54. 白宮守家主従の場合


 ところ変わって白宮守家の別邸。時は同じく三月の末日である。


 この屋敷でも忙しそうにデスクトップパソコンへと向かう者がいるものの、決して仕事をしているわけではなかった。


 資金力に物を言わせた高性能パソコンの用途といえば、不正アクセスというよろしくないものだ。


 「――― もーっ! おじいちゃんどんだけ力入れて情報ブロックしてるのっ!? いっこうにあの男のこと分からないんだけど!」


 キーボードから手を離し、両手で頭を抱えるのはこの屋敷で働くダメイド、桃瀬美桜である。求めている情報へのアクセスを妨げている相手が自身の祖父だということは彼女にも分かっていた。


 だからこそ文句の一つも言いたくなるわけで自室に小さな呟きとため息がこぼれる。


 「ハッキング技術では勝ってると思ってたのに、あの年でこんなにネットワーク関係強いってチートじゃん……はぁ」


 とはいえ、時間さえかければなんとかなるという試算が美桜にはあった。


 「まあでも今はガマンガマン。あの人だって人間だし、茉梨衣様とアタシを同時に相手しながらお嬢様の身辺警護までこなすのは難しいはず。春休みが明ければアタシは自由な大学生だけど、おじいちゃんはアタシの穴埋めでお嬢様の護衛に回らなきゃいけないんだから」


 目的が達成されることを確信している割に、メイドの表情には笑みがない。主人にも劣らないモノクロ具合で、真剣なまなざしをしている。その視線の先にあるものが何か、それは誰にも分からない。


 しばらく独りで思考に耽った後、美桜の端正な顔に色が戻った。


 「うん、それならいけそう! そうと決まれば油断させるために少し手を緩めておいて、アタシはお嬢様のお世話に戻ろっと! ……あれ? なんか身体だるい。パソコンやりすぎたかなぁ……」


 赤く色づいた頬と、わずかに熱い身体。そして重い頭とふらつく足元。


 明らかな異常を自覚しつつも、この後は主の部屋を掃除することになっているため無視したダメイド。


 お嬢様のためならこれくらいなんともない。


 そう考えているに違いなかった。



 お花を摘みに行ってから自室へと戻ってきた屋敷の主、雪華。閉めたはずの扉がわずかに開いていることからなんとなく察しがついた彼女は、思わずため息をつきそうになりながらもこらえて無表情の仮面を被った。


 「……美桜? どうして私の部屋にいるのですか? 勝手に入らないように言いましたよね?」


 「お掃除にきたのですが、お嬢様がいらっしゃらなかったので……」


 掃除機を持っているのに音が聞こえなかったところからすると、まだ部屋にきたばかりなのかもしれない。しかしどこか疲れているようにも思われる様子で返事をされ、雪華は内心で首を傾げた。


 ただ、掃除をしてもらっている立場だという自覚がある彼女としても徹底してもらいたい部分がある。これまでにも何度か伝えていることならなおさらだろう。


 「私がいるときにお願いすると伝えましたよね?」


 「も、申し訳ございません……ハァハァ」


 「……どうして嬉しそうな顔で息を荒げているのかは分かりませんけど、次同じことをやったら美樹さんに伝えますから」


 「無表情とその冷たい目っ! そして容赦なく地獄に叩き落そうとする冷徹さ! たまりませんね……ハァハァ」


 「……み、美桜? ついにおかしくなってしまいましたか……? いえ、もともとおかしいのですけど……」


 たびたび奇行を見せるメイドだが、流石にここまで酷い状態は雪華も見たことがなかった。むしろ心配になってくるレベルの気持ち悪さのため、おかしなメイドの主は無表情を維持しながらも困惑気味である。


 しかし、後に続いたメイドの発言が、その雪華を一瞬で素に戻すこととなる。


 「ふふふっ……。あ、そういえば、これ……。どこでこんな安物のヘアゴムを? 普段から髪を結ばれることはありませんよね?」


 指で摘まんだ黒色の簡素なヘアゴムを虚ろな目で眺めながら疑問符を浮かべる美桜。その姿を見た雪華は表情を取り繕うことなど忘れて叫んだ。


 「か、返して! それは大切な預かりものなのです!」


 「……そうですか。アタシよりもこんなモノの方が大切とおっしゃるのですね、お嬢様は……」


 なおも焦点の定まらない視線を揺らしながら、美桜はブツブツと小さな呟きを漏らす。いつもとは明らかに様子が異なっていたものの、焦りや不安、憤りなど様々な感情に心を乱されている雪華はそれどころではなかった。


 「そうは言っていません。ですけど、それとこれとは話が別です。勝手に触らないでください」


 「……おじょーさまがつめちゃい。もっとアタシのこともかまってくだしゃいよーっ!」


 主から強めの言葉をかけられたダメイドであったが、彼女は既に限界を迎えていたようである。回らない呂律で駄々をこねながら雪華へと飛びついた。


 「えっ、美桜っ!? いきなり抱き着いてくるなど……」


 「じゃないとこれ、しょぶんしちゃうんですからねぇ……」ムッスー


 間近で異常な様子を確認してようやく状況を察した雪華は、ため息混じりに右手をメイドの額へと持っていく。


 「まさかとは思いますけど……はぁ。やはりそうでしたか。熱がありますね……。ここ最近はなかったので忘れていましたけど、美桜は体調を崩すとこのような感じで暴走するのでした……」


 「キュー」


 ダメイドが目を回して沈黙してしまった直後、困り果てた雪華へと近づく人の気配があった。


 「お嬢様。申し訳ございません。孫がまたもや失礼な真似を……」


 「……呼ぼうとしていたのですが早いですね、爺や」


 足音もなく近づいてきたのは、雪華の執事であり美桜の祖父でもある老執事だ。見計らったようなタイミングで現れたことに多少驚いている様子の主が無表情を取り繕い忘れていることに気づいた彼であったが、いまは隠す必要もないと甘い考えが浮かんで注意はしなかった。


 「お伝えしたいことがあってこちらに向かっておりましたので」


 「そうでしたか。それで要件はどういったものでしょう?」


 「……橙宝院のご令嬢が本格的に人手を動員して調査を始めようとしているようでして、そちらの対処に集中したく少々お暇を頂けないかとご相談に参りました」


 主命を果たすための決断なのだろう。いつになく真剣な表情で告げる老執事の本気度を察し、雪華はそれを受け入れることに決めた。


 今も昔も、自分は一人ではない。この春休みを経て友人との接し方に変化があった彼女は、その考えから生まれるのか、どこか頼もしさすら感じさせるオーラを放っていた。


 「そう、ですね……。美桜は本家に移送するとして、私は……友人を頼ってみます。聞いてみないことには分かりませんけど、事情は分かってくれると思います」


 「申し訳ございませんが、そのようにして頂けると幸いです」


 「早速連絡してみますね。その間に美桜の移送を任せてもいいですか?」


 老執事もその主人の様子を嬉しく思いながら、お願いに返事をしつつ孫の手にあったヘアゴムを雪華へと手渡す。


 「はい。承知致しました。こちらは大切にお持ちください」


 「ありがとうございます」


 大切なものが返ってきたことに安堵の色を見せ、感謝を伝える雪華。


 見る者の視線を奪う、鮮やかで美しい多彩な色の華々を思わせるようなその笑顔。本家のご家族にも見て頂きたいと、老執事は声なく願った。




 「もしもし、蒼葉? 突然ごめんね。少し相談があって―――」


 お泊りの相談のために電話をかけた雪華。了承を貰ったのちに、一人にしかかけられない電話をもらえなかった双子の片方に問い詰められて苦労した彼女は、今後の連絡方法を本気で迷うことになるのだった。



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