Main11 白の王城/敗戦処理
目を開けると、見覚えのある天井だった。
王城の自室。住み慣れた場所。
戻ってきたのだ。
――白の王城
夜明けと共にアヴァリティアに戻ってから。
俺は、丸々三日眠っていたらしい。
身体を起こすと、ベッドが軋み腹部の傷が痛む。
『四天王』との戦いを、どうにかやり過ごすことができたのだ。
完敗ではないが、惨敗だった。
いかに力不足であったかが露呈した。
多少訓練を積んだところで、敵には一切及ばなかった。
傷ひとつ、つけることができなかった。
……ダメだ、思考が後ろ向きの袋小路に入り込もうとしている。
ひとりで落ち込んでいたって、それは自己陶酔の材料にしかならない。不毛だ。
ひとまず現状を確認するために傷を見ると、手当てが施されていた。眠っている間に、誰かがやってくれたらしい。
わずかに包帯をずらす。傷は塞がっていたが火傷がひどい。これは跡が残りそうだ。
俺は、一体どうすべきだったのだろう。
もっとよりよい手段が選べたのではないか。あのとき、ああすればよかったんじゃないか。
そんな考えばかりが頭をよぎる。
『勇者』の『役割』がどうとか、そんなことは俺にはよくわからない。だが、目の前に力なく倒れている人がいたら、放ってはおけなかった。
* *
「おはようございます」
淡々とした声で、六花さんは挨拶する。恰好は相変わらずのメイド服のままだった。
「お、おはようございます……」
彼女は重厚な書斎机に向かい、何やら慌ただしく紙に何かを書き連ねている。どうやら王城の指揮の一手を彼女が担っているようだし、この非常事態、仕事が山積みなのだろう。
自室のテーブルの上に、意識を取り戻したら執務室に来るように、という旨の書き置きが残してあった。だから、こうしてやってきたわけなのだが……。
さすが王城の政務室。毛足の長い臙脂色の絨毯には、複雑な模様が織り込まれている。部屋の家具は黒い木材で統一されており、壁際には背の高い本棚が並ぶ。
六花さんが腰掛けている椅子にも、どっしりとした重厚感があった。
「お怪我の具合はいかがですか? 後ほどまた『医師』を呼びましょう」
「ありがとう、ございます」
「よろしければそこの椅子にお掛けください」
「では、お言葉に甘えて……」
やはり、どうも六花さんを前にすると緊張する。
「このたびは――『四天王』からの襲撃を受けたとのことで」
「は、はい。イフカンタの様子はどうなってますか?」
「イフカンタや水路には人員を割き、現在復旧の作業にあたってもらっています。それに伴い、イフカンタの住民はアヴァリティアに避難させ、治療などを施しています」
「なるほど……」
実に簡潔だ。
彼女の話では、イフカンタの民家は密集しておらず比較的火災が広がりづらかったが、それでも全焼した建物も少なくないという。家を建て直すか、あるいはアヴァリティアに移り住むか、その辺りは当人たちとの話し合いが要るそうだ。
しかし、家財全てを失い、人によっては重傷を負っている者もおり、今後どうするかについて話すには、充分な時間を空けなくてはならない。
アヴァリティアは現時点でも人口が過密状態にあり、ひとつの街の住民をそっくりそのまま受け入れるにはキャパシティが足りないらしい。王都では『役割』が果たせない人もいるし……。
『四天王』の「楽しいこと」のために、街ひとつが不条理にも地獄の底に叩き落されたのだ。
だが、俺たちの救援があったことで、この規模の襲撃を受けながら死傷者は軽微だという。ゼロではないのが口惜しいところだが。
火災も、消火が遅れていたら更なる被害が出ていたところだったが、それは抑えられたらしい。ねがいも無事だという。
水路の損傷も、少ない。
あんなに魔物がひしめいていて、果たして生活用水として使えるのか疑問だったが、濾過等の設備をフル回転させれば問題ないようだ。そもそも、モンスターは死んだら単なる土くれとなる。毒性はない。
「『勇者』の面目躍如でしたね」
「あ、ありがとうございます……」
褒められているのだろうが、素直に喜べなかった。何しろ、彼女の声には全く感情が籠っていないからだ。
「それで、『四天王』についてなのですが」
「ああ……はい」
俺は、先の襲撃で得た『四天王』についての情報を、詳らかに話した。
「炎の魔法剣士、光道九也と、魔物の使役者、氷原新吾ですか」
六花さんは紙にペンを走らせる。
「特性が判明すれば、対策を講じることが可能です」
「そう、ですね」
対策、か……。それ以上に、自分の地力のなさが浮き彫りになったが。
「さらに鍛錬が必要です」
「は、はい……」
「しかし、『四天王』が『勇者』の殺害を忌んでいるのなら、それは大いに利用できます。最悪の事態は避けられますから」
最悪の事態。
『勇者』の敗北。
『魔王』の勝利。
『勇者』側の人間が、元の世界に戻れなくなること。
だが、俺が殺されなくたって、『勇者』の仲間が殺されることはあり得る。現に『四天王』の連中はそうしようとしていた。『勇者』だろうがなんだろうが、腕を切り落とそうとしてきたし。
「『四天王』は、俺たちが『勇者』だとすぐに見抜きました。もっとも、誰が『勇者』かまではわからなかったようですが」
そう告げると、王城のメイド長は顔色を変えないまま言う。
「これまで『四天王』の襲撃は数回ありました。しかし、ここまで苛烈で、しかも王都に近い場所で行われたのは初めてです」
「そうなんですか……」
「……向こうに情報が洩れている可能性は充分考えられます。そもそも、このタイミングでの襲撃も、『勇者』の到来に合わせた可能性が」
「そんなまさか……」
『四天王』の様子からして、『勇者』がやってくるのをそこまで予期していなかったように思える。
しかし、『勇者』がイフカンタに滞在したわずか一日に、ちょうど示し合わせたように襲撃が起こるというのも妙だ。
「『勇者』が誰かというのは、大きな情報アドバンテージです。決して誰かに知られないよう、ゆめゆめお忘れなく」
「……はい」
既にねがいには悟られているが。彼女はきっと口外しないだろう。
会話の最中も一切作業の手を止めないまま、六花さんは話し続ける。
「壁の山脈の頂上には、七つの門が存在します」
「え?」
突然なんだ? いきなり話が変わった。
壁の山脈。『勇者』側と『魔王』側を両断する自然の要塞。『魔王』を倒すためには、避けては通れない場所。
「物理的攻撃の一切を弾き、魔法の全てを吸収するというその門は、何者でも打ち破れません。その門を通るための方法は、たったひとつ」
「な、なんですか?」
「佐藤さん、イフカンタで花を手に入れましたね?」
「ええ、そうですけど……」
水路で摘んだ青い薔薇のことだろうか。
「その花こそが、鍵です」
「え……?」
「『勇者』が街を救ったときに咲くという花。それを七つ集めたとき、門を通る資格が得られるのです」
彼女は透明なガラス瓶を差し出してきた。
言われた通り、青い薔薇をその中に封じ込める。すると、瓶の中で花がふよふよと浮かび始める。一体どういう仕組みになっているのだろう。
「魔法の花ですから、枯れることもありません。瓶に入れて保管し、来たるべきときに備えてください」
「わかり、ました……」
『勇者』が街を救ったときに咲く、花。
俺は果たしてイフカンタの街を救えたのだろうか?
*
六花さんとの話を終えて自室に戻ると、俺の部屋の前に聖歌がいた。
「聖歌? どうしたんだ?」
「な……っ、なんだ、外に出てたのね」
彼女の肩がびくりと跳ね、振り返る。 俺が部屋の中にいると思っていたらしい。
「俺の部屋、知ってたんだな」
「……訊いたのよ。それだけ」
「へえ。それで何の用だ?」
わざわざ部屋を訪ねてくるくらいだ。大事な要件があるのだろう。
「……別に。あの『四天王』に、ざっくり切られてたでしょ? 血とかどばどば出てたし」
「え? ああ、平気だよ。それよりも、聖歌は大丈夫か? 熱傷を負ってたみたいだけど」
「あたしは自分で治せるもの。でも、おにいさんはそうじゃないでしょ?」
「確かに、そうだな」
道具がなければ、原始的な対処法しかできない。
「……あたしが治してあげてもいいわよ?」
「いいのか? 助かるよ」
そう返すと、彼女は何か言いたげな顔をしたが、すぐに回復の魔法を施してくれる。
「<ディライト>」
身体の内側から、やわらかな暖かさが広がる。絶えず感じていた痛みがなくなった。
やはり、彼女の治癒術は卓越している。さすが『僧侶』だ。
「ありがとう。楽になったよ」
「……そう。それじゃあね」
無愛想に背を向けて、去っていく。
心配してくれたらしい。結構優しいところもあるようだ。
自室に入って傷を見てみると、火傷跡まで薄くなっていた。これなら、少し経てば綺麗に消えてなくなっていそうだ。聖歌の負った熱傷も、跡が残らないだろう。よかった。
敵が使う魔法は厄介で強力だが、味方が使う魔法は心強かった。これがなかったら、もっと苦労していたはずだ。
* *
怪我が快方に向かうと、今度は空腹感が強くなってくる。『医師』の診察を終えた俺は、食堂に向かった。
聖歌の治癒術もあってもう内臓に問題はないようだったが、それでも三日何も口にしていなかったのだ。重い食べものは避けた方がいいだろう。
食堂は閑散としていて、人がまるでいない。こんな非常事態だからだろうと思うと、少し胸が痛んだ。
何を食べるべきか悩んでいると、ばったりと籃に出くわした。彼女は俺を見ると、すぐ近づいてくる。
「ユウくん、もう歩いて平気なの?」
「ああ、おかげさまで」
「そっか、よかった。ずっと寝込んでたから、大丈夫かなって思ってたんだ」
彼女にも心配させてしまったらしい。
「籃、怪我は平気か?」
「うん、私、結構丈夫だから。茅城さんは、もっと溌剌としてた。すごいね」
「ああ、茅城さんは本当にすごい」
「ユウくんの怪我が一番ひどかったんだよ?」
「……そうか」
よくなった腹部の傷が、また少し痛んだ。
敵前で武器が使えなくなって、成す術なく切られた傷だ。
「全然役に立たなかった。勇者失格だな」
「そんなことないよ」
籃は優しく返してくれる。
「あんなに深く切られても、足を止めずに必死に動いて、他の人の心配までするなんて。ユウくんはすごいよ」
「すごい、かな。俺の攻撃、全然『四天王』に敵わなかったのに」
「それは私も一緒だよ。私の魔法、全然役に立たなかった」
「そんな……籃の魔法は、光道の動きを止めてたじゃないか。すごいよ」
そう言うと、目の前の少女が微笑んだ。
「ふふ、一緒だね」
「一緒?」
「さっきから、お互いに否定し合って、褒め合って。一緒だよ」
「……ああ、そうだな」
どちらがより役に立たなかったとか、役に立ったとか、そんなことを話していたって仕方がない。
事こうなっては、もう全部一緒だ。
「籃もごはん食べに来たのか?」
「うん」
「じゃあ、一緒に食べようか」
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