… 出てったでしょう?」
え、と後から来た僕達四人は顔を見合わせた。
「エレベーターで… 出てったわ」
「…あんた何で…」
がしがし、とボマーはオレンジ色の髪を思い切りかきむしった。
しかし、こんな時にもおっとりと微笑んでいるドクターには何を言っても無駄だ、ということは彼も良く知っているのだ。そして彼は叫んだ。
「あーっもうっ!」
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