53. 紫乃藤三姉妹の場合
時は同じく、新学期間近の三月末日。
紫乃藤家の別邸では、まだ学生の令嬢たちが忙しい大人たちとは対照的にゆっくりした時間を過ごしていた。
大学生の藍葉と、従姉妹でありながら実の妹のような関係の双子姉妹で中等部生の紅葉と蒼葉。彼女たち三姉妹が自室で話題にしていたのは、妹たちの友人である白宮守雪華からのメールに添付されていた写真についてだ。
写真の撮影日は数日前なのだが、色々と事情があった雪華はすぐにメールを送信できなかったらしい。そんな事情は知るはずもない彼女たちであるが、そもそも撮影日など気にしていない様子であった。
「――― 雪華から写真送られてきたけどさぁ……」
「うん……。お父様には、あんまり、似てない」
三人が見ている写真には友人の雪華と一人の男子高校生が映っている。その男が友人の思い人であり、前もって聞いていたところによると自分たちの父親に少し似ているとのことだった。しかし、双子姉妹にはパッと見た感じそう思えなかったようだ。同じ角度で首を傾げながら、期待外れといった様子で残念そうにしている。
ただ、藍葉だけは別だったのかジーっと写真を凝視した後に異なる感想を述べた。
「……そう? 眼鏡外せば叔父様っぽくなりそうだと思うけど。私のスマホに送ってくれればアプリで眼鏡外せるかも」
既に成人している彼女は、教育上の観点から情報社会に取り残されている双子姉妹とは違ってスマートフォンを所持している。文明の力を用いればより詳しく比較もできるというものだ。
大人な姉に感心しつつ、妹たちがそのアイデアに乗っかる。
「分かった! 藍葉ねえにも送っとくね」
「スマートフォン、便利、なんだね」
ガラケーしか持っていない二人から尊敬のまなざしを浴び、それほど使いこなしているわけでもない姉は複雑な表情を浮かべ、そしてふと用事を思い出した。
「あっ、でもこれから例の件で叔父様たちとの話があるから、そのあとでね」
「わかった! いってらっしゃい!」
「いって、らっしゃい」
例の件が何か、それはもちろん双子姉妹にも分かっている。だからこそ大好きな姉が遠くに行ってしまう気がして、一瞬だけ不安によって瞳が揺れた二人。しかしワガママが通じる状況ではないということも同時に理解していたため、妹たちはそれぞれの笑顔で送り出すことしかできない。
長年双子姉妹の世話をしてきた藍葉に二人の心情が分からないはずもなく、彼女もまた無理に笑顔をつくることになってしまう。
「うん、いってきます。……あ、そうだ。学校の準備とかちゃんとしておきなさいよ。もうすぐ春休みも終わりなんだから」
「はーい!」
「うん」
姉が外出して双子姉妹二人になった室内。お互いに同じ気持ちであることを理解していた二人はしばらく黙っていた。
しかしその静寂にいつまでも耐えられるわけがなく、やはりまず紅葉が口を開いて小さく呟く。
「結局春休み中はあの執事喫茶行けなかったなぁ……」
「仕方、ない。習い事、とか、家の、集まりとか、いろいろ、あったから」
己の半身ともいえる姉妹の特性をよく理解している蒼葉は、そのタイミングを予想していたかのように間を開けることなく相槌を打った。
そうなれば二人の会話は簡単に止まらない。
「まあ学校帰りに雪華と行けばいっか」
「うん。その方が、話、早い」
「あーでも、学校めんどくさい」
「そう、だけど、雪華ちゃん、変わったし、そこは、楽しみ」
「そうだね! どうせクラスは固められてるだろうし、また三人で好きにやろ!」
「楽しく、なりそう――――」
そこからも、新学年が始まってから予定されている行事を雪華といかに楽しむか、雪華の恋がどうなるのか、など多様な話題に飛びながらおしゃべりを続けた双子姉妹。当然新学期に向けての準備が進むはずもなく、帰ってきた藍葉にため息をつかせることになる。
ただ、その広い室内に響く二つの声には寂しさを紛らわせているかのような必死さがわずかに含まれているのだった。
妹たちが言いつけも守らずおしゃべりをしている最中、ベテランの使用人が運転する車で紫乃藤家本邸へと向かう藍葉は何度目か分からないため息をついた。
「――― はぁ。別邸で好きに生活できるのはいいけど、本家への移動は面倒なのよね……。話も話だし……」
「何故このご時世になってまで政略結婚があるのでしょうね……」
その呟きに答えたスーツスタイルが似合うカッコよさを伴った妙齢の女性運転手は、藍葉が幼い時から傍に仕えてきた使用人である。
両親を亡くしたときもずっと傍にいて優しく見守ってくれたその女性を、藍葉は家族のようにも思っている。ただ、当の使用人は立場を崩すことが自分自身で許せないのか頑なに敬語で話すため、藍葉も本心はともかく何も言わない。
「情勢を考えれば仕方ないわよ。まあ今回の政略結婚ほどじゃないにしても、うちで当主になる人間は結婚相手を自由に選ぶ権利なんてなかったけどね……」
「そうでしたね……。ご当主の
「今は良いけど、二人にはこの話聞かせないでね」
「承知しております」
二人だけの空間だからこそできる会話。このことはまだ妹たちに知らせるべきではないと、主従の考えは一致していた。両親の馴れ初めが複雑なだけに、その間に生まれたことをどのように受け止めてしまうか分からないために。
しばらく車の走行音だけが聞こえる時間が続き、その中で藍葉は先ほど妹から送ってもらった写真を加工するのに四苦八苦していた。
妹たちの前でなかなかうまくいかない様子を見せるのは姉としてのプライドが許せないらしく、この移動時間でなんとかしようとしているようだ。
苦戦を強いられたものの、ようやく操作方法を把握した藍葉。安堵しつつスマホを操作しながら、これからの話し合いに意識を戻そうと口を開いて―――。
「さて、叔父様はどのようなお考えなのかしら。誰を当主とするか……。それによって私の結婚相手も決まるわけ、だ、し……。これは……」
それは不自然に停止した。
運転に集中していた使用人には見えなかったが、藍葉はスマホの画面を見て驚愕の表情を浮かべている。
「どうかなされましたか?」
「……ううん、なんでもないわ」
確かめなければならないことができた藍葉は、申し訳なく思いながら大切な人に嘘をついて誤魔化そうとした。
「それでしたらよいのですが……。そろそろお屋敷に到着いたします」
しかし使用人も長年連れ添った主のことをよく理解している。事情があるのだろうと察し、何も言いはしない。
「運転ありがとう、お疲れ様。こっちの話が終わるまできちんと休んで。帰りも宜しくお願いね」
何度も足を運んできた紫乃藤家本邸の前で車を降り、ねぎらいの言葉をかけた藍葉は強い足取りで当主のもとへと歩みを進める。
それを見送る使用人の瞳は慈愛に満ちていて、けれど同時にどこか悲しげな色を含んでいた。
本邸の使用人に案内され、当主の部屋へと通された藍葉。先ほどスマホ画面で見た写真を思い出しながら真剣な表情をしている彼女に、呼び出した側の紫乃藤晶が声を掛ける。
「藍葉、よく来てくれたね。前もって伝えた通り婚約の件に関して話があって呼んだんだ。君としては望んでいることではないと思うけどね……。本当に申し訳ない」
「この同盟の重要性は理解しているつもりですからお気になさらないでください。特に意中の異性がいるわけでもありませんから」
「そう言ってくれると助かるよ……。しかし、藍葉は兄さんの忘れ形見だ。事情が事情とはいえ、私としては君の幸せを優先したかった。だけど、白宮守と橙宝院の間では既に婚約が行われていて、紫乃藤は取り残された状態になっている。早めにどちらかとの婚約だけでも決めるということになったんだ……。本当にすまない、家の決定に従うしかないお飾り当主で」
悔しそうに、そして心の底から申し訳なく思っているというように謝罪する当主。年齢としては四十前後であるはずなのに、それよりも幾分老けて見えるのはやつれているからだろう。紫がかった黒髪には艶がなく、色素の抜けた白髪も散見される。整った顔には心労が伺える皺も見えている。
そんな彼が家のトップとしての力を有していないことを、藍葉は当然知っていた。
「叔父様が気にかけてくださるだけで充分ですよ、私は……。今の紫乃藤家は実質おばあ様のものです。両親の死後、叔父様を連れ戻して無理やり当主の座につけ、傀儡として家の繁栄のために利用している……。私に関しても今回の同盟におけるピースの一つだとしか思われてないのだと分かっています」
「そこまで分かっていて、どうしてそこまであっさりと受け入れているんだ……?」
暗い表情で確認する当主に対し、尋ねられた藍葉ははっきりと強い言葉で返す。
「紅葉と蒼葉の二人を守るためです。大切な妹たちを、まだ狭い世界しか知らない状態で婚約させることは絶対に阻止したいと考えています」
「……藍葉。本当にありがとう。娘たちのことを大切に思ってくれて。これまでずっと傍にいてくれて……」
「お礼を言うのは私の方です。あの二人と一緒にいたからこそ、私も立ち直れたのですから」
「そうか……。藍葉の願いはなんとしても叶えるよ」
先ほどよりも少しだけ力のこもった声で約束した当主の表情を見て、藍葉はそこに親としての意地を見た気がした。
しかし今はそんなことよりも大切な要件がある。彼女が口にした願いに直結する、重要な要件が。
「ところで叔父様。一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか? おそらくあまり思い出したくないことを思い出させてしまう質問ですけど……」
「構わないよ。私も随分長くこの位置に座らせ続けられているからね。少々のことでは気持ちを乱されたりしないさ」
わずかに頼りがいを感じさせるようになった傀儡当主は、迷いを見せた姪に対して安心させるように胸を叩いてみせた。
本当に大丈夫なのか一抹の不安を覚えつつも、藍葉は当主の顔を立てて迷いを消す。
「それでは遠慮なく。叔父様が愛していた女性、黒菱という方と肉体関係を持たれたことはおありですか?」
「……藍葉には彼女の話を聞かせていたんだったね」
ストレートな質問を受け、なぜそのようなことを聞くのか理由を尋ねる余裕もない現当主様。
詳しい説明が面倒な藍葉はそれを好機と見たのか畳みかけるように追及した。
「はい。それで、どうなのですか?」
「私は彼女とそういう関係を持っていない―――そう自覚している」
「言い方に含みがありますけど……?」
はっきりしない物言いをされてジト目になる藍葉。その視線を浴びた当主様は、遠い過去を思い出すかのように天井を見つめながらゆっくりと説明を始める。
「……彼女に最後の別れを告げたとき、彼女の方からお願いされて断ったんだ。結婚もしていないのにそんなことはできないと。だけど―――――」
「えぇ……。それ、どういうこと……?」
話を聞き終えた藍葉の困惑に満ちた声が、広い室内へと響くのだった。
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