Main8 イフカンタ/夜と襲撃




――イフカンタ



 日中に見た牧歌的な街並みは、失われていた。

 民家が、燃えている。

 電灯のない暗い夜陰の中、燃え盛る炎だけが異様な明るさを誇っていた。

 大きな炎は生きもののように周りの家々を飲み込もうと広がっていた。ばちばちと、木材が焼ける嫌な臭いと熱気が、こちらにまで届く。わずかに肉の焼ける臭いも混じっていた。


「火事、か?」


 この世界には、消防車も消防局もない。茅葺の屋根や木造の家々は、成す術なく灰となるのを待つのみだ。


 逃げ出そうとする人々に、どこからともなく現れた醜悪な魔物達が群がり、襲っている。慌てて駆け付けた『兵士』達が魔物に応戦するが、それでも数が多すぎて、押されている。

 魔物の巨爪が、町人の身体を切り裂いた。


 俺たちも見ているだけにはいかない。


 銀色の大剣を滑らかに翻し、茅城さんは次々と魔物の首を落としていく。

 籃は、燃え盛る家屋に水の魔法を繰り返し浴びせている。

 聖歌は、怪我人の救護に走っていた。


 人々を襲おうとした魔物を射止めながら、俺は考える。一体何が起きているんだ? この魔物の数は尋常じゃない。見える数だけでも、百は下らないだろう。倒しても倒しても湧いてくる。それにこの火事……只事ではない。


 町人の治療にあたっていた聖歌が唇をかみしめる。


「……この人、もう息が……」

「…………っ」


 見ると、火傷を負った人、魔物に取り囲まれている人、最早ぴくりとも動かない人がたくさんいた。

 戦闘に関する『役割』を持たない人々は、無力だ。魔物に抗する術を持たない。ましてや、ほとんどの人々が寝入っていたであろう時間の夜襲。運よく逃げられた者も、着の身着のままだ。


「ぐ……」


 さらに矢を放ってモンスターを倒していく。

 しかし、人手が足りない。四人だけでは、救助も、魔物の退治も、消火も間に合わない。


「<アローレイン>!」


 矢の雨が、魔物に次々と突き刺さる。

 俺は間髪入れず次の矢をつがえた。

 倒さなければならない。次の犠牲者が出る前に。一匹残らず。




 * *




 魔物の数は尋常ではなかったが、無限でもなかった。茅城さんと共に攻撃し続け、目につくものは全て掃討できた。

 籃の懸命な消火もあり、どうにか火の手も収まってきている。


「大丈夫ですか!?」


 俺は、傷を受けて倒れ伏す少年に駆け寄る。

 どうやら幸いなことに急所は外れていたらしい。


 回復魔法は得手ではないが、訓練の中で応急処置の方法や薬草の使い方は学んでいる。習ったことを、少年に施す。だが、そろそろ手持ちの道具が底をついてきた。


「あ、ありがとう……」


 意識ははっきりしているらしく、そう礼を言ってくれた。


「……一体何が起きたんですか?」

「男が……」


 言葉を発しようとして、彼は咳き込む。


「二人組の男、だった……。あいつらが、街に火を……」


 この惨状は、人為に依るものなのか?


「目を覚ましたら家が燃えてて、慌てて外に飛び出したら見慣れない人影が見えたんだ。あいつらは魔法で民家に火をつけていた。しかも、それどころじゃない。魔物を、作りだしたんだ……!」


 あのおびただしいほどの数の魔物。どう考えても異常だ。

 だが、魔物を生み出せる存在がいるとするなら、理解はできる。


「ひとしきり街を荒らしたら、次の瞬間には消えていて……! あいつらは、化け物だ……」

「消えた……?」


 俺の頭に、前に聞いた言葉が蘇る。


――『魔王』と『四天王』は転移のスキルを有している。


 もしも、その転移で消えたように見えたのなら。

 実行犯は、『魔王』か『四天王』ということになる。『勇者』側の街を襲う動機だってある。


 いや……まだ転移のスキルがそれらの『役割』のみの特権だと決まったわけじゃない。


「家もみんなもこんなになっちゃっで……明日からどうすればいいんだ……」


 少年は途方に暮れたように天を仰いだ。鎮火された街には明かりひとつなく、暗い空ばかりが広がっていた。どう声を掛ければいいのか、わからなかった。


「ちょっと」


 突然、聖歌が声を掛けてきた。


「ここ、怪我してるじゃない。他人のことを気にしてる場合?」


 彼女は俺の頬を指す。自分では見えづらいが、ぱっくりと裂けた傷跡があるらしい。戦闘の際に負ったものだろう。夢中で気が付かなかった。


「<ディライト>」


 『僧侶』の呪文が唱えられると、暖かな光が広がって痛みがやわらぐ。

 傷薬や薬草は、あくまでも外部から傷に働きかける。だが、この回復魔法は体の内側から解きほぐされているようだった。傷口も、あっという間にふさがっていく。


「ありがとう。すごい効き目だな」

「神の祝福、らしいわよ。どんな神なのか、名前すら知らないけど」


 相変わらず素っ気ない態度だった。


「こ、こっちもこんな有様なのか……」


 ライトアーマーを身に着けた男が、こっちにやってくる。アヴァリティアでも見かけた『兵士』と同じ恰好だが、傷を負っている。すかさず聖歌が治癒を施す。


「すごいな……この魔法。一気に身体が楽になったよ」

「いえ、別に……」


 誰に対してもすげない態度である。それよりも、彼の先程の言葉が気になる。


「こっちも? どういうことですか?」

「『兵士』の駐屯拠点が、二人組の男に襲われたんだ。俺は命からがら逃げてきたんだけど……」


 『兵士』の中にも、街の方から轟音がして、様子を見に行った者たちと、引き続き拠点の警備をする者たちの二手に分かれて、彼は後者だったらしい。その拠点も破壊され尽くしてしまったが……。


「……そいつらを食い止めない限りこの惨状は止まらないってことじゃない」


 聖歌は憎々しげに吐き捨てる。


「そいつらは、まだ駐屯拠点にいるの?」

「わ、わからないけど……今さっき逃げてきたばかりだし、いるかもしれない」

「……行きましょう」


 『僧侶』は、前を見据えた。


「これ以上そいつらの好きにさせるわけにはいかない」




 * *




 この街ではあまり見ない石造りの建物。アヴァリティアの兵士の駐屯拠点。だが、それはボロボロに破壊されていた。『兵士』と思しき死体が散乱している。


「う、み、みんな……」


 案内してくれた『兵士』は、咄嗟に口元を抑える。籃は視界を遮るように立った。


「大丈夫ですか? もしあれだったら戻っていただいても――」

「い、いえ、ありがとうございます。これでも『兵士』の端くれなので。でも、どうしてこんなことに……」


 もう少し早く来ていれば、彼らの命は助かったのだろうか? ……いや、そんなことを言い出せばキリがないが。そう考えずにはいられなかった。


 二人組の男らしき人影はない。もう転移のスキルで去ってしまったのだろうか?


「ここはなんだ?」


 建物の残骸を調べていた茅城さんは、何かを見留めた。床に深い穴が開いている。


「ああ、それは――」


 『兵士』は説明する。どうやら元からあったもので、地下に通じるはしごらしい。


「この先は、地下水路に続いてるんだ。俺たちはここの警備も兼ねてて……」

「そうだ……奴らの狙いは、地下水路だ」


 聖歌は表情をさらに険しくさせる。


「この地下水路はアヴァリティアまで通じていたはず。イフカンタの山や川の水を使っているから。ここからなら――王都に影響を及ぼし得る」

「な、なんだと……!?」


 アヴァリティアに住む多くの人々の生活を支える水路。もしそれが破壊されたら、あれだけの人々に水が行き届くことがなくなり、多大なる被害を生む。ましてや、地下水路を通ってアヴァリティアに侵入されでもしたら……。


 なぜイフカンタが……こんな牧歌的な街が襲われたのか、疑問だった。

 だが、目的が別にあったというのなら、頷ける。王都に大打撃を与えるのは敵にとっては有益だろうから。


 まず街で騒ぎを起こして、駐屯拠点――地下水路の守りを薄くする。その後は易々と地下水路に侵入する。つまり、イフカンタのあの惨状は、陽動に過ぎなかったのだ。

 家を燃やす必要も、人々を殺す必要も、なかった。


 なのに、彼ら――二人組の男は、そうした。


 俺は、許せないと思った。彼らが何者なのかは知らない。しかし、決して看過することはできない。


「きっと奴らはこの先にいる」


 はしごに手をかける。一刻も早く向かわないと。


「待て」


 茅城さんの凛とした声が響く。


「その先は危険だ。ここまででわかるように、敵は強力。今の状態で立ち向かえる相手じゃない。その上、我々は先ほどの戦闘で消耗している。万全の状態とは言い難いんだ。無策で突っ込んでいい場所ではない」


 それは、正論だった。向かっても、何もできない可能性だってある。


「でも、ここで奴らを止められるのは俺たちだけだ。ここで手をこまねいて大惨事を招いたら、いくら後悔してもし足りない」


 それは、心からの言葉だった。


「ふふ、それでこそ『勇者』だ」


 茅城さんは微笑んだ。




――深き水路




 ランタンの明かりをかざす。

 地下は、水路の両脇に人が通るための一段高い道があった。だが、水路全体に凄まじい数の魔物が隙間すらないほどひしめいている。


「こ、こんな数の魔物たち――もしもアヴァリティアまでたどり着いたら……」


 先ほど見たイフカンタの惨状が頭によぎる。考えたくはなかった。


「それに、これじゃ入ることすら――」

「……私が道を開ける」


 そう言うが早いか、茅城さんははしごから飛び降りる。

 大剣が一閃したかと思えば、次の瞬間両断された魔物が転がっている。

 彼女は綺麗に着地すると、そのまま駆け出した。


「俺たちも続くぞ!」


 茅城さんの強みは、その圧倒的な耐久力にあった。

 これだけの数の魔物、当然剣の一振りで仕留めきれなかった魔物たちもたくさんいる。だが、そんな魔物たちの攻撃では、彼女はびくともしなかった。しんがりとしてはこの上なく心強い。

 俺は、茅城さんが倒し損ねた魔物を狙って矢を射っていく。


「<コペル・ニュクス>!」


 籃が詠唱し呪文を唱えると、水路の水が瞬く間に凍結し、水路の中にいた魔物の動きが止まる。


「<ノート・ノーティカ>!」


 次の呪文で、凍った水が槍のように隆起し、さらに隆起、魔物を貫く。異形の生物たちの断末魔が辺りに響き渡った。


「<ゴッドブレス>、<ホーリーズギフト>!」


 聖歌は、後ろから様々な強化呪文や回復魔法を唱えている。そのおかげか、いつもより身体が軽い。


 俺たちは、水路をどんどん突き進んでいった。




 * *




 魔物を倒し続けている内に、開(ひら)けたところに出た。

 広大な領域。恐らく水を貯めておけるようになっているのだろう。


 それにしても、天井が高い。地下にこんな空間が広がっているなんて……。いや、王城の地下深くにもダンジョンは続いていたが、一体どんな技術なのだろう。とんだオーバーテクノロジーだ。


 連戦続きで、さすがに疲労が蓄積している。しかし、こんなところでへばっているわけにはいかなかった。

 そこには、二人組の男の姿があったからだ。


 茅城さんが剣を構え直す。聖歌は厳しい表情を崩さない。籃は杖を握りしめた。


 天井に近い高さの壁の側面に穿たれた大きな穴。彼らはそこを足場にしている。


 穴の縁に腰掛けているのは、血で染めたように真っ赤なコートをたなびかせる少年。髪はアシンメトリーで、赤みがかった黒髪。どことなく目つきは悪い。

 一方、横に立つ男は、灰色の礼服のような服装の、灰色の髪の青年。

 天井付近に足場を作り、地上までの穴を開けようとしていたらしい。


「ん? なんだコイツら」


 赤い少年がこちらを見て言う。


 彼らの傍らには、浴衣姿の少女がロープで縛られて力なく横たわっていた。身体は傷だらけで、気を失っている。

 見間違えなどするはずがない。あれは緋鳥居庵の主――古井ねがいだ。


「お前ら、ねがいに何をした!?」

「おうおう、随分威勢がいいじゃねえか。お前ら、もしかしてコイツの知り合いか? だったらちょうどいい」


 少年はせせら笑う。


「お前ら、市中引き回しの刑は知ってるだろ?」

「……え?」

「こう、人間をロープで縛って、そのロープの反対側を馬にくくりつけるんだ。んで、馬を走らせたら、人間がずるずる引きずられていくっていう寸法だよ。イカすだろ? あ、馬を用意するのはだるいから、それっぽい魔物で代用したんだけどな? んで、このかったるい水路を通るついでに遊んでたわけだ」


 市中引き回しの刑は引きずり回す刑じゃないんだが……半可通な知識でそんなことをしたのか? ねがいに?

 聖歌が眉を吊り上げる。


「あなたたち、こんな無益なことはやめなさい!」

「だーれがお前なんかの指図を聞くかって」


 こちらをバカにするような嘲弄の表情を浮かべたまま、彼は言う。


「ははーん、わかったぜ。お前ら、さては『勇者』様ご一行だな?」

「…………っ」


 鎌かけか? いや、そうは思えない。

 こいつは確信を持って話している。


「あーあー、道理でなぁ。なんっかノリが暑苦しいわけだ」


 少年は立ち上がると、俺たちを見下ろした。


「僕は光道こうどう九也きゅうや。いわゆるお前らの敵であるところの――『四天王』だ」


 『四天王』――

 弓を握る手に力が籠る。


 『魔王』の配下。

 イフカンタの街を、多くの人々を地獄の底に叩きこんだ悪鬼。

 『勇者』の、敵。


「んで、コイツも『四天王』。氷原ひょうげん新吾しんご


 氷原と呼ばれた男は何も言わない。ただ無感動にこちらを見ている。


 目の前にいるのは、『四天王』。しかも、二人。

 勝てるのか――?

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