59. お願いと覚悟


 二学年の一学期、その初日。入学式が行われた前日に引き続きよく晴れた春空が眩しい。


 新たな学校生活を明るい空が祝福しているようにも思われたが、仕組まれたようなクラス分けに喜んだのも束の間、朝のホームルームで初っ端から担任教師に呼び出しをくらい、俺と翔斗はクラスメイトたちから、いったい何をやらかしたんだという視線を浴びせられた。


 そんな幸先の悪い幕開けとなったホームルームを終え、長い割に中身のない始業式を間に挟んでから二科目の休み明けテストが実施されたわけだが、今日はそれで放課後となったため疲労度としてはそこまででもない。


 休み明けのブランクを考慮した日程なのだろう。今日の科目は数学と社会で、明日に残りの国語・英語・理科の三科目が残っている。明日もそれで授業は終わりで、今日も含めて部活動への新入生勧誘が行われるらしい。


 部活に入っていないので分からないことだが、昨日の入学式で部活動紹介をした生徒は実質一日前から登校しているようなものだ。


 とまあ、そんな早すぎる放課後のため、現在時刻はまだ午後三時前。心地いい太陽の暖かさに眠たくなるこの時間に、俺と翔斗は生徒指導室というあまり好んで入りたくない部屋にいた。


 理由は当然、呼び出しをくらったから。俺たちの目の前に座っている美人教師に。


 「――― 初日から呼び出してすみません。この後予定とかありませんでしたか?」


 フォーマルな私服ともいうべきか、シャツにジャケットのパンツスタイルという既に見慣れた服装。スラっとした身体に青みがかった黒の長髪がよく映える。


 その青星瑠璃あおほし るりという名前の女性教師に凛とした響きのある声で尋ねられ、何度も相対しているにも関わらず少し緊張しながら返答した。


 「バイトまでまだ時間はあるので大丈夫です」


 「オレも大丈夫っす。稽古の時間は自分で決められるんで」


 そんな俺に続いた翔斗の声には緊張など皆無で、どことなく余裕めいたものを感じる。流石は師匠だと感心していると、返事を聞いた先生がホッとしたように小さく笑みを浮かべながら口を開いた。


 何度見ても慣れることができず見惚れそうになってしまうのはどうにもなりそうにない。


 「それならよかったです。さて、本題に入る前に……今日のテストはどうでしたか? 黒菱くん?」


 「……えっ、自分だけですか?」


 「久世くんはいつも成績上位ですから心配していません。黒菱くんはいつも平均点の前後をさまよっているのでもう少し頑張ってほしいんです。受験せず就職するとしても内申点はアピールできますから」


 バイトの件を話した際に家庭の事情を伝えているため、進路についても色々考えてくれているのかもしれない。その気遣いが嬉しく、女神のような慈しみを感じさせる先生の優しい表情に感謝の念を抱いた。


 だからこそ変更があった進路についてはきちんと伝えておかなければならない。


 「えっと……その件なんですけど、実はいろいろあって大学いけることになりそうで……。なので今回はいつもより頑張って勉強しました。結果が伴ってるかは分からないですけど……」


 「……そうでしたか。それでは英語のテスト結果も楽しみにしておきますね。あと、進路の件についても話さないといけないので、この後黒菱くんは残ってください」


 「はい……」


 英語教師である青星先生からプレッシャーをかけられ、明日のテストが少々憂鬱になった。進路相談についてもまだ目標とかがあるわけではないためどんな感じになるのか分からない。


 気楽な放課後はどこにいったのだろう……。そんなことを思っていると、ここまで放置されていた親友が自然な感じで会話に入ってきて話を戻した。


 「あの、青星先生。大也にかまってばかりいないでそろそろ本題に入って頂けますか?」


 「……その楽しそうな笑顔の理由は気になりますが、そうですね。本題に移りましょう。ただ、二人とも内容は想像がついているのでは? 先程から戸惑っている様子もないですし」


 わずかに顔をしかめ、ニヤついているようにも見える翔斗を一瞥した先生が仕切り直したのだが、その表情には俺たち二人への期待のようなものがあるようにも感じる。


 その期待通りかどうかは分からないものの、翔斗とともに呼び出しの理由は考えてきていた。


 「まあ、はい。だいたいですけど……。特に春休み中問題を起こした自覚はありませんから」


 「何度か面談してる大也はともかく、オレは呼び出されるの初めてですからね。それが二人一緒で、先生が気にかけてる生徒のことを考えればおのずとその理由にたどり着きますよ」


 「流石ですね。考えている通り、私が相談したいのは黄波さんのことです。教員として、というよりは個人的なお願いになってしまいますけど……」


 こちらの考察は当たっていたようだが、先生はどこか嬉しそうにしながらも申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。その理由を想像することは容易かった。もっとも、どうであろうと俺がやることは変わらない。


 「それは仕方ないと思います。教員側としては生徒が何か悪事を働く前提で対策を取るわけにもいかないでしょうし。それに、先生からお願いされなくてもどうにかするつもりでしたよ」


 「え?」


 「大切な友人のためですから。なので先生は生徒を巻き込むとか余計なことは考えないでください。俺たち二人を頼ってくれようとしたその信頼に応えてみせます」


 力強く決意を言葉に変え、しっかりと己に言い聞かせる。口に出すことで、より強く刻み込むのだ。


 「う、うん。お願い、します……」


 バッと下を向いて消え入りそうな声で返事をする先生。何故かこちらを見てくれないが、任せてもらえたようなので問題ないだろう。


 「……大也、モード入ってるぞ」


 横から聞こえてきた親友の呆れを含んだぼやきに、ただ首を傾げることしかできなかった。


――――――――――――――


「大也くん、まだかなぁ……」


他に人がいない放課後の教室で一人、恋する乙女が小さく呟く。


七夕の日を待ち焦がれる乙姫のようなその様子は、誰しもを惹き付ける魅力に溢れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る