Main2 アヴァリティア/氷の女王の城
高い城壁に囲まれた街の中に入ると、その広さに圧倒される。
ここがこの世界の王都、アヴァリティアだった。
――アヴァリティア
「まずは王城に向かいましょう」
籃はそう言った。
「王城――王都アヴァリティアは、青の樹海からそれほど遠くありません。あそこはこの世界で一番安全な場所でしょうし、人々に色々な支援をしているんですよ」
彼女のその言葉に従って、王城までやってきたわけだが――広い。それに活気がある。
これまでいた荒涼とした場所とはまるで違っていた。
西洋の街に迷い込んだのではないかと思える光景。
密集する赤い三角屋根。石畳の道。ちらほらと屋台も見える。
時折街を区切るようにして水路があった。大部分は地下にあるものの、一部は地上に露出している。この辺りは中世ヨーロッパというより古代ローマを想起させた。
中世ヨーロッパといえばその衛生観念の低さが取り沙汰されることがあるが、街中は全くそんなことを感じさせなかった。
籃の言では、この世界で暮らすのは、現実世界からやってきた者たちがほとんどだという。つまり、ここで暮らす人たちは現代に基づいた衛生観念を持っていることになる。だから清潔なのだろう。
そして、人が多い。閑散としていた行路とは打って変わり、城壁の内側にはかなり人がいた。当然のように日本語を話している。
非現実と現実が混在している様は、余計に現実味がなかった。
* *
王城への門は堅く閉ざされていた。
警備の兵士たちが数人、手持無沙汰に立っている。
「あれも、『役割』ってことか?」
「はい。『兵士』の役の人たちですね。役には固有役と非固有役があって、固有役はひとりにしか割り振られませんが、非固有役は何人もいます。固有役――たとえば『勇者』役の人が何人もいたら大変ですからね。でも、ああいった『兵士』のような非固有役は何人もいます。固有役に与えられるスキルは特殊で強力なものが多く……あ、話が脱線しましたね」
籃はその中のひとりに駆け寄ると、何かを説明する。その兵士はすぐにどこかに行ってしまった。
「今、人を呼んで来てもらったんです。あまり時間はかからないと思いますよ」
その言葉通り、長い時間待たされることにはならなかった。
城の中からやってきたのは、ひとりのメイドだった。
挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/1177354054895842545)
長いエプロンドレスをきっちり着こなして、迷いのない足取りでこちらにやってくる。
「…………」
冷たい雰囲気を纏った美人、といった感じだった。切れ長の瞳は伏せられており、長い睫毛が影を落としている。
腰まである黒髪は、ふたつに結わえられていた。
彼女は籃と俺を一瞥してから、くるりと背を向ける。
「どうぞこちらに」
城の中に案内してくれるようだ。
――白の王城
荘厳な佇まいの白い城。
内部はある程度豪奢だが、宮殿というよりかは要塞としての側面がフィーチャーされている。
「なんだか、道が覚え辛いな……」
「攻められたときのことを考えて、複雑に作ってあるんでしょう」
すぐに迷ってしまいそうだ……。
ひとつの扉の前で立ち止まった案内人は、そのノブをひねる。
「こちらです」
そこは応接室のようだった。
部屋の真ん中のテーブルに近づくと、メイドが椅子を引いてくれる。促されるままに腰掛けた。
俺と籃、そしてメイドの三人がテーブルにつく。
最初に口を開いたのは籃だった。
「えっとね、この人は
「はじめまして」
「あ、ああ、どうも……」
曖昧に軽く頭を下げる。
「それで、こっちの人は今日この世界に転移してきたばかりみたいで、記憶がまだ不安定みたいなんです」
「名前も思い出せない、と?」
「ええ、まぁ……」
「では後で医師の診察を手配しましょう」
その無表情に違わぬ、感情が乗っていない声。
「それで、
メイド――六花さんは、籃をそう呼んだ。
「真条?」
「ああ、私の名前です。
なるほど。彼女はこの世界では『真条希帆』と呼ばれているが、本当の名前は『
「真条さん、本題はなんですか? わざわざ私を呼んだということは、大事な話があるのでしょう?」
「はい。実は――こちらの方」
籃は、俺を手で示した。
「『役割』が、『弓使い』と――『勇者』なんです」
六花さんは籃のように驚くこともなく、ただ表情ひとつ変えずに座っていた。俺を上から下まで見遣って、立ち上がる。
「承知いたしました。それでは、少々この部屋でお待ちください」
彼女はそれだけ言うと、足早に部屋を出て行った。
「……六花さんは、どこに行ったんだ?」
「たぶん、『王』に報告に行ったんだと思います。相手の『役割』を判別する能力は、『王』しか持っていませんから」
「判別、か……」
それはつまり真偽を見分けるということで、信用されていないことと同義だった。
「ああ、気を悪くしないでくださいね。結構いるみたいなんですよ、自称『勇者』が。きちんとはっきりさせておいた方がいいんです」
なるほど、一理ある。
「だけど、あの人、なんか苦手だな……一挙一動値踏みされてる気がする」
「確かに、冷たい印象を受けるかもしれないけど、でも、六花さんはすごく優秀な人ですよ。城のことは全部あの人が管理してるし、それどころか、あまり表に出ない『王』に代わって実務のほとんどを執り行っていて……。六花さんがいなかったら、この国は成り立たないでしょう」
それはまたすごいオーバーワークぶりだな……。
少し待っていると、六花さんが戻ってきた。
「お待たせしました。では、こちらにどうぞ」
* *
六花さんは、さらに城の奥の一室に案内した。
豪勢な調度に、まばゆいシャンデリア。
貴人との謁見室だろう。奥にはすだれがかかっている。
「お連れしました」
メイドの声に、すだれの向こうの影が動く。
おそらく、この影が『王』、なのだろう。
「このような形ですみません。『王』はあまり表に出ないもので」
こちらにそう説明してから、六花さんはすだれの向こう側に静かに問うた。
「……この少年は、『勇者』ですか?」
影が、ゆっくりと首肯した。
* *
俺たち三人は、再び応接室に戻ってきた。
「ご自身が『勇者』であるということは、誰かに話されましたか?」
「いえ、希帆にだけです……」
「そうですか、それは重畳。これからも軽々しく口外しないように。どこに『魔王』の息がかかった人間がいるかわかりませんし、そうでなくても変な気を起こす人間がいないとも限りませんから」
物騒な話をされて、背中に嫌な汗が流れる。
世界の命運を握る、『勇者』の命。そんなものは、簡単に摘み取られかねないのだ。
「そういえば――あなたは、ご自分の名前も覚えていないのですよね?」
「は、はい……」
「では、便宜上の名前で呼ばせてもらいましょう。そうですね、佐藤ユウ、なんてどうですか?」
佐藤ユウ。
最もポピュラーな苗字である佐藤に、勇者のユウ。
なんとも間に合わせ感のある名前だったが……名前とは得てしてそういうものかもしれない。
「佐藤さん、あなたにはこれからこの城で生活してもらいます。そして、この世界での生活に慣れた頃に――冒険に旅立っていただきます」
冒険。それは間違いなく、『魔王』を倒すための道のりとなるのだろう。
「やるべきことはたくさんありますが、今日はもう遅いですし、ひとまず身体を休めてください。部屋に案内します」
* *
通された部屋は少し埃っぽかった。あまり使われていないことがありありと分かる。
広さはある程度あるが、家具は最低限のもの――古びたベッドと小さなサイドテーブルだけで、物悲しい。
「この部屋でよろしいですか?」
「……はい」
六花さんはサイドテーブルの上に燭台を置くと、ポケットから少し錆びた鍵を取り出した。
「これがこの部屋の鍵です。では、詳しいことは明日以降」
「ユウくん、また明日」
籃と六花さんが去る。いきなり部屋ががらんとして、宙に浮いた感覚だ。
窓からは街が一望できた。
点々と、頼りないわずかな明かりが見える。一切電気が存在しない街並みだ。
壁に、手鏡より一回り程度の小さな鏡が掛けてあった。
覗き込むと、見覚えのない顔が映る。
年齢は十代……それも、精々半ばくらいに見えた。少なくともハイティーンではないだろう。とても体育会系とは言えない、薄い身体。
少し黄色がかったアッシュの髪は、恐らく地毛だろう。瞳は暗い榛色。
特徴のない顔だった。
俺が瞬きをすると、鏡に映る人物も同時に瞬く。
これが、自分の顔だという実感は一切なかった。今まで送ってきたであろう十数年の人生の重みもまるで感じられなかった。だからといって、どんな顔ならばしっくりくるのかと訊かれれば答えられないが。
俺は、自分の名前や過去と同時に、顔を失っていた。
勇者。未だに実感がわかない。
自分が何者かすら定かではないのに、果たして『勇者』になどなれるのだろうか?
そもそも、『勇者』とは一体なんなのだろう?
しかし、その答えが出るはずもなかった。
* *
「サイクロプスが倒された?」
「サイクロプスは簡単に倒せる代物じゃないというのに」
「…………」
「『魔王』から招集だとさ」
「何用だ?」
「楽しい話だといいんだがな」
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