Main7 イフカンタ/緋鳥居の庵
しばらくのんびりした後、俺たちは風呂を借りた。
いくらここが旅館のように居心地がいいとはいえ、当然大衆浴場や温泉はない。風呂は、こぢんまりとした薪風呂だった。
女子は時間がかかるからと、俺が先に入ることになり、後ろがつかえていると思うとあまり長居もできず、ほとんど烏の行水のような有様で済ませた。
他のみんなが風呂に入っている間に、俺は夕食でも用意しようか。そう思いながら家屋の中を歩いていると、この庵の主の少女を見かけた。縁側に面した部屋で、文机に向かっている。
「お風呂、ありがとうございました」
そう声を掛けると、彼女はこちらに気づいた。
「いえ、湯加減はいかがでしたか?」
「ちょうどよかったです。熱すぎもせず、ぬるすぎもせず」
今は、茅城さんが火を見ている。
「それは重畳です。調整したいときは呼んでください」
幼い見た目の割に、随分物腰が落ち着いている。
「そういえば、まだお名前を伺ってませんでしたよね」
「ええ。私の名前は
「ああ、俺は――佐藤ユウです」
一瞬『役割』を訊かれたらどうしようかと思ったが。彼女は特に深入りしてくる様子もない。
念のため外向きのカバーストーリーは用意してあるものの、嘘を吐く必要がないのならそれが一番だった。
「この建物も、鳥居も、すごいですね。余すところなく和風で」
「ありがとうございます」
少女――ねがいは、丁寧に頭を下げる。堂に入った和装の身のこなしといい、所作のひとつひとつが板についていた。
「ずっと異国情緒にあふれた場所で暮らしていては、ホームシックになる方も少なくない数存在するでしょうから。私自身好古趣味といいますか、こういった和様の方が落ち着きますので」
確かに、この世界での生活に飽き飽きした人間がホームシックを少しでも抑えるのにちょうどいい場所なのかもしれない。
この至るところ和風な環境、この世界に元々存在していたとは思えない。恐らくは、目の前にいる少女が作ったのだ。家屋も、鳥居も、余すところなく。
「無論私ひとりの力では無理でした。街のみなさんが、手伝ってくれたんです」
「それでも……すごいですよ。なかなかできることじゃない」
一から家を建てて、それもこの世界には存在にしない日本家屋に仕上げて。どれだけの労力を費やしたのか、計り知れない。
ねがいは、またこちらにお茶を淹れてくれた。湯のみの中は、熱々の緑茶で満たされる。
口にしてみるとわかるが、それは俺たちが知っている緑茶とはどこか味が違う。
「特に難しいのは、飲食物の再現です。この世界には茶の木が存在しますが、原料があるからといって、現代と完全に同じものを再現することはできません。特に、『世界』に相応しくないものは固有スキルのサポートも得られませんから。その設備や製法を現代と同じ形で用意することが出来ないのです」
「なるほど……」
そもそも中世ヨーロッパには緑茶の原料となる茶の木がない。緑茶、ひいては紅茶が存在し得ないのだ。しかし、ヨーロッパといえば紅茶、というイメージによって、この世界には紅茶の原料が存在するのだろう。トマトやじゃがいも、各種香辛料があるのと同じ理由だ。
ねがいはそれを利用して、茶の木から緑茶を作ろうとした。だが、そんな和風なもの、この中世ヨーロッパ然とした世界には似つかわしくない。紅茶などは『役割』の固有スキルを用いれば簡単に作ることが出来るが、緑茶はそうはいかないのだ。
緑茶ひとつ取っても、彼女の苦労が窺える。
和装の少女は、文机に向かう。
「私の『役割』は、『
「『代書人』?」
聞いたことがない言葉だった。
「中世ヨーロッパにあった職業です。文字が書けない人々の代わりに、文字を書いてあげていたそうなんですよ」
なるほど、当時は必要な職業だっただろう。しかし、今は――
「はい。丸っきり必要ありません」
当然ながらみんな日本語の読み書きができるし、それで事足りる。誰かにわざわざ代筆してもらう必要なんて、ない。
「もう、本業は宿屋経営と言っても過言ではありません。ときどき戯れに何かを書き記す程度なんですよ」
彼女はそう言って、文机の抽斗から短冊ほどのサイズの白い紙を取り出し、そこに筆を滑らせていく。
やがて書き終えると、こちらに差し出してきた。
「よろしければ」
「ああ、ありがとう。……これ、なんて書いてあるんだ?」
達筆であることはわかるが、古いくずし字で、書かれている内容がわからない。
「おまじない――お守りのようなものです。どうか、あなたに幸多からんことを」
字も相まって、お
* *
その後、宿の台所を借りて、料理を作った。
和様の土間とかまどに少し戸惑ったが、ねがいが親切に使い方を教えてくれて助かった。よかったら彼女も一緒に食事を摂らないかと誘ったが、仲間の団欒を邪魔したくないという理由で断られた。その辺りの線引きはしっかりするタイプらしい。
料理にあたって備蓄してある食料に手を付けるのは忍びなかったので、街まで買いに行った。王都の近くにあるということもあり、品揃えはかなり充実していた。
場所に合わせて和食を作ろうと思ったが、米はないし味噌も醤油もない。かつおぶしがなければこんぶもない。みりんも日本酒もない。ないない尽くしだ。これで和食を作れというのもなかなか難しい話だった。
頭をひねった結果、今日は天ぷらを作ることにした。小麦粉も卵もあるし、作れなくはないだろう。
鶏肉やえび、鶏卵、白身魚、イカ、野菜などに衣をまぶし、どんどん揚げていく。火力の調節も忘れない。食材ごとに適切な温度を見誤らないように。
つゆはないので、ゆず胡椒を作った。ゆずの代わりにライムを使ったので、ライム胡椒塩と言った方が正確だろう。他の人の好みが分からないため、塩も単体で用意しておく。
天ぷらだけでは食事として心もとないので、きゅうりの酢の物や、玉子焼き、野菜のねぎ塩スープ――西洋ねぎだ――もつける。
せめてだしがあればもっと凝ったものを作れたんだが、言っても仕方のない話だ。
元々用意されていた和食器の効果もあって、なかなか和食らしくなったと思う。天ぷらがさくさくな内に、早速部屋に運んだ。
「すごい……これ、全部ユウくんが作ったの?」
食卓の料理を見るなり、籃がそんな声を漏らす。
「いっぱい揚げたから、どんどん食べてくれ」
各々がどんどん料理を口に運んでいく。
「すばらしいね、衣は軽いし、さくさくだ。ゆず胡椒の風味もいい」
「うん、とってもおいしいね」
「設備だって現代のようにはいかないのに、よくここまでのものが作れるな。料理系の『役割』を持っているわけでもないんだし」
「い、いえ……そんな」
持ち上げられると、なんか料理を作りづらくなってしまう。わざわざ自分の力量を誇示したようで、居心地が悪い。
やはり小麦粉も油も現代のそれと違うし、粗も多い。和食の物珍しさとなつかしさから得た評価だろう。
「ねえ、聖歌ちゃんはどう?」
「……別に」
プラチナブロンドの髪の少女は、無愛想に箸を動かす。
「どうしたんだ? 聖歌。さっきから様子が変だぞ」
窘めるような茅城さんの言葉にも、反応を示さない。
「……おい、聖歌」
「あたしたちの冒険は、命の選別よ。どうしてそんなに気楽にできるの?」
冷たく吐き捨てる。
「……命の選別?」
「何? 教えてなかったの?」
「え? どういうことだよ?」
『僧侶』は、立ち上がった。
「この世界の『役割』は、『勇者』側と『魔王』側に分けられているの。たとえば、この辺に住んでいる人間はみんな『勇者』側だわ。『魔王』が死ねば、『勇者』側の人間は元の世界に戻れるけど、『魔王』側の人間は元の世界に戻れない。一生このまま。逆も然りで、『勇者』が死ねば『魔王』側の人間は元の世界に戻れる」
それは、とどのつまり。
『勇者』側か、『魔王』側。
どちらかの人間しか元の世界に戻れないということだ。
「『世界』の人々の生殺与奪権を、あたしたちは握っているっていうことなのよ」
『魔王』を殺すための冒険。
『魔王』側の人間の帰る術を、永遠に失わせるための冒険。
「『魔王』側の人間は、精々街ひとつ分と、『魔王』の配下だけ。『勇者』側に比べると、ずっと少ない。多数決としては圧倒的よね?」
聖歌は、口の端を歪めた。
「でも、それでいいの? 本当に? 『勇者』なら『魔王』を、『魔王』側の人々を切り捨ててもいいって?」
「どうしろというんだ?」
茅城さんは箸を置くと、まっすぐに聖歌を見据えた。
「大人しく『魔王』の前にその身を差し出せ、と?」
「違うわ。ただ闇雲に『魔王』を倒せばそれで済む話じゃないって言ってるの」
「だから、歩みを止めて全てから逃げ出すのか?」
「ただシナリオ通りに冒険をして、『魔王』を殺せって? そっちの方が単なる思考停止よ!」
口論が激化しそうになるその横で、籃が慌てている。
「ふ、ふたりとも、折角の天ぷらが冷めちゃうから、ね?」
「そうだな」
茅城さんは再び箸を取ると、食事に戻る。やがて聖歌も腰を下ろした。
だが、重苦しい空気が立ち込めたままだった。
* *
台所の食器を洗いながら、俺は先ほどのやりとりを思い出す。
命の選別。
生殺与奪。
どうやら、選択を迫られる立場らしい。
まぁ、『勇者』が世界の命運を握っているということは、知っていたが。
何をどうすればいいのかなんて、よくわからなかった。
ただ、俺が『魔王』を倒すことを望まれているのなら、そうするだけだ。
そう思っていると、籃がひょっこり顔を出した。
「どうしたんだ?」
「私もお皿を洗うお手伝いをしようと思って。あんなにおいしいごはんをごちそうになったんだし」
「そうか、ありがとう」
といっても、調理器具は料理しながらあらかた洗ってあるし、それほど量はないが。厚意はありがたく受け取っておこう。
「鍋にまだ揚げ油が入ってるから、気を付けてくれよ」
「うん」
彼女と並んで、皿を洗っていく。
「ユウくん、さっきのこと、あまり気にしないでね」
「ああ――『勇者』側と『魔王』側がどうのって話か」
心配してくれているらしい。
「聖歌ちゃんね、前に会ったときは気さくでいい子だったんだ。きっと、『勇者』のパーティメンバーとしてのプレッシャーに、ちょっとブルーになってるんだと思う」
プレッシャー。だからこそ、旅行気分の俺たちに思うところがあったのだろうか。
「『勇者』側か『魔王』側か、どちらかしか元の世界に戻れないなんてまだ決まったわけじゃないし」
「……そう、だな」
それは、結論の先送り、問題からの逃避のようにも思えたが。彼女は良かれと思って励ましてくれているのだろうし、それを否定する気にもなれなかった。
そうこうしている内に、料理の片づけは一通り終わった。
「籃、そろそろ部屋に戻ろうか」
「うん」
貸し出された部屋は二部屋。人数で分けると二人ずつになるのだろうが、俺だけ男というところを加味して、俺と他三人という部屋分けになっている。
茅城さんと聖歌が同じ部屋で大丈夫なのだろうか。でも、あえて分ける方が余計溝を深めるかもしれない。これからの旅路で同室となる局面なんていくらでもあるだろうから。
* *
八畳間の部屋に、和布団をひとつ敷いて、その上で横になって。
天井の節を数えている間に、いつの間にか眠りに就いていた。
しかし。
轟音で、目を覚ました。
「な、なんだ?」
慌てて身を起こす。近く――この庵の中からではない。もっと遠くからだ。しかし、距離があっても届くほどの音量。
轟音はまだ断続的に聞こえてくる。明らかに只事ではない。
隣の部屋とつながるふすまが開いた。さすがに他の三人も目を覚ましたらしい。
「ユウくん、大丈夫?」
「ああ。一体何が起きてるんだ……?」
全員で、慌てて縁側に向かう。
辺りを見回すと、街の方から火の手が上がっていた。音の出どころも同じ方向のようだ。
「非常事態かもしれない。様子を見に行こう」
「……そうですね」
「うん、私の魔法なら消火の手助けができるかもしれないし」
ふすまを開けて、ねがいが出てくる。日中の袴ではなく、寝間着と思しき浴衣姿だった。
「皆さん、ご無事でしたか。これは一体……」
「ねがいさんはここにいてください」
「でも……」
「危険かもしれない。ここにいた方が安全だ」
『代書人』では、戦闘力もないだろう。ふつうの子どもと何も変わらない。
「……わかりました」
彼女がうなずくのを確認してから、俺たちは急いで支度をして、街の方に向かった。
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