僕はここで、明日を見上げる。

 バースデーソングが聴こえる。

 生まれて初めて、人からケーキをもらった。

 巨大なチョコレートケーキ。

 施設じゃ小さなタルトしか出なかった。

 紅葉したメープルの葉が、風に乗って舞っている。

 その中で、親友2人がにっこりと笑う。

 「ハッピバースデー、ニゲラ!」



 どうして私は夢を見ている?



 ゆっくり目を開ける。

 身体の感覚はない。頭も動かせない。

 今の私は何だ? 人間か? それともロボットか? 死んだのか? ロボットにも死後があるの? この意識はニゲラなのか? それともトモなのか?

 私は誰だ?

 「おはよう、トモ」

 声がする方に目を向けた。

 そして、私はこみ上げてくる激情を我慢できなかった。

 「どうして私が生きてるの」

 彼は答えない。

 「なんで私を使わなかった」

 彼はコーヒーに口をつける。

 「ねぇ、答えてよ」

 音声の出力を最大にする。

 「答えてよ、ココ!」


 あの夜ぐっすり眠っていた少年は、少しくたびれた壮年になっていた。



 「何年経った? あなたは今何歳?」

 「あれから23年経った」

 ココは私の身体に迷いなく管を通しながら作業を続けている。

 「僕は38歳になる」

 「聞きたいことが山ほどあるんだけど」

 「僕も話したいことがたくさんある」

 「私からのあの伝言は聞いているんだよね?」

 「すり切れるほど」

 「タイムスリップは?」

 「していない」

 「なんで?」

 「君と一緒に帰るつもりだった」

 「……そんな、子供みたいな」

 「子供だったさ、今もね」

 「……私と同い年になっちゃったじゃない」

 「君を作り直すのに意外と時間がかかった」

 「私のことなんて……」

 「トモが僕に相談なく遠くに行っちゃったのが悪いんだよ」

 ココはいたずらっぽく笑う。

 その表情に怒りはない。

 その感情に曇りはない。

 本当に心から、友人との再開を喜び、安堵していた。

 「……それは私も悪かった」

 トモは目を逸らす。

 「さて、トモも無事目覚めたことだし、向かおうか」

 「やっとタイムスリップってこと? 23年越しで」

 「いいや、これから向かうのは現在の地球」

 「---え?」

 「タイムスリップはしない」

 「……それは、私のパーツを使えないから?」

 ココはそれを否定しなかったが、代わりにあるデータを飛ばした。

 「君が眠りについてから、君が持っていた医学のデータを参考に、毎月ヘルスチェックをするようにしたんだ。君を直すために僕が壊れちゃいけないからね」

 「ねぇ、この血管のところって」

 「うん」

 トモはこれ以上何も言えなかった。

 ココは寂しく笑った。

 「僕の身体は、タイムスリップの衝撃に耐えられない」

 「……年齢的なせい?」

 「いいや、初回からずっと」

 「そんな」

 「だから、せめて里帰りぐらいはしてみたくってさ」

 「ココ」

 「何?」

 「早く私の腕を作って。接続して。電気を通して」

 「僕のこと引っ叩くため?」

 「あなたを力一杯抱きしめるため」

 ココは微笑んだけど、すぐに眉間にシワを寄せて、歯を食いしばりながら作業を続けた。

 トモは浮かぶ涙を見ながら「私も涙を実装すべきだったかな」と思っていた。



 38年前、生まれたばかりのココを、何としても地球滅亡から救いたかった私の親友たちは、彼一人だけを船に乗せて宇宙へ飛ばした。地球の生き残りは彼だけだ。

 彼が地球滅亡を知ったのは13歳の誕生日。

 私が彼と出会ったとき彼は14歳。

 私がパーツを使うよう伝えて全てのプログラムを差し出したとき、彼は15歳。

 私を完成させるのに23年。


 「トトとメメを知っていたんだね」

 身体のセッティングが終わり、私は診察台の上に腰かけ、彼も隣に座った。

 「……初めての友達で、親友だった」

 「いつか話してくれるつもりではなかったでしょ?」

 「うん。データが消し切れてなかったなんて、凡ミスにも程がある」

 「でも、そのお陰で僕は君や両親を知ることができた」

 「そのせいでタイムスリップできなくなった」

 「それは違う。僕の身体のせいだ」

 どんな気持ちで23年間を過ごしてきたんだろう。実はさっきからこっそり、宇宙船の記録部をアタックしているけど、強固なロックがかかっていて開けられない。さすがだ、抜かりない。

 窓の外には既に、青い星が見えていた。



 あまりにもあっけなく、あっさりと。

 宇宙船は地球の海に着水した。

 「大気圏突入で死んだらどうしようかと思った」

 「まさか、もしかして死ぬかもしれなかったの?」

 「1回なら耐え切れると思ったから」

 「言ってよ!」

 「君もね」

 「うっ……」

 「ごめん、僕はさすがに意地悪だった。もうやらない」

 「私もやらない」

 それから、重力に体を慣らして2週間。


 「地球は独特な匂いがするんだね」

 「まだ建物が残っているなんて……」


 陸モードに切り替えると、トモの足は人間と同じになった。

 「発信器。これでお互いの場所が分かる。有毒ガスとかの危険地帯はアラームが鳴る」

 「これも君のオリジナルが作ったの?」

 「いつか帰るかもしれないと思っていたから」

 「ありがとう」


 ほぼ40年ぶりの故郷。斜めになって木が生茂る信号を待ち合わせ場所にして、二人は別々の道を歩き出した。


 トモはオリジナルのラボを見つけた。奇跡的に残っていたのだ。緑をかき分けて中に入る。

 ニゲラは、下半身を隕石に押し潰されていた。

 「白骨化した自分と出会うことになるなんてね」

 通信機械にあと一歩手が届かなかった。だから、通信できなかったのか。

 「オリジナル、悔しかったよね。よく私を作ってくれた。あなたの意思は私が受け継ぐ。この機械が朽ちるまで」

 トモは丁寧に墓を作った。


 ココは、地図を頼りに自宅へ戻った。

 映像でしか見たことがない。なのに、なぜか知っている匂いがあった。探すと、バスルームで粉の洗剤がひっくり返ってぶちまけてあった。確かに嗅いだことのある匂いだった。記憶には憶えてないのに、鼻は憶えていた。トモが目覚めてから、泣いてばかりだ。

 リビングに墓があった。トトとメメの名前があった。名も知らぬ誰かが埋葬してくれたようだ。

 テーブルの上に、作りかけの機械が2つあった。ロボットだった。

 「ニゲラと同じことをしようとしたんだ」

 人格と記憶をコピーしたロボットを、打ち上げるつもりだったらしい。ビデオテープがあった。再生してみる。

 「いつかこのビデオを見る、どこかの誰かへ」

 「私たちには最愛の息子がいます」

 「ココと言います」

 「いつかあなたがココに出会えたなら、あの子に伝えて欲しいんです、私たちは」

 映像が止まる。

 「愛していたって、わかっているよ」

 小さな機械2つを抱き抱えて、トモと合流する。



 「ねえココ、探索中にいいところを見つけた」

 「どんな?」

 「ついてきて」

 草すら一本も生えていないだだっ広い土地があった。

 その真ん中に、大きな船があった。

 「過去のデータと照合したんだけど、この場所は元々海だった。何かの理由で、完全に干上がったみたい」

 「乗り込んでみても?」

 「もちろん」

 マストも帆もない、だけど大きな船だった。

 「どんな人が乗っていたんだろうね」

 「ノアの方舟だったのかもしれない」

 「色んな動物がつがいになって乗ってたりして」

 「もうすぐ地球は再編されたりして」

 「じゃあ、洪水に巻き込まれないように船に乗っていなきゃ」

 その時、ココがぐらりと体勢を崩した。とっさにトモが支える。

 「疲れちゃったのかな。初めてこんなに歩いたから」

 「そうね」

 「すごくすごく眠くて」

 「膝を貸してあげる」

 「硬そう」

 「失礼な。オリジナルよりは柔らかいはずだけど」

 「じゃあ、お言葉に甘えて」

 夕焼け空は星空に変わりつつあった。

 「こんな風に星を見るなんて、13歳の僕は想像しなかっただろうね」

 トモはココの髪を撫でている。我が子に母親がするように。

 「地球はこんなにたくさんの音や匂いや風景があるんだね」

 遠くで、鳥の群れが住処に帰っていく。風が吹き渡る音がする。

 「僕は生まれてよかったと思ってる」

 抱えた小さな機械2つが、カチャリと音を立てる。

 ココはゆっくり息を吸って、トモを見上げて微笑んだ。青い瞳は何年経っても綺麗だった。

 「僕は、トモと出会えてよかったと、心から思ってるよ」

 「私も、あなたと出会えてよかった」

 ココは嬉しそうに微笑んで、ゆっくり目を閉じた。

 辺りはすっかり夜になり、天には星が煌々と輝いていた。

 燃えるように明るい彗星が二人の頭上を横切って、消えていった。

 「おやすみ、ココ」




 

 人類史上最悪の世界になったのに、嘘みたいに病室は明るく清らかで、日の光が優しく降り注いでいた。カーテンが風に揺れる。

 「さっきやっと寝たから、そっとなら起きないかな」

 「静かにやれば大丈夫」

 「ちゃっちゃとやろう。はい、じゃあパパとママ、ココに寄り添って」

 母親に抱かれた赤ん坊が、まだ言葉じゃない音を小さく発する。

 「はい、笑って」

 カシャ。

 「トト泣いてるじゃん」

 「泣いたけど? てか、メメも泣いてるじゃん」

 「えへへ。我慢できなくて。あれ、ちょっとちょっと、ニゲラ」

 「まるでニゲラが生んだみたいだな」

 「泣きすぎだって、ニゲラ」

 スヤスヤ眠る赤ん坊は、何も知らずに小さなあくびをした。


 春の暖かな風が、その病室を優しく包み込んでいた。

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 僕一人、宇宙船にて。 なんぶ @nanb_desu

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