第4話 自分の夢

 その後、エーデルは何とか仕事に戻ろうとしたが、顔色の悪さをテレーゼにも指摘され、渋々彼女達は管理局から早退しレジデンスへと戻った。

 帰ってすぐ、エーデルはソファにごろりと横になって、黙りこくったままぼうっとし始めた。いつもの彼女ならば帰ってすぐに研究室に籠って、ロバートが夕食と呼ぶまで、アンドロイドに関する論文や研究書に目を通しているはずなのだが。

 リアンが「構って」というように小さく鳴きながら寄ってくるのを、片手だけで制して撫で回す。その手もどこか頼りなく揺れるばかりだ。


「エーデル」


 ロバートはそっとエーデルへ声を掛けながら、彼女の寝転がっているソファの前に座る。彼女は特に返事を返すこともなく、ただリアンの相手をし続けていた。


「エーデル、大丈夫かい? その……」

「うん、平気。……ただ、自分のことが嫌になってるだけ」


 エーデルの視線が、リアンからソファ生地に落とされる。頭の中ではカルヴィンの放った言葉が、何度も何度も繰り返されていた。そして、それをすぐに反論出来なかった自分自身を、客観的に見つめ続ける。

 反論出来なかったということは、自分の中であの言い分を少しばかり認めているということだ。


「私は、」


 目を閉じれば、あの日の出来事をすぐに思い出せる。

 まだ、父さんの情操領域の技術が全アンドロイドへ浸透していなかった頃であり、暴走アンドロイドがポツポツと出現し始めた頃だ。その日アーサーはエーデルを連れて、いつものように研究室へ入れてくれたのだ。まだまだ暴走アンドロイドの危険性は世間的に認知されておらず、普通の研究室にそのアンドロイドは運ばれていた。

 エーデル、と。優しい声音でアーサーが名を呼ぶ。パーツごとにバラバラにされ始めていたアンドロイドの傍から離れ、幼いエーデルはアーサーの膝の上に乗った。彼は、情操領域内部を探る端末をエーデルに見せた。

 その時に、彼は言ったのだ。


「父さんの言った『感情を与えたことによって、アンドロイドが人間に危害を加えることになったんだろう』っていう言葉が、父さんが死んだことで私の心に深く刺さったんだ」


 今のアンドロイドは、少し人に近づけすぎたかもね。人にも『良い人』と『悪い人』がいるだろう。アンドロイドにも感情をあげたことで『良いアンドロイド』と『悪いアンドロイド』が出来てもおかしくないから。

 アーサーはそう言って、エーデルの髪を梳くように撫でた。それが、親子二人の最後の触れ合いだった。

 エーデルは目を開けて、じっと見つめてくる青い瞳を睨みつけるような視線を送る。


「それを、私は違うんだって証明したい。でも、」


 エーデルはそこで言葉を詰まらせる。そんな彼女へ、ロバートはふわりと笑いかけた。


「……エーデル。これから語る言葉は、私から見た君の姿で、本質的には君を捉えていないかもしれない。でも、この短い間一緒にいた者である私の一意見として聞いて欲しいんだが」


 つらつらと並べ立てられる言葉に、エーデルはきゅっと眉間に皺を寄せる。


「前置きが長い。それに、私に発言の許可を取らなくていい」

「ふふ、すまない。……その、私から見て君は、暴走アンドロイドに対して真摯に向き合っていた。きっかけはなんであったとしても、君がそのことに数年の努力と情熱を注いできたのなら、それは君だけにしか持てない夢なのではないかな」


 エーデルは、ロバートの言葉に目を丸くする。ロバートはそんな彼女の頭を優しく撫でて、ふわりと笑いかけてきた。


「あんな人に言われたことくらい、気にしなくていいさ」

「それは……。前の仕事の上司の発言?」

「……そうだね、当たり」


 ロバートは曖昧に笑う。エーデルも眉間に皺を寄せたまま、小さく口角を上げる。


「……ありがとう、ロバート」


 ぼそりとそう言ったエーデルに、ロバートはオーシャン・ブルーの瞳を大きく見開いた。それから、ずいっとエーデルに顔を近付ける。吐息が鼻先にかかるほどの距離に、エーデルは思わずソファの背もたれの方へ体を反らせる。


「な、なに……」

「名前。やっと呼んでくれたね」

「あ……」


 にこにこと嬉し気なロバートの顔を見ながら、エーデルは自身の唇に指先を当てた。


「少しばかり君との距離が縮まったと。そう捉えても良いだろうか」

「………そんな、息巻いて喜ぶことでもないだろ」

「そんなことはない。とても嬉しいことさ! これも私の持論になってしまうが、名前を呼ばれるというのは、とても嬉しいことだ。リアンもそう思うだろう?」


 プラプラと揺れるエーデルの手の先で遊んでいたリアンに、ロバートはそっと手を差し出した。リアンは小さく鳴いてロバートから離れ、ぴょんとソファの上に乗った。そして、エーデルの脇腹辺りに丸くなってしまう。ロバートは、所在なく手を右往左往させる。その様子に、エーデルはくすと思わず顔を綻ばせてしまった。

 そんな彼女を見て、ロバートもまた笑う。


「うん、やっぱり笑った顔は良い。…さ、今日は君の好きなものを夕飯に食べよう。そうしたらもっと元気が出るだろう?」

「………ココア、かな」

「うーん、ココアは食べ物ではないんだが。まあ、うん。では、夕食後にココアを用意しよう」


 ロバートはそっと立ち上がり、キッチンの方へと向かって行った。

 エーデルはリアンを呼び、胸元近くにまで歩いてきたリアンを優しく撫でる。リアンはごろごろと喉を鳴らして、エーデルの手の平へ擦り寄ってきた。


「………ありがとう」


 消え入りそうなほど小さな声でもう一度。エーデルは誰に言うわけでもなく、礼の言葉を呟いた。

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