Main3 白の王城/山吹色の剣士



 身体を起こすと、ベッドの軋む音がする。

 カーテンすら掛かっていない窓からは、朝日が差し込んでいた。今日もこの世界は続いているようだ。


 こんこんと、部屋の扉がノックされる。

 ドアを開けると、そこにいたのは籃だった。

 

「ユウくん、おはようございます」


 朝からまぶしい笑顔だ。


「あれ? なんだかこの部屋、埃っぽいですね」

「しばらく使われてなかったみたいだから。それで、何か用?」

「あ、そうそう。朝ごはんを食べに行きませんか? ユウくん、まだ食堂の場所がわからないかと思って」


 迷路のような城に慣れるにはまだ時間がかかるだろう。先導してくれる人間がいた方が安心だ。誘いはありがたく引き受けよう。




――白の王城




 いわゆるグレートホールという、大食堂に入る。天井は高く、テーブルも長大だ。天窓からは光が差し込んできている。

 しかし、それでも狭く感じてしまうほどに、活気づいていた。城の人間は皆ここを利用するのだろう。朝食時ということもあって、やけに賑やかだ。この数の椅子ですら足りなく見える。

 食事は受付で受け取る食堂形式らしく、人の行き来も激しい。受付の奥でも慌ただしく走るメイドやコックの姿が見えた。


「ユウくんは何頼みます?」

「そうだな……」


 メニューは日替わりのようで、いくつか定食の種類があった。こんな王城で定食、という言葉も似つかわしくない気がするが、現代人が運営する食堂である以上、こういうネーミングになるのも当然といえば当然だった。


 注文を終え、少し待っていると料理が完成した。A定食はロールキャベツがメインだった。トレイを受け取り、適当な席につく。隣の席に籃が座った。


 トレイの上には、メインの料理と共に小さなパンが添えられている。やはりこの世界ではパンが主食なのだろうか。


「完全に中世のようにはいかないですけどね。やっぱり皆好き勝手に現代風にアレンジしてます。この食堂だって、元々あったものに手を加えてこんな形になったみたいですし」


 現代人にとって中世の暮らしは過酷過ぎるだろうからな……。

 最初にこの世界に転移者が来てからもう一年か。これまでさまざまな工夫が施されて来たのだろう。


「でも、お米はどうやっても作れないんです。たとえばこの世界の農家の人は、『役割』の力で普通よりも簡単に作物を育てることができますし、なんだったら望めば新種の作物の種を生み出すこともできますが、お米とか大豆――味噌とか醤油とか、そういうのはどうしても作れないそうです」

「へえ、お米が……?」


 確かにこの世界にそんな和食は似合わないだろう。

 とはいえ、現代人なんだから食べたいと思うことも当然あるはずだ。


「南の方にお米を作ろうと苦心してる人もいるみたいなんですけどね。うまく行ってないみたい。食べ物だけでなく、他のものも――極端に世界観に合わないものはどうやっても生み出せないんですよ。まるで世界が中世以外のものを拒絶してるように……。言語は例外みたいですけど」


 ますますもって不思議な世界だ。

 一体この世界はなんなのだろう?


 そんな話をしている内に、食事は終わった。

 現代の加工食品はないものの、味付けは全て現代風となっておりおいしかった。


「そうだ、ユウくんの部屋の掃除をしたいんですけど、いいでしょうか?」

「え、いいのか?」

「はい。私、掃除好きなので」


 ずっとあの部屋で寝ていたら、健康に害が出そうだ。掃除は必要、だろう。


 しかし、そういえば六花さんはどうしているのか。明日から忙しくなるようなことを仄めかしていたけど、全く姿を見せない。まぁ、用があれば向こうから訪ねてくるだろう。


 そう考えて、俺は籃の提案を受けることにした。


「じゃあ、ユウくんの部屋に戻りましょう」




 * *




 籃はてきぱきと部屋の掃除をこなし、ついでに城内を回って、余った家具を持って来て部屋に並べた。

 ベッドと小さいサイドテーブルしかなかった部屋に、棚や机、椅子などが置かれ、人の住む部屋らしくなった。


「ありがとう、籃」

「いえ、これくらいなんてことないです」

「すごい手際だったよ。家事とか得意なのか?」

「得意ってほどでは……。元の世界では一人暮らししてたので、少しはできるくらいです」


 そのとき、部屋のドアがノックされた。


 音の主は六花さんだった。しっかりと伸びた背筋、毅然とした佇まい。そして、こちらを値踏みするような瞳。毅然とした足取りで、室内に入ってくる。


「ユウさん、これからの生活について説明します」

「あ……私は部屋から出ておいた方がいいですか?」

「いえ、真条さんにも関係のある話なので、ここにいてください」


 この王城のメイド長は、まっすぐとこちらを見据えてくる。


「『勇者』のあなたには、『魔王』を倒してもらいます」


 予想はついていた。元の世界に戻るには、そうするしかないのだから。


「でも、『魔王』って簡単に倒せるものじゃないんでしょう?」

「ええ、ですからあなたにはしばらくこの城の中で鍛錬を積んでもらいます。城内には騎士団のための訓練場があります。そこで指導を受けてください」


 それはまた随分と箱入りな……。なんだかしばらく城の外に出させてもらえないような言い方だ。

 よっぽど勇者に何かあったら困るのだろう。


「既に午後からの指導をある人物にお願いしています。昼食を終え次第、第三訓練場に向かってください」


 そう言い終えると、すぐに部屋を出ていく。忙しそうな人だ。


「訓練か……私にできることはなさそうかな。でも、訓練を終えて冒険に出るときは、『勇者』のパーティメンバーとして協力しますね。それが、『魔法使い』の役目だから」


 冒険か……。

 それはきっと『魔王』を倒すための道中になるのだろう。俺は倒さなくてはならないのだ、『魔王』を。元の世界に戻るために。

 そのためには、まずは訓練が必要だ。




 * *




 第三訓練場はそれほど広くはなかった。たとえるなら、こぢんまりとした剣道場くらいの広さである。もっとも、剣道場ほど和風な趣は持っていないが。

 壁には的がいくつか並んでおり、壁際には訓練用の人形などが乱雑に置かれている。


 部屋の中には、ひとりの人間しかいなかった。


 すらりとした可憐な少女で、長い山吹色の髪の一部をシニヨンにしている。涼しげな紅玉の瞳は真っ直ぐこちらに向けられていた。

 クロスタイをつけたブラウスに、ハイウエストスキニーという、マニッシュな服装。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/1177354054895940402


「やあ、はじめまして。君が佐藤ユウくんかな?」


 よく響く澄んだソプラノの声で俺を呼ぶ。


「私は茅城ちしろ。『戦士』だ。六花から話は聞いてるよ」

「ああ――よろしくお願いします」

「よろしく。ふふ、随分若い『勇者』だな」


 確かに茅城さんは俺より年上だろうが、そんなに年齢が離れているわけでもないだろう。


「これから君に戦闘の訓練をする。なに、実戦と比べれば楽なものだよ。さて――君は『弓使い』だそうだな。試しにあそこの的に向かって矢を放ってみてくれないか」


 訓練用の弓を渡される。これも、手に取るとどこからともなく矢が現れる。

 俺は、言われた通り矢をつがえる。特に狙いを定める必要はない。放てば、矢は勝手に的の中心へと向かっていく。

 数発矢を射って、途中魔力を込めた矢も放つ。恐らくこれは俺の実力を測るためのものだろう。今できることは全部やっておいた方がいい。


「すばらしいね、既に魔力の乗せ方を会得しているのか。これも『勇者』の才覚なのだろうな」


 茅城さんは褒めて伸ばすタイプらしい。


「そうだな、次は試しに剣を振ってみてくれ」


 そう言って、剣を手渡してくる。これも訓練用で、木製。両手で握ると、ずしりとした重みがある。弓を手にしたときに覚えた、性に合う感覚はまるでない。

 促されるまま多少振ってみるが重くて扱いづらく、終いには手が滑って落としてしまった。これでは戦うという次元からほど遠い。


「……どうやら剣を扱う能力は付与されていないみたいだな」

「そう、ですね」

「『勇者』の固有スキルに戦闘能力は付随されないのか? だがそれではどうやって『魔王』を……」


 目の前の少女は考え込んだ。


「たまたま『弓使い』の役を持っていたから武器が扱えるものの、仮に『勇者』の役しか持っていなかったら、君は武器を扱えなかったのか?」

「えっと、どういうことですか?」

「私は『戦士』だから剣を扱える。君は『弓使い』だから弓を扱える。これはひどく当たり前のことだ。だが――君は『勇者』なのに剣が扱えない。それが不思議なんだ」

「なるほど……」


 この世界は、中世ファンタジーのお約束に基づいている。

 それなのに剣が使えない勇者など、おかしい。


「まぁいい。この剣は初心者には重すぎたな。別のものをいくつか見繕おう」


 その後も色々試してみたが、弓以外しっくり来なかった。

 俺は、弓しか扱えないようだ。勇者といえば剣だが、その適性は全くない。


「では適性のある能力を伸ばしていこう」


 茅城さんは訓練用の木の剣を手に取る。模造剣にも拘らず、その堂々とした佇まいはとても絵になった。


「今度は的ではなく、私を狙って矢を放ってくれ」

「え、い、いいんですか?」

「いつまでも動かぬ的相手に練習していても仕方ない。君の狙いはどこまでも正確だし。私は慣れているから致命傷を負うこともない。安心して狙ってくれ」

「……わかりました」


 俺は矢をつがえる。だが、やはりすぐに射ることはできない。

 魔物ではなく人間を狙うことに、どうしても抵抗感を覚えてしまうのだ。


「ぐ……」


 いつまでもこうしていても仕方ない。急所を外して、矢を放つ。


 茅城さんはその瞬間剣を振った。次の瞬間、床に落ちている矢。

 何が起きたのかわからなかった。


 ただ純然たる事実として存在するのは、矢が茅城さんに届くことはなかったということだ。

 直前で、矢を剣で叩き落とされたのだ。


 床に落ちた矢を見て、俺は信じられないような気分になる。剣で銃の弾丸を叩き切る――なんて芸当よりかはいくらか現実的だろうが。それでも、無理がある。


 弓矢の時速は大体二百キロメートルくらいだと言われている。無論弓のサイズや素材などで多少左右されるし、それよりはだいぶ劣るだろうが、まぁ大体そのくらいと見積もっていいだろう。

 それだけの速度で飛んでくるものを、叩き落とした? そんなの並大抵の技ではないだろう。


「固有スキルで戦闘技能を得ているからな。君も訓練すればこれくらいできるようになる」


 うーん、眉唾だが……。


「問題は、敵も同じことをやってくる恐れがあるということだ。いくら必中のスキルを持っていようが、当たる前に阻害されては意味がない」


 確かに、『魔王』ならそれくらいは普通にやってきそうだ。


 歯を噛み締めながら次の矢を構える。


 また、矢は床に落とされた。

 目の前にいるのに、攻撃が当たらないもどかしさ。これなら、剣を手に取って襲い掛かった方がまだ勝算があるような気がする。いや、剣を扱う力を持たない俺が、矢を叩き落とせるほどの熟練者に一騎打ちを挑んでも、結果は目に見えているが。


 ダメだ、このままただ射っても。

 弓には、どうしても予備動作が必要となる。矢をつがえて、放つ。その一連の動作は、彼女の剣の一閃に要する時間よりずっと長い。


「今度は私から行くぞ」

「え!?」


 いくら木でできた軽い訓練用の剣とはいえ、当たればそれなりに痛い。というか、中世ヨーロッパでは、剣は鈍器としての面も強かったと聞く。


「動かない的を狙っても練習にならないし、攻撃してこない的を相手にしても練習にならないだろう?」


 『役割』に付随する戦闘技能のおかげか、多少の攻撃はかわせる。だが、それ以上の速度で攻められては、追いつかない。そもそも矢を放つ余裕もない。厳しい戦いだった。




 * *




 結局めっためたに叩きのめされた。


「お、鬼だ……」


 床の上に大の字になって、天井を見上げる。

 一切の情け容赦がない。こちらが攻撃に転じる隙もなかった。


「ほら、水だ」

「あ、ありがとうございます……」


 水を一口飲む。軟水で、疲れた身体にはよく染みた。ここが本当に中世ヨーロッパならば湧き水は硬水だろうが、水不足などに陥っては『役割』どころの話ではなくなるので、物語﹅﹅の都合なのだろう。


「茅城さん、現実世界では剣道でもやってたんですか?」

「いやいやまさか。第一実戦なんて剣道とは別物だからね」


 横に立つ少女を見る。あれだけ息ひとつ乱れていない。これが、『役割』に付随する戦闘技能なのだろうか。


「大丈夫だよ。アヴァリティア周辺の魔物は、弱く設定﹅﹅されている。お約束だろう? 勇者の冒険の進度に合わせて、魔物が強くなっていくのは。だから当分は苦戦することはないだろう」


 そういえば、土の行路で一つ目の怪物と遭遇したとき。普段はあんなに強力な魔物はこの辺りには出ないと、籃が言っていた。いつもは、弱い魔物しか出現しないのだろう。


 だが、俺は成長していくことを義務付けられている。

 冒険の果てに『魔王』がいる限り。


「私たちは強くあらねばならない。それが、世界の命運を左右する『役割』を持った人間の責務だ」

「責務……」

「ああ、ごめんね。プレッシャーを掛けているわけじゃないんだ。人間だから迷うことも臆することもあるだろう。それは決して間違っていることではない。別に『本物』になれと言っているわけでもないし」


 彼女は、壁に立てかけてある銀の大剣に目を遣る。


「大事なのは――最後に、間違わないことだ」


 間違わないこと。

 選択を誤らないこと。


「ユウ、君は聞かされているかどうかわからないが――この世界ではな、『役割』を果たさないと消えてしまうんだ」

「え?」

「ある種の淘汰、というのかな……役割放棄したものは、しばらくすると消えるんだ。文字通り、忽然と」


 消える。存在の消失。それはつまり、死ということだ。


「『役割』を遂行するかどうかは個人の意思に依るが、世界は『役割』が遂行されることを求めている。きっと、そういうことなんだろう」


 だから、俺は『勇者』でなくてはならない。


「安心しろ。訓練を行うのも立派な『勇者』だ。これをこなしていれば、君は消えないだろう」


 茅城さんは笑いかけてくる。こちらに安心感を与える表情だった。


「さて、休憩が終わったらもう一セットだ」

「は、はい……」


 どうやらしばらく解放してくれなさそうだ。


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