55. 黄波姉妹の場合-1


 始業式前日の夜。つまり学生にとってはこの春休みが終わろうかという時間である。


そんな一部の人間からすれば開けて欲しくない夜の空に雲は少なく、明るい月と星の輝きは明日からの希望の光にも思われた。


 朝になれば高校二年生としての登校が始まる黄波菜月もまた、明日からの学校生活を心待ちにしている一人である。その彼女は既に明日の準備を終え、夕食とお風呂を済ませた今リビングでテレビを見たりスマホを触ったりしながらくつろいでいた。


 そこに風呂上がりの大学生の姉、風莉がやってきて、ソファの上でスマホ画面を見つめる妹へと話しかける。


 「――― 菜月、どうしたの? そんな嬉しそうにニヤニヤしちゃって。……あぁ、大也くんから連絡でもあったのね」


 妹から見ても、かなり美人で肌が綺麗な姉の湯上り姿は艶っぽく思われた。しかし見慣れていること、そしてその端正な顔立ちがどこか面白がるようなものに変わっていることもあって、菜月も気にしはしなかった。


 それよりも彼女にとって気がかりなのは、自分では意識しないうちに分かりやすい表情をさらしていたことである。


 「そ、そうだけど、アタシそこまで分かりやすい……?」


 「うーん……まあそうなんじゃない?」


 「なに、その曖昧なこたえ」


 「だって分かりやすいのは大也くんのことだけだし、他のことは普通に分かんないから」


 あっけらかんとした様子で本音を伝えた姉の言葉を聞き、妹は何かを憂うかのように暗い表情で頭を抱えた。


 「……それが一番マズいんだけど」


 「どうして?」


 「自分でいうのもアレだけど、アタシ学校ではけっこう目立ってて、ファン? みたいな人もたくさんいるんだよね……。そういう人に大也くんへの気持ちがバレたりしたらどうなることか……」


 思い人のことを想像しながら、もしものことがあったらと心配そうに答えた菜月。これまでは特定の異性と仲良くしてきていないためそういったトラブルも起こっていないが、色々と自覚のある彼女は大切な人のことを思ってあらゆる可能性を考慮していた。


 しかし、真剣な妹の相談に対して姉はジト目で正論をぶつける。


 「アンタが八方美人な態度で男子たちを勘違いさせてるせいだよね、それ」


 「じ、事情は話したじゃん! アタシだってこんなことになるなんて思ってなかったの! 告白もたくさんされるし、断り続けてたらアイドルみたいに祭り上げられるし……。文化祭以降は仲良いグループの男子とも適切な距離感取ってたから、それも変な偶像を持たれることに繋がったみたいで……」


 必死に言い訳する菜月は自分でもどうしていいのか分からなくなっているようで、説明を重ねるたびにその表情も段々と暗く沈んでいく。話を聞きながらその様子を見ていた風莉にもどうしようもないことであるため、彼女は気になった部分だけ話を聞くことにした。


 「へぇ、最後のは大也くんに勘違いされたくないから?」


 「う、うん……。それに、たぶんそのグループの一人から好意持たれてるっぽかったから、その気はないっていう意思表示も含めて」


 顔を赤くして首を縦に振り、その後少しだけ申し訳なさそうな色を見せながらもどこか嫌悪感を漂わせる声音で話す妹を見て、姉はなんとなく事情を理解する。好意をもたれているらしいその男子に対して、妹が良い印象を持っていないことを。


 だからこそ風莉は姉として妹に一つ警告しておくことにした。


 「ホント可愛いわね、菜月は。でもだからこそいろいろ気をつけなさいよ? アンタの外面に盲目的な好意をもってるような連中は、きっかけがあれば何をしでかすか分からないから」


 自分の周囲にいる人間を危険因子かのように言う姉への反感もあったが、自分のことを思っての言葉だと受け止めた菜月は文句を飲み込み、素直な疑問を口に出す。


 「……きっかけ?」


 「うん、きっかけ。大也くんへの気持ちとか、彼のおかげで変わったこととか。そういう連中は自分の中で勝手な理由つけて自己を正当化してなんでもやらかすからね。大也くんは鍛えてそうだし大丈夫だと思うけど、菜月は男子に襲われたら抵抗なんてできないでしょ?」


 「い、いくらなんでもそんなこと……」


 「あり得るから言ってんの」


 あまりに突飛な話をされて信じられないといった様子で困惑する妹へ、姉は真剣な表情ではっきりと伝えた。そして場を和ますかのように優しく笑い、先ほどまでの様子が嘘かのように軽い感じで言葉をかける。


 「まあそこまで過激なやつは少ないだろうけど、警戒するに越したことはないし。あ、いっそのこと大也くんに守ってもらえば話が早いんじゃない? 隠さずに気持ちバラして、分かってもらえばいいじゃん」


 「……さっきの話聞いて、大也くんを危険な目に合わせるようなことできないよ」


 ただ、菜月としては姉が口にした提案を受け入れることができない。想像すると嬉しくなってしまうものの、彼女の表情は真剣に好きな人を思うものであった。


 真面目で優しい妹らしいとは思った姉だが、だからといって一人で抱え込ませるような真似をするはずがない。


 「そういうところは頼ってもいいと思うけどなぁ。この前も勉強しに来てたけど、そのとき言われてたよね。勉強教わってばっかりだから俺にもできることがあればなんでも言って欲しい、って」


 「ななな、なんでお姉ちゃんがそれ知ってるの!?」


 何度か勉強会ということで思い人を自室に招いた菜月だが、最初のときを除けば風莉が介入してくることもなかったため、彼女は姉の思わぬ一言に驚いた。実際に言われたときのことを思い出して動揺が激しく出てしまっている妹へと、邪魔をしないように気を遣っていた姉が追い打ちをかける。


 「いやぁ、妹が暴走して大也くんを襲ったりしないかなって思って、壁に耳を当ててたらたまたま聞こえちゃって」


 「お、おそ……そんなことしないしっ!」


 真っ赤な顔で否定する菜月は、どうやらそういった場面を想像してしまったらしい。ボンっと音が上がり、プシューっと煙が上がっているように風莉が錯覚してしまうほど、菜月は羞恥心に身体を燃やされていた。


 ここでさらなる薪をくべるのが、姉のやり方である。


 「でもこのあいだ大也くんが帰った後一人で――――」


 「ふぇっ!? きき、聞こえてたの!?」


 「……いや、冗談で言ってみただけなんだけど。まさかホントにねぇ……」


 「もうしにたい……」


 膝を抱えて真っ赤な顔を隠し、消え入りそうな小声で呟く菜月。その姿を見て楽しんだ風莉は満足げに笑いながら妹の肩を叩いた。


 「それだけ好きってことだし、バレたのが私で良かったと思うことね」


 「おねえちゃんのバカ……」


 そんな風に言われると、もう少しいじってやろうかと思うのが姉心というものだ。


 「まあでも、流石に大也くんの残り香で、っていうのはちょっとね……」


 「そそそっ、そんなことしてないし……。そういう冗談はやめてよね……」


 先ほどのように自ら認めはしなかったが、ガバッと顔を上げて目を泳がせながら否定されても説得力はない。


 「やっぱりさっきの訂正ね。菜月はホント分かりやすくて可愛いわ」


 「……もういっそころして」


 再び顔を膝に埋めてしまった妹を、姉は勝ち誇った表情で、けれど同時に心配そうな様子で見つめるのだった。


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