60. 待ち人の気持ち


 放課後、二学年の教室の一つ。


 今日から使い始めた慣れない教室に独り残って思い人を待つ菜月は、窓の外に浮かぶ明るい太陽を薄目で眺めながら何度目かのため息をつこうとしていた。


 しかし、それは教室のドアが開く音によって阻止される。


 ガラッ


 「――― あれ、黄波さんまだ残ってたんだ?」


 教室内へ久しぶりに大きな音を発生させたのは久世翔斗。このクラスの担任教師に呼び出されていた一人であり、菜月がずっと待っている人と一緒にいるはずの人物だ。


 ただ、その彼は一人で教室に入ってきたらしく彼女の思い人の姿はない。


 少々残念な気持ちになりつつも、ずっと一人で暇だった菜月は翔斗と会話することにした。横を通り過ぎ、後ろの席に座って荷物をいじっている相手へと振り向く。


 目的はもちろん、待ち人のことを聞くというものだが。


 「久世くん、青星先生とのお話終わったの? 初日からどうしたのかなって心配で」


 「あー、うん、まあ。オレも大也も部活やらずに武術やらバイトやらやってるから、その辺のことでいろいろと再確認することがあったんだと」


 実は君のことを相談されていた、とは言えない翔斗は上手く誤魔化したものの、菜月にとってその部分は会話の糸口にしか過ぎない。本題はもちろん同じクラスになれた思い人についてである。


 「そうなんだ……。あの、その……大也くんは?」


 「大也ならまだ先生とお話し中。進路の件で」


 「そっか……」


 あからさまにしょんぼりとなって気を落とした菜月を見て、翔斗は少しだけ気の毒になった。ただ、それよりも一人でずっと教室にいたという危機感のなさの方が問題であり、どうするべきか考えながら事実を口に出す。


 「大也のこと待ってるなら今日は難しいかもよ。アイツこの後バイトだし、時間取れるか微妙だから」


 「す、少しだけでも話したいから待ってみようかな」


 恥ずかしそうにしながらも、言葉の割に意思の強そうな声。これはどうあっても待つつもりなのだろうと翔斗は判断した。


 もっとも、彼が気になったのはあまりに分かりやすい反応を見せられていることだ。


 「……オレは知ってるからいいけどさ、そんな感じだとすぐ周りにもバレるぞ?」


 「うん、分かってる。でも、同じクラスでこんなに近くにいるのに自由に話せないとか耐えられないし……」


 モジモジしながら隠すことなく本音を告げる菜月を見て、翔斗は甘ったるい気分になりながらため息をつく。


 「はぁ。それならもう道は一つだろ。大也に守ってもらえばいいじゃん。アイツもその気だし、それが一番だろうに」


 「だから、その……もう一回ちゃんと話して決めようかなって」


 そのために待っているということなのだろう。当然のことながら翔斗はそれを察した。


 ただ、行動自体は乙女らしく可愛くても自覚がまったく足りていないことに、彼は内心で頭を抱える。担任教師からも頼まれたばかりだというのに、本人がこれでは先が思いやられるというものだ。


 そんなやるせなさを覚えながら、翔斗は軽く指摘だけすることにした。


 「それがいい。でも一つだけ忠告な。こうやって放課後とかあんまり一人にならないようにな」


 「うん……」


 その忠告に大也の意思も含まれていることは菜月にも分かったらしい。姉との会話を思い出した彼女は自覚のなさを反省するように下を向いて頷いた。


 分かってくれたようでひとまず安心した翔斗だが、大也と担任教師との約束がある以上このまま自分だけ変えることはできない。


 「そういうわけでオレもこのまま待ちたいところなんだけど、このまま二人きりだと不味くてな……」


 「彼女さんがそういうの気にする人とか?」


 察しのいい反応に、翔斗は感心した様子を見せた。彼女のことは告白されるのが面倒で公言しているため知っていても驚かない。しかし他校の彼女まで情報が伝わる可能性まで考えていることは意外だったらしい。


 「……その通り。オレってけっこう有名人じゃん? 学校で変な噂が出ると SNS とかで彼女が気づくと思うんだよなぁ」


 「それならあんまり人もいなさそうだし、独りで待ってるから久世くんは帰っても―――――」


 ずっと一人でいて何も起こらなかったため、菜月は一人で待つことを提案しようとした。


 「それはダメだ。アイツと一緒に決めたことを無責任に投げ出すなんてオレにはできねえ」


 しかし、それは翔斗に途中で遮られる。続けて告げられた理由を聞き、菜月は複雑な色を映した瞳で話し手を見ながら小さな呟きを零した。


 「……ホントに仲いいんだね。羨ましいな」


 「そうでもねえって。でもまあ、黄波さんも苦労する相手を好きになったもんだよな。アイツ天性の無自覚人たらしだぜ? いまも青星先生がその魔の手にかかってるところかも――――」


 冗談混じりに笑いながら話をしていた翔斗は、それを聞いていた菜月から突然噴き出した謎の冷気によって口を凍らされてしまう。


 ガタガタと震えてしまう肉体をぎこちなく動かし、冷気の発生源へと視線を移した彼が見たのは、とてつもない恐怖を感じてしまうほど美しく、きれいな笑顔であった。


 「分かっていてどうしてそのままにしてきたの? ねえ、久世くん?」


 「……お、面白そうだったんで」


 なんとか言葉を絞り出したものの、それによって襲ってくる威圧感が強さを増したように感じた翔斗。


 (さっき彼女が気にするからかって聞いてきたのは、黄波さんも好きな人が他の女と二人きりだと嫌なタイプだからなんだろうなぁ……)


 遠い目をしながら彼はそんなことを考えていた。するとそこに、恋する乙女から声がかかる。


 「そっか。じゃあ一緒に様子見にいこ? 他人に見られたくないなら隠れてついてきて」


 「い、イエスマム!」


 断ることができるはずもなく、翔斗は謎の敬礼をしながら従うしかなかった。



 (これ以上ライバル増えるのは阻止しないとっ! 青星先生すっごい美人だし生徒思いで優しいし……。勝てそうにないもん!)


 同級生に怖れられて敬礼されていることにも気がつかないほど動揺している菜月は、 思い人の魅力を知っているからこそ、教師と生徒のそういう関係がよろしくないことにも気づけていない。そして教師が堕とされる前提で考えてしまっていることから、冷静さを失っているようだ。



 焦る心によって落ち着いて思考することができていない乙女のもとに、一つの足音が近づいている。


 廊下に響くその音は、彼女たちがいる教室へと一直線に向かってきていた。まるでそこに目的の人物がいると確信しているかのように、迷いなく。


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