Main10 深き水路/光なき対峙2




 とめどなく湧き出る魔物。

 並みの防御など一切通用しない、全て燃やし尽くす灼熱。

 『四天王』の攻撃は、苛烈そのものだった。 


 モンスターに向かっていく茅城さんの剣にキレはない。先程、全力で光道に切りかかったのだ。余力など残っていない。

 それはつまり、魔物の大群を凌ぎきれないということだ。


 彼女が狂獣の軍勢の中に飲み込まれる。


「茅城さん――!」


 もう固有スキル――完全防御は使えないのだ。

 だが、助けに行く余裕はなかった。魔物はすぐこちらまで迫ってきている。


「<アローレイン>!」


 矢の攻撃で敵を薙ぎ払う。だが、次から次へと押し寄せてくる数には対応しきれない。


「<コペル・ニュクス>!」


 詠唱を終えた籃がまた水路の水を凍結させ、魔物の動きを止める。


「芸がないんだよ、お前ら」


 俺たちの近くに移動した光道は、魔物諸共、全てを炎で焼き尽くそうとする。

 高温に焼かれ、魔物たちは次々と土くれに帰していく。


 凍結魔法では分が悪いと判断したのか、籃は魔法の詠唱を切り替える。


「遠き星海ほしうみの光、宵薙ぐ一閃の雫――」


 あれは、星を落とす魔法だ。


「いいのか? ここで大きな魔法をぶっ放したら。水路諸共めちゃくちゃだぜ?」

「…………っ」


 咄嗟に籃の詠唱が止まる。


 確かに、あの隕石を落とす魔法は威力が強い上に、リピートされる。土の行路で放ったときも、地面がかなりえぐれていた。

 だが、ここで詠唱を止めれば――


 光道が『魔法使い』目掛けて高火力の炎を生み出す。水路の水が水蒸気爆発を起こし、籃が大きく吹き飛ばされる。壁に強く激突すると、彼女の身体は倒れてぴくりとも動かない。


「ら、籃!」


 『四天王』の追撃を妨げるため、俺は弓矢で攻撃しようとする。

 だが、弓を引き絞ったとき、ぷつりと弦が切れた。


「ぐ……!」


 今日だけで酷使しすぎた。いや、焦りで扱いが雑になっていたのかもしれない。


 鞄の中に予備の弓があったはずだ。多少性能は落ちるが、ないよりはマシである。俺は慌てて鞄を探る。


「おいおい、よそ見してるなんて随分余裕じゃねえか」


 気づくと、光道が目の前に現れていた。


「ちょうどいい。このフランベルジュの試し切りをさせてくれ」


 彼は炎を纏った大剣を振り上げる。避ける暇もなく、攻撃は直撃した。


「うぐっ……!」


 胴が大きく切り裂かれ、血が噴き出す。立っていられず、石の床に崩れ落ちる。

 身体中に痛みが走る。恐らく傷が内臓にまで届いているのだろう。


 早く、応急処置をしないと……。どうにか腕を動かし、傷口に触れる。見ると、手のひらがべったりと血に染まっていた。


「だ、大丈夫!?」


 後ろで聖歌が甲高い声を上げる。慌てて回復魔法を唱えようとしていることがわかったが、それは阻害された。


「さっきからちょこまかと鬱陶しいんだよ、お前。ちまちまちまちま回復しやがって」


 光道の声が後ろから聞こえてくる。またぞろ転移スキルで移動したらしい。ほどなくして、苦痛に歪む聖歌の悲鳴が聞こえた。


「やっぱ古今東西、回復役から潰すっていうのが定石だもんな?」


 振り向く余裕すらないため、何が起きているのかわからない。助けに行くこともできない。

 自分の身体の下に、血だまりが広がっていく。出血が激しい。


 とにかく、止血、しないと……。だが、薬草や傷薬の類は、イフカンタの人々の手当てで使い果たしてしまった。自分ひとりで圧迫止血しようにも、ろくに腕に力が入らない今、適切な処置ができるとは思えなかった。


 傍らに、今もなお燃え盛る魔物の一部が残っている。


「…………」


 俺はどうにかそれを手繰り寄せると、炎を胴の傷口に当てた。


「ぐ……っ!」


 切られた痛みとはまた別個の痛みが走る。だが、最早四の五の言っている場合ではない。必死に堪えながら傷を焼いて、塞いでいく。

 あまりスマートな方法ではないし――原始的極まりないが、仕方ない。どうせもう火傷は負っているだろうし。多いか少ないかの違いだ。


 仮に俺がここで死んでしまったとしたら、全てが終わってしまう。人々は、元の世界に戻れなくなってしまう。それだけは、避けなくてはならない。


 なんとか止血を負え、身体を起こす。痛みが麻痺して、何も感じなくなってきた。

 自分の血液が床に広がっている様は、見ていて気持ちのいいものではなかった。だが、それよりも問題は他の仲間たちだ。


「はぁ、歯ごたえが全くねえわ。所詮『僧侶』なんてこんなもんか」


 俺が止血を終えた頃、光道の攻撃も終わったらしい。一仕事終えた表情で、元の足場に戻り、その場に腰掛ける。随分余裕だ。

 それよりも、聖歌は? 無事なのか?


 辺りを見回すと、魔物は全て焼き尽くされ、籃と聖歌は水路の中に倒れていた。

 茅城さんが、どうにか立ち上がる。

 魔物の大群に襲われてもなお起き上がれるなんて、やはりすごい防御力だ。


「だ、大丈夫か?」


 俺はとりあえず、近くにいた聖歌に声を掛ける。

 身体中にひどい火傷を負って、気を失っているようだ。脈を測ってみると、幸い息はある。ただ、今の俺には回復する術がなかった。道具がないし、魔法は使えない。ひとまず、水のないところまで移動させる。


 次に、籃のもとへ駆け寄り、無事を確かめる。

 彼女は緩慢に上体を起こす。


「う、うん、大丈夫……」


 声を出すだけでも、やっとの様子だ。


「でも、もう魔力が……」

「……そうか」


 ずっと魔法を乱発していたのだ。魔力が底を尽きるのも仕方がない。もう回復の道具もないのだし。


 みんな手ひどい傷を負っていた。ボロボロになって、生きていることが不思議なくらいである。

 『四天王』は強かった。勝ち筋すら見えない。


「……なぜとどめを刺さない?」


 茅城さんは憮然とした表情で『四天王』を見る。

 確かに、彼らは先ほどから攻撃の手を止め、傍観している。気味が悪いほどに。


「なぜって」


 光道は嘲笑を隠そうともしない。


「『勇者』が死んだら、『魔王』側の人間は元の世界に戻っちまうだろ? だから、ほどほどに手を抜いてやってるってわけ」


 元の世界に……戻って、しまう﹅﹅﹅


「元の世界に戻ったら、こんな楽しいこと、できなくなるからな」


 楽しい?

 魔物の大群に街を襲わせるのが? 人家や無辜の町人に火を放つのが? 人々の穏やかな営為を壊すのが?


「魔物に殺される? 『魔王』に殺される? それがなんだっていうんだ。現実世界にだって、事故はあるし殺人もある。まさか元の世界に戻れば、平和に天寿を全うできるとでも思ってるのか?」

「そんなものは詭弁だ。自己正当化だ」


 茅城さんは言い放った。


「お前たちは、法と秩序のない世界で破壊活動を行って、己の欲求を満たしているだけだ」

「はん、己の欲求、ねえ。だったらお前らはどうだ? 『勇者』に選ばれたとき、『勇者』と呼ばれたとき、少しは精神の充足を感じなかったか? お前らが『役割』に則って『魔王』を殺そうが、僕らがその辺の奴らを殺そうが、そこに何の違いもありゃしない。やってることは同じなんだからな」


 同じ? 『役割』? そんなのは都合のいい理屈を援用しているだけだ。

 いくら『役割』と言ったって、市中引き回しの刑とやらをやる必要がどこにあった?


「おっと、頼むから『魔王』サマを殺さないでくれよ。お前たちに元の世界に戻られたら、いたぶる相手がなくなっちまうからよお」


 こいつらだって元々は現実世界で普通に暮らしていた人間のはずだ。それなのに、どうしてここまで倫理観が振り切れているのだろう。

 いや、こういう人間だからこそ『四天王』という『役割』が割り振られたのかもしれない。


 俺の非難の目に気づいたのか、光道はさらに話し続ける。


「他人事みたいな顔してるけど、僕たちは所詮同じ穴の狢だ。お前らだって、望んでこの世界にやってきたんだろ?」


 望んで?

 どういうことだ?

 こんな惨劇に望んで叩き落されたいと思う人間がいるはずがない。

 だが、籃も茅城さんも否定しなかった。まるで、彼の発言が正しいかのように。


 俺たちはどうしてこの世界にやってきたんだ?

 思い出そうとしても、あの樹海以前の記憶は全く残っていなかった。


「光道」


 ここで氷原が口を開く。


「『勇者』さえ生かしておけば、残りは全てどうでもいい。戦力を削ぐためにも、ここで始末しておけ」

「…………っ」


 あの男にとって、俺たちは『役割』と戦力、それ以上の意味など持っていなかった。


 まずい……今のこの状況、他の三人を守れない。こうなったらもう這う這うの体で逃げるしかないのか?

 逃げ場といえば王城だが、下手したらこいつらをアヴァリティアに招きかねない。気絶している聖歌をなんとか背負って、『四天王』二人を撒いて、王城に逃げ帰る。果たしてそんなことができるのだろうか。だが、指をくわえて他の仲間が殺される様を見ているわけにもいかないし……。


 こちらを見下ろす光道は、眉をひそめた。


「……で、どいつが『勇者』だ?」

「…………!」


 そうか、こいつら、誰が『勇者』なのか知らないんだ。

 俺の勇者らしくない得意武器が功を奏した。傍から見れば、ただの弓兵。『勇者』だとは気づかれない。


 武器的に一番勇者らしく見えるのは茅城さんだろう。だが、『勇者』だと判断するには根拠が足りない。なぜなら、『勇者』が死ねば終わり﹅﹅﹅だからだ。

 勇者っぽいしこの人間が『勇者』だろう、と雑に当たりを付けるには、リスクが多すぎる。


 元の世界に戻ることを拒むこいつらにとって、『勇者』は最大のウィークポイントともなり得るのだ。


 俺たちから聞き出そうとしても、『勇者』が誰だか判明すれば命が脅かされるこの状況、多少痛めつけられたって口を割るはずがない。度を越した脅迫で誤って『勇者』を殺しでもしてしまったら、元も子もない。


 『勇者』という『役割』が、俺たちを守っていた。


「あー、かったりい。『勇者』だろうがテキトーに腕とか捥ぐ程度ならいいだろ」


 光道は波打つ大剣を担ぐと、俺たちの近くにワープする。

 どうやら『勇者』を判別することは諦めて、無差別にダメージを負わせるつもりらしい。


「腕を捥ぐ? こんなところでそんなことをしたら失血死するぞ? まさかお前らが応急処置をしてくれるとでも?」

「『勇者』なら生かしてやるよ」


 茶化すように言って、光道はフランベルジュを振り上げた。まず目についた俺を狙いに来たようだ。


「芋虫にしてやる」


 俺は光道から離れようと駆け出した。鞄から予備の弓は取り出してあるが、とにかく距離を開けなければ話にならない。


 先程の傷が開きそうになる。麻痺した痛みが、再度じわじわと蘇ってくる。

 一体どうすればいい? どうすればこの場を凌ぎ切れる?

 こうなっては最早勝利は望まない。ただ、生き残りさえすれば――


 だが、彼は転移の術で進行方向に先回りする。


「逃げ回っても無駄だ。分かれよ」

「ぐ……」


 壁際に追い詰められる。

 転移スキルを持っていない俺には、逃げることなんてできなかった。


「後ろががら空きだ」


 突然、茅城さんが剣を振り上げて光道に襲い掛かる。『四天王』は、咄嗟に剣で攻撃を受け止める。

 『戦士』は、満身創痍の状態で動きに精彩はないが、どこにそんな余力があるのか、粘り強く攻撃していた。


「あー、ったく、こいつらめんどくせえ……!」


 光道が得意の炎の魔法を出そうとしたとき。

 小さな魔物が氷原のもとに向かっていく。すると、これまで傍観を貫いていた彼が、口を開く。


「光道、ちょっとこっちに来い」

「あ? なんだよ」


 しぶしぶ光道が戻ると、氷原は述べる。


「どうやら敵の援軍が来たらしい」


 あの小さな魔物は、偵察役か何からしい。そこまで使役できるとは……。

 だが、問題はそこではない。


 援軍。

 そう、今あの男は、援軍が来たと言ったのだ。


 やっと来てくれたのか――!


 この水路に入る前、『兵士』にお願いをしていたのだ。

 アヴァリティアに救援を呼んでほしい、と。


 俺たちの力だけではどうにもならないのは目に見えていた。だからこそ、援軍が必要だったのだ。

 王都なら――六花さんなら、きっとなんとかしてくれる。


 傷を負った身体でアヴァリティアまで向かうのは骨が折れただろう。危険だってあったはずだ。

 しかし、彼は無事王城まで知らせを届けてくれたらしい。


 俺たちが行っていたのは、時間稼ぎ。

 水路を壊されないために。

 アヴァリティアに損害が及ばないようにするために。

 これ以上被害を増やさせないために。


 負った傷は大きい。だが、目的は果たせた。


「チッ、でも、そいつら全部返り討ちにすりゃいいだろ?」


 苛立つ光道に、灰色の男は淡々と言葉を継ぐ。


「ひとまずこれぐらいで『役割』は果たしただろう。『勇者』どもの力量は測れたし、これ以上は割に合わない」

「はあ!? 正気か!? 『勇者』どもはもう死に体だぜ? ここで手を引くなんてあり得ねえよ!」

「随分粘られているようじゃないか。敵の全貌もつかめないし、泥仕合を強いられる可能性もある。お前がどうしようが、私はここで撤退する。試したいこともできたしな」

「信じらんねえ……!」


 仲間割れか?

 敵の数が減るなら、こちらにとっては僥倖だが……。


「――くそっ」


 光道は突然頭を押さえ出す。苦虫を嚙み潰したような表情で。


「こんなときに……」


 懐から取り出した錠剤を、がりがりと噛み砕く。何錠も、何錠も。

 一通り済ませた後、今度はやけに冷めた表情でこちらを見る。


「まぁいい。お前らのことは存分にボコボコにできたしな」


 剣を仕舞って、服の埃を払う。どうやらここを去るつもりらしい。


 よかった……。胸の内に、安堵が広がる。

 これで、ようやく終わるのか……。


 しかし、問題がひとつ残っている。


「お、おい、ねがいは――!」


 彼女はまだ、『四天王』の傍で力なく横たわっている。


「ああ、もう飽きたわ、コレ」


 光道は興味を失ったように、ねがいを空中に蹴る。

 彼女の身体が、ふわりと宙に浮き、そして落ちる。


「ねがい――!」


 大きな水しぶきが上がる。

 次の瞬間には、『四天王』は跡形もなく消えていた。


 慌てて落ちたところに向かうと、まだ年端もいかない少女はぐったりと水の中に沈んでいる。


「う……」


 その口から、かすかに声が漏れる。

 急いで水から引き上げて、ロープを解く。


「ねがい、大丈夫か!?」


 どうやら、落下の衝撃で意識を取り戻したらしい。彼女は目を開けると、こちらの姿を捉える。


「わた、しは……」


 その身の至る所に傷があった。

 こんな、ほとんど無関係の彼女まで痛々しい目に……。

 どうして俺は今回復手段を持っていないんだ?


「……ありがとうございます。助けていただいたんですね」


 どうにか身を起こしながら、ねがいは言う。


「夢うつつの状態だったので、勘違いかもしれませんが――佐藤さん」


 涼やかな声が響いた。


「あなたが、『勇者』なんですね」

「…………っ」


 そうか、わずかながらも意識があったのか。

 だが、ねがいを疑うわけではないが、『勇者』ということが知られてしまうのは、色々と不都合だ。人の口に戸が立てられないと言うし。


「内密にされる理由は、なんとなくわかります。恩人に仇なすようなことはしませんよ」

「あ、ありがとう……」


 そのとき、『兵士』たちがぞろぞろと地下水路に入ってくる。


「君たち、大丈夫か!?」


 王都からの救援が来たらしい。

 やっと、この戦いは終わったのだ。


 身体から力が抜けていく。

 無我夢中で忘れていた傷の痛みが戻ってくる。


 ふと目を落とすと、水路の片隅で青い薔薇が蕾を開かせていた。

 なぜこんなところに?

 不思議に思いながらも、俺はふとそれを手に取っていた。




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>アフェクティアの花を手に入れた。



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