第3話 大切なこと
研究室の中は、静かなまま。ロディはクッキーをぽいっと口の中に放り、もぐもぐと呑気に咀嚼する。
そして、皺の寄ったエーデルの眉間を軽く小突いた。
「難しく考えなくていい。君が今まで勉強や研究に使ってきた時間と同じくらい、これから色んなことを楽しんだらいいんだからさ。趣味とか」
「ないです」
「……友達と話してみるとか?」
「いないです。学生時代は、勉強一筋だったので」
ロディはぴたりと体と表情を固め、それからがしりとエーデルの肩を掴んだ。
「ごめん、プライベートなことを聞いて申し訳ないんだけど、休みの日は何してるの?」
「研究書を読んだり、リアンのメンテナンスをしたりですが」
きょとんとした顔のまま、エーデルはロディの問いかけに答えた。
エーデルの休日の過ごし方は、学生時代からずっと家の中に籠るのが普通だ。アンドロイド管理局に勤めるようになってからも、リアンを買ってからも、ロバートを居候させ始めた時からも、すっかり習慣化しているため変化することがない。
「……ええと、どこかに出かけたり、とかは?」
「足が悪いですしね。基本は籠ります」
「……あぁ、うん、君は、そうだね……。どこから話せば分かってもらえるかな」
ロディがうんうんと唸り出した時、部屋の中で電話の音が鳴り響く。すぐにエーデルの肩から手を離し、机の上に置かれていた携帯端末を手に取り、素早くタップしていく。
「はい、エイマーズですが。……はい、はい、うん……、そっか。分かった、すぐにメグを送るよ。ありがとう」
「お呼びですか、マスター」
通話が終わると同時に、部屋に控えていたメグが顔を出す。ロディはこくりと頷いた。
「あぁ、オールディス氏だよ。悪いけどメグ、彼を一階まで迎えに行ってもらえるかな? 顔は覚えてるよね?」
「はい、問題ありません」
メグは綺麗な一礼をしてから、すたすたと部屋の外へ出て行った。
「えと、それじゃあ私は……」
「そうだね。じゃあお話はこれで終わり。付き合ってくれてありがとうね」
「いえ、ありがとうございました」
エーデルはぺこりと頭を下げて、椅子から腰を上げる。それから使っていた椅子を片付けようとしたが、これから来る来客にも同じものを使わせるので、というロディからの申し出を受けて、エーデルはそのまま主任室から出た。
部屋から出ると同時に、ふっとロディの言葉が反芻される。
「人生で、大切なこと……か」
それは、今のエーデルには分からない。考えたことすらない。いつも、父アーサー・マクスウェルの背を追うことしか考えられていなかったからだ。
「エーデル!」
俯いていたエーデルの背に、大きな声が掛けられる。聞き覚えのあるその声の方へ振り向こうとしたと同時に、どんっと体全体に衝撃が走る。じわりと温かな体温がエーデルへなだれ込み、耳元ではみゃあと愛らしい子猫の声が。
「っ君、」
「あぁよかった、ここにいたんだね。探したよ」
その言葉で、エーデルはロバートに何も言わずに来ていたことを思い出した。「あー」と「うー」と音を口から発して苦々しい顔をしてから、抱き寄せられている彼の方へ体重を僅かに傾けた。
「わ、るかった……」
「いいさ。私がきちんと君を見ていなかったことが原因だからね。君の姿が見えなくて、リアンがぐずっていたよ」
「わ……」
ロバートの肩から、エーデルの腕の中へ。リアンはみゃうみゃうと鳴きながら、エーデルへ擦り寄ってくる。何かを訴えかけるような行動に、エーデルは小さく口角を上げた。
「……君にも。悪かったね、リアン」
リアンはするりと体の向きを変え、エーデルの腕から肩へと移動する。ロバートはその間にエーデルが出てきた部屋の名称を見つめ、少しだけ不思議そうな顔をして彼女へ問いかけた。
「何か、重要な話を?」
「……人生相談、みたいなものだよ。カウンセリング。大した話はしてない」
「そうか。てっきり見ず知らずのよく分からない男を、とうとう解雇する話をしたのかと思ったよ」
「君、一応そういう自覚はあるんだな……」
ロバートの言い分に、エーデルは呆れ顔をしてしまう。そんな反応に、ロバートはくつくつと楽し気に目を細めて笑う。
ひとしきりの会話を追え、エーデルがロバートへ「部屋へ戻ろう」と声を掛けようとしたとき、ロバートの背後の方からメグとグレー・スーツを身に付けた壮年の男性がやってくる姿が見えた。ぱちりと目が合い、エーデルは小さく頭を下げた。そのことでロバートも後ろから来た人物に気づいたようで、愛想よく微笑みながら会釈する。
男も頭を下げ、それからエーデルの顔をじいっと熱い視線で見始める。不躾な視線に、エーデルは思わず顔を顰めた。
「すまない、少しいいだろうか。——君は、マクスウェル氏のお嬢さんでは?」
初対面の男にファミリーネームを言い当てられ、エーデルの心の警戒度が一気に高まり、どくどくと鼓動が早まる。
「そう、ですが……」
「あぁ、やはり! あの暴走事故で大怪我を負ったという話を聞いていたのですが、息災のようで、」
「……すみませんが、私はあなたと会ったことを覚えていません。……前に一度、お会いしたことがありますか?」
男の声に重ねるようにして、エーデルは彼へ問いかける。男は一瞬面食らった顔をしたが、すぐに柔らかな笑みを顔に貼り付けた。
「いや、初対面だよ。ただ、この界隈で君の父上の名前は有名だろう。だから、君のことも知っていて……。いや、正直に言うと少し違うんだが」
男は薄くなっている灰色がかった髪を掻き、それからメグに何言かぼそぼそと声を掛けてから、エーデルの方へ視線を向けた。
「私は、カルヴィン・オールディスという。グランディア社の者だ。ここへは、君を我が社へ引き抜くために赴いた次第だ」
グランディア社。アンドロイド産業に最近参入してきた新参の企業で、一般家庭に普及させるアンドロイドではなく、
アンドロイド管理局から人材を引き抜くなど、何かの手違いとしか思えない。
「私を、ですか? 何かの間違いとかではなく?」
「あぁ、君だよ。間違いではない。父上譲りの素晴らしい腕前の持ち主だと評判でね。ぜひ我が社のオートマタの調律を任せたいと思っているんだ」
「オートマタの、調律……」
アンドロイドもオートマタも、もとは同じような性能を持つ機体だ。戦う体を持っているか持っていないかという違いしかないので、仕事内容自体は大きく変わらない。だが、調律の傾向の変化はある。アンドロイドとは違い、オートマタは、買い手によって扱い方によってまるで違うからだ。
単なる金稼ぎの道具として扱う者。相棒として大切に扱う者。娯楽の道具の一つ。友人。家族。様々だ。その扱い方によって、情操領域がどれだけ学習しているかということも変わってくる。それぞれの個体に合わせた調律が必要だ。
「どうだろうか。ここでの給料よりはずっと良いし、本社は首都だから、ここよりもずっといい生活が出来るよ。約束する」
「……すみませんが、そのお話は受けられないです。私は、アンドロイドを調律したくて管理局に勤めているわけではないので」
「……なるほど。エイマーズ氏が言っていた通りだね。……君は、暴走アンドロイドを研究しているそうだが」
「はい。そうですが」
「それは、本当にしたいことなのかな?」
「は…………」
カルヴィンの言葉に、思わずエーデルは声を詰まらせた。悪手。相手はその反応を図星と判断したようで、矢継ぎ早に言葉を重ねる。
「暴走アンドロイドは、いわば君の大切な人を奪った存在だ。執着する理由もわかる。そんな相手に、思うことがないはずはない。……君のように積極的に関わろうとする人間は、珍しいが。そうやって関わりを持つことで、父上の仇を取ろうとしているのでは?」
「っ私は、アンドロイドへ恨みは抱いてない。仇を取ろうだなんて考えたことすらないです! 私はただ、暴走アンドロイドがどうして発生してしまうのかを、研究しているだけ、です」
杖を持つエーデルの手が震えだす。心の奥底でいくつものカギをかけてしまいこんでいた記憶の箱を、無遠慮な手つきでこじ開けられているようだった。エーデルは、顔が歪んでしまいそうになるのを、奥歯を噛んで耐える。そんな彼女の心情を放って、カルヴィンはただただ言葉を重ね続けていく。
「だが、それを調べて何になるんだ? どうせ廃棄処分になるのだから、調べたところで意味はない。それに、アーサー氏がせっかく残してくれた命を、わざわざ危険に晒さなくとも良いだろう。君の父上だってそう思っているはずだ」
不安定になりつつあるエーデルの心に寄り添うように、リアンが一鳴きして彼女の首筋に擦り寄った。カルヴィンは目ざとくそれを見た。
「オーヴァイル社のだね。モデルは古いようだが……。そういうのも我が社に来て新しくしたらいい。定期メンテナンスの頻度も下がるから、お金の面でも面倒という面でも楽になる。足が悪いようなら、介護用アンドロイドを護衛が出来るように改造して付けるさ。オートマタを作ってるからね、武装技術はどの会社よりもある。わざわざこんな場所で君の才能を腐らせる必要なんてないと思うんだがね?」
暗にアンドロイド管理局とロバート、リアンのことを貶しているかのような発言だった。エーデルは文句を吐き出してしまいそうになる口を、唇を噛んで堪える。ロバートもぴくりと反応した。
「……本当に、すみませんが、私は……暴走アンドロイドの研究に人生を費やすと決めたんです。それが私の夢で、父のこととか、関係ないです」
「……そうかな。死人の影を追っているだけのように、見えるけれどね」
エーデルの小さな背に、つうっと冷や汗が伝う。その時、小さな電子音が耳に入る。
「メグが遅いから来てみたら。ここ一応廊下だからね。あんまり口喧嘩をしないで欲しいな。誰に聞かれるかわかったもんじゃないしさ」
ロディが開いた扉にもたれかかったまま、ぼそぼそと面倒臭そうに頭を掻きながらそう言う。カルヴィンは襟元を正して、にこりとロディへ笑いかけた。
「失礼、エイマーズ主任。本の中の人の娘さんにお会いして、つい興奮してしまいまして」
「あぁ、まあその気持ちは分からなくはないかもなあ。でも直接交渉はなしだっていうことでお話は進んでいたと思うんですけれどもね、オールディス氏?」
ロディは、にこりと微笑みかける。だがその目の奥は笑っていない。対するカルヴィンは、小さく肩を竦めて見せた。
「いやいや交渉ではないさ。ただ、私の思いも知ってもらえればと思ってね。いわゆるプレゼンテーションというものだよ」
それからカルヴィンはエーデルとロバートへ頭を下げ、ロディの主任室の中へ入っていった。メグもそのあとに続いて入っていく。
「エーデルくん、今日はもう帰って休んで。後の業務は、気にしなくていい。元々君は人の二倍近くをいつもやってるからさ。……それに、今の君、酷い顔してるしね」
ロディはそう言って、部屋へ戻った。自動扉が閉まる。
エーデルは乾ききった喉をこくりと鳴らし、両手で杖を握る。手の指先まですっかり冷たくなってしまっていた。手汗も酷い。
「エーデル」
柔らかなロバートの声で、ようやく強張っていた肩の力がふわりと抜ける。詰まっていた呼吸も穏やかになっていく。
「エーデル。本当に酷い顔をしている。帰ろう」
「……分かった」
ロバートの甘やかな声が、今のエーデルには心休まる声音であった。
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