119. 予定と結果

―――――――


 太陽が頂点まで登り切ろうかという正午前。朝から執事喫茶で紅茶とケーキを美味しく頂き、さらには大也との逢瀬でフラストレーションを発散して楽しんだ後、日差しによって温まった車内でただ座っているだけの雪華お嬢様にとっては、眠気を感じてウトウトしてしまうのも仕方ない状況である。


 ただ、それでもなんとか夢の世界へと飛び立たまいと、船を漕いでいる頭をときおりふるふると震わせながら耐えているご令嬢は、どうしようもなく襲いかかってくるこの睡魔に負けたくないのかもしれない。


 そんな主の姿をルームミラー越しに見た老執事は運転に集中しつつ、眠気覚ましとして話し相手になることを決めた。眠たいのであればそうしていてもかまわないのに、と主を思いやりながら。


 「―――本日もとてもお楽しみになられたようですね、雪華お嬢様」


 「・・・・・・はい。すごく楽しかったです。ずっとこの時間が続けばいいのに、と思うくらいに」


 はしゃぎすぎて眠たくなっていることを容易に察している老執事からの言葉に、意識が夢と現実を行き来していた雪華はすぐに返答できず間が空いてしまう。それでも主として答えなければという義務感からか眠気に打ち勝ったらしく、寝ぼけ眼ながらきちんと言葉を返した。


 そうすると今度は老執事の方がお嬢様の意識がはっきりするまでの合間を上手く取り、ちょうどいいタイミングで会話の続きを口に出す。


 「それでも計画の変更はなさらないのですか?」


 「もちろんです。大也さんも前向きに考えてくださるようですから。それに、私は負けず嫌いなんです。独占しようとして誰も選ばれない。それこそが負けというものです」


 「差し出がましく口を挟んでしまい、申し訳ございません」


 会話に集中したことと話の内容から完全に覚醒した雪華は、真剣な表情ではっきりと自身の意見を伝えた。老執事は答えの分かりきった問いかけをしてしまったことを謝罪したが、主である雪華もそれが自分のことを思っての言葉だと分かっている。


 だからこそ咎めることもなく、雪華は今の話と関連した別の話をすることにした。


 「いえ、かまいませんよ。それよりも爺やが気になっているのは、もう一つの件でしょう?」


 「お恥ずかしながら、その通りでございます」


 主として自身の執事が何を気にかけているのか理解している雪華が尋ねると、言葉とは裏腹に羞恥心など一切感じさせない、いつもの柔和な表情で老執事は答える。


 老執事の考えを多少読めたことは嬉しい雪華であったが、そのもう一つの話はまだ大也へと伝えられていない。そのため、話題を振ったにもかかわらず何も進展がないという申し訳ない事態になってしまっていた。


 「でもごめんなさい。今日はその話までできなかったんです。また明日お邪魔して聞く予定にしましたけど、予定は大丈夫でしたよね?」


 「今のご予定ですと午前中であれば問題ないかと」


 気にかけていたことがはっきりしていないと分かっても顔色一つ変えることなく、主の問いに対して即座に答える老執事は流石である。


 「それではまた朝からお願いします。今日はこのあとピアノのレッスンでしたか・・・・・・」


 「その通りでございます。ところでお嬢様、橙宝院のご令嬢が協力関係となり孫の再教育も娘が進めておりますが、そろそろ別邸に戻られますか?」


 自分で明日と決めておいて無理でした、とならなくて済んだためか、ホッとした表情を浮かべて送迎を頼む雪華。ただ、予定の話からこのあと退屈なお稽古が待っていることを思い出したらしく、若干テンションが下がっている。


 対する老執事は気分の上がり下がりなど感じさせない平坦な口調で答えてから、ピアノのレッスンが行われる白宮守の別邸へと向かうこともあって今後の居住先について尋ねた。


 「そうですね・・・・・・明日のお話が終わったら戻ることにします」


 「承知いたしました。準備いたします」


 老執事が伝えたように、雪華が紫乃藤姉妹のもとでお世話になっている原因はほぼなくなったといっていい。いつまでも甘えるわけにはいかないため、雪華としても自宅に戻ることは当然だと考えている。


 ただし、明日という日にちを選んだことには、早いほうが良いという以外の理由があるらしかった。「明日のお話」について把握している老執事もそれは当然察している。


 「お願いします。あっ、そういえば爺や。頼んでいた件は調べがつきましたか?」


 「資料をご用意しておりますので、モニターをご覧ください」


 会話をしているうちに何か思い出したらしい雪華が確認すると、準備に抜かりのない老執事はハンドル付近にいくつも存在するスイッチを操作し、広い車内に備え付けられたモニターへと調査結果を映し出す。ハイテクな車の機能を使いこなす老執事だが、雪華にとっては当然であるためそこに驚きはない。


 「ありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、どういうことですか!?」


 何ページかの資料がゆっくりとしたペースで切り替わるのを、じっくりと読み進めていく雪華。その途中から徐々に頬が膨らんでいき、最後まで見終わってから不満が爆発した。


 資料をまとめた老執事は主が何を言いたいのか、よく分かっている。しかしどのように答えるべきか正解が分からず、多少の間を空けつつなんとか言葉を絞り出す。


 「・・・・・・お優しい、ということでしょうか」


 「そ、それはそうなんですけど。ずるい・・・・・・ではなくダメですこんなの! 私もお泊まりとかしてみたいのに!」


 「どうなされますか?」


 「予定変更です。ピアノレッスンは中止にして状況を確認しに行きます」


 本音がダダ漏れのお嬢様の様子から今日の予定を見直す必要があると察した老執事が確認のため尋ねると、雪華は先ほどまでの眠気などまったく感じさせない真剣な雰囲気で指示を出した。


 「かしこまりました」


 「想定外でした・・・・・・。まさかここまでリードされているなんて」


 調査内容は、茉莉衣からの情報で判明した大也と関わりのある四人目の女性。彼の担任教師である青星瑠璃という人物について。


 接点がないため多少の情報は知っておくべきということで調査した結果は雪華の想像を超えるものであったらしい。


 (一夫多妻になったとしても、その中で一番になりたいということなのでしょうね)


 言葉には出さず、やはりお嬢様は負けず嫌いだと内心で微笑ましく思いながら、老執事は目的地である黒菱家へと向けてハンドルを切るのだった。


―――――――――




閑話. レッスンの中止連絡を受けた女性ピアノ講師(21 話にのみ登場)


 「―――へ? レッスンの中止?」


 スマホに届いたメッセージの件名を見て目を丸くするピアノ講師。しばらくの沈黙の後、彼女は叫んだ。


 「ちゅ、中止なの!? 連休中の特別料金って聞いたから友達の誘い断って予定空けたのにっ!」

 

 身支度を整えていざ家を出ようかというタイミングでの突然の連絡。ここ最近まったくお呼びがかからず本当にクビになったのかと思い絶望していたところに久しぶりの依頼があり、生活が苦しい中での最高の臨時収入だと食いついたわけだが、まさかのドタキャン。


 嫌がらせでもされているのかと泣きそうになりながらも、縋る思いでメッセージの全容を確かめる。


 するとそこにはまだ希望が残されていた。


 「急用が早く終わればおねがいするかもしれません・・・・・・ってことはまだ臨時ボーナスの可能性が!? ホントおねがいします! どうかお恵みをっ!」


 こうはしていられない。もしレッスンをやるとなったときのために待っていなければ。


 後先考えずに部屋を出るピアノ講師であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る