51. 親友との語らい、春休みの終わり。


 思い出されるのは、バイト先での会話。


 バイト執事の金剛としてではなく黒菱大也として、白宮守雪華というご令嬢が言葉にした一つのお願いに対して答えたときの。



 『あ、あの……大也さん、私の執事になって頂けませんか?』


 『……へ?』


 『あっ、いえ、すみません! いきなりおかしなこと言って……』


 『いや、謝ることじゃないって。そうやって誘ってくれるのは素直に嬉しいし』


 『そ、そうなのですか?』


 『もちろん。でも、本気で誘ってくれていたとしても、俺は首を縦には振れない』


 『それは……その、どうしてでしょうか?』


 『だって俺は執事喫茶のバイトであって、本物の執事じゃないから。執事について何も知らないし、そんなんじゃ雇われる資格なんてない。雑用係とかそのあたりなら考えてみるけど、今の俺は執事にはなれない。いや、なってはいけないって思うから』


 『大也さんは本当に凄いですね。何も考えないで発言した自分が恥ずかしいです……』


 『すごくなんてないよ、俺は。でもありがとう、誘ってくれて。本当に嬉しかった。本気で雪華さんの執事を目指そうかな……なんて』


 『ほ、本当ですか!? あ、でもそれはダメですっ! だ、だって私は……主従ではなく同列の男女として―――――』


 こちらのちょっとした冗談に対し、多彩な色を見せながら何やらブツブツと呟いていた雪華さん。しばらく呼びかけに応じないくらい自分の世界に入っていたが、我に返ってからも俺を雇うという話の続きには入らなかったため安堵した。


 俺だってそれほど鈍感なつもりはない。言葉の裏にある、より多くの時間を一緒に過ごしたいという気持ちはなんとなく察せられる。どのような思いから出た気持ちなのかは、予想できても判断できないため考えないことにした。



 なぜなら、もしそうだとすれば俺は―――――。




 「――― 大也、今日はどうしたんだよ? あんまり集中できてなかったみたいだけど」


 バイト終わりの夜、友人である久世翔斗の自宅に併設された道場の床の上で仰向けに寝転がっていた俺は、その友人に声を掛けられて閉じていた瞼をそっと上げた。


 蛍光灯の人工的な明かりが眩しくて思わず目をしかめてしまいながら、隣に座って心配そうにこちらを見ている師匠兼親友へと答える。


 「悪い、翔斗。ちょっと色々あってさ……」


 「……お母さんの調子、悪いのか?」


 「あーいや、確かに少し崩したときもあったけど、今は元気にしてるよ」


 なんなら訓練終わりでバテバテな今の俺の方が元気ではないくらいだ。しばらく休んでいたのに肩で息をしているし、夜はまだ涼しいというのにまだ汗をかくくらいに身体が熱い。ゆっくりと起き上がって座ってみたものの、身体の状態はたいして変わらなかった。


 とはいえ、訓練に付き合ってもらいながら集中できないというこの体たらく。本当に申し訳ない。


 (メンタルコントロールも磨いておかないとなぁ……)


 そんなことを考えていると、至って真面目な表情で何事か思案し始めた翔斗が首を傾げながら尋ねてきた。


 どこか馬鹿にされているような気がする話し方で。


 「あの母親第一の大也が他に悩むことか……。バイト先で何かあったとか?」


 「……言い方に悪意を感じるのは気のせいか? まあその通りだけどさ……」


 「気のせい気のせい。あ、もしかして、この前も話してた金持ちお嬢様の件か?」


 俺の文句を聞き流すかのように笑いながら話を変える親友は流石に鋭い。バイト先の悩みなら仕事をしていない店長のこととかもあるというのに。


 それはともかく、頭を悩ませている問題を聞いてもらえるのは助かる。母さんに相談するとややこしくなりそうなので、頼りになるのは親友兼師匠しかいないのだ。


 「まあな。仲良くしたいとは思うけど、少し距離が近すぎるというか……さっき店で執事になってくれって頼まれて、その場はなんとか凌いだけど、いろいろ考えがまとまらなくて……」


 「……流石にその子の気持ちには気づいてるんだよな?」


 「それは……俺が決めつけていいことじゃないからまだ分からないけど、なんとなく。だからこんな感じになってるんだよ、俺は……」


 「はぁ。大也が女子の話するとかこれまでなかったんだし、気になってるなら付き合えばいいんじゃねえの?」


 「簡単に言うなよ。俺は結婚を前提にした恋愛しかするつもりないんだからな」


 「どうしてそうなるかねぇ」


 やれやれといった様子で首を横に振る翔斗が彼女とどのような付き合いをしているのかは教えてくれないので知らないが、俺はその理由をきちんと話している。


 あれ、俺たちホントに親友だよな?


 「……翔斗は知ってるだろ、俺が母さんを捨てた父親みたいな男になりたくないってこと。それに、早く母さんに孫の顔を見せるためにはそれくらいの気持ちじゃないとダメだからな」


 「いろいろ事情知ってるから気持ちは分からんでもないけど、母親大好きすぎるのはどうかと思うぞ。女の子だってあんまりよく思わねえだろうし」


 「言っとくけど俺はマザコンじゃないぞ。それに、おそらくその辺を理解したうえで母さんとも仲良くしてくれる女子だっているんだからな! そのご令嬢とか菜月さんとか! ……あっ」


 否定するのに必死だった俺はつい口を滑らせてしまった。雪華さんのことはちょくちょく相談していたものの、ともに同じクラスだった菜月さんのことは俺が話していいものか分からなかったし、そもそも相談が必要なこともなかったのだ。


 そんなこちらの失言に気づかないはずもなく、親友はにやけ顔で距離を詰めてくる。


 俺にそっちの趣味はないので、汗をかいている男同士が接近するような状況にはしないでほしい。


 「ほぉ。詳しく聞かせてもらおうか? 菜月さんっていうのはあれだよな。同じクラスだった黄波菜月さんのことだろ? いつの間にそんな仲になったんだよ?」


 「……黙秘で」


 「しゃあない、本人に聞くか。クラスのグループに連絡先あるし」


 「わ、分かった、話すから! それは迷惑だろうしやめてくれ」


 情報通の翔斗が知らないということは、菜月さんは友人の誰にも俺との出来事を話していないということになる。この手の情報が容易に広まってしまうことは現代のスマホ時代を考慮すれば想像に難くない。


 そうであるならば、アホなやつの不用意な発言で菜月さんが問い詰められるという状況にさせていいはずがないだろう。


 「最初から話せばいいものを。じゃあ聞かせてもらおうか」


 こちらの思考は完全に読まれていたようで、してやったりというドヤ顔で詳しい話を促される。


 掌の上で踊らされた形になったことを悔しく思いながら、俺は菜月さんとの出来事を親友兼師匠に語るのだった。




 「――――― つまりこういうことか? 黄波さんは執事モードの大也を声だけで見破れるほどにお前のことが好きだと。そしてなんやかんやあって家に招かれるくらいにいい感じだと?」


 「好きかどうかはさっきと同じで分からないし、家には勉強教えてもらいに行ってるだけだからな」


 「あの学校の人気者がねえ。男子たちが知ったら刺されるかもな」


 「恐ろしい冗談言ってんじゃねえよ……」


 本当にやめてくれ。確かに菜月さんの人気は学校で空気みたいな存在の俺でも知っていることだが、そんな過激なファンがいるというのか? もしそうだとすれば、菜月さんこそ危ないし酷い目に合うかもしれない。


 悪い方向に考えすぎていると思考をやめようとしたが、それは友人によって妨げられた。


 「いや、けっこうマジで。男の噂とかなかったし、アイドルみたいな感じで熱心なファンもかなりいるぞ」


 いき過ぎた愛情は、ときに憎悪へと変わる。特に一方的な愛情を向けられている側は、本人の認知しないところでそれが起こる可能性もあるのだ。菜月さんは自ら望んでそのような立場にいるわけではない。


 心配になるのと同時に、どうしてか現状に対してものすごく腹が立った。


 ただ、最優先事項は菜月さんが危険な状況に陥らないために何ができるかということだ。しかしそれは今ここで考えることでもない。二年生になって新年度が始まるまでに考えておくことを心に誓う。


 そうして頭を切り替え、一つの疑問を口にした。


 「……それならどうして文化祭で俺が二人きりになれたんだよ?」


 「あー、そっか。言ってなかったっけ。ホントは彼女がいて間違いのないオレが入るはずのところを大也に代わってもらったんだよ。彼女の予定があとで変わってさ」


 「えっと……どうして当事者が知らないうちにそんなことになったんだよ?」


 「だって大也、文化祭の話のときは気持ちよさそうに寝てただろ?」


 「そ、それは……そうだけど」


 授業中は頑張っていたのだが、話し合いとなるとどうしても気が緩んでしまう。バイトや家事で疲れた身体を休ませるには好都合の時間だったのだ。


 すでにどうしようもない過去へと必死に言い訳をしていると、我が友がとんでもないことを告げてくる。


 「年上にしか興味ないから無害だって説明したら男子たちも納得したぜ?」


 「俺の知らないところで勝手に熟女好きみたいなレッテル貼るなよっ!」


 「マザコンだからって、言った方がよかったか?」


 「違うって言ってるだろっ!?」


 いつも否定しているのに、この男はいっこうにこの手のイジリをやめようとしない。そろそろ本気で怒ってもいいと思うのだが、戦闘能力では完全に劣っているし、頭の回転と弁舌の強さもあちらがかなり上であるため唇をかむことしかできないというのが現状だ。


 完璧超人な親友兼師匠に追いつける日は来るのだろうかと思っていると、いつも通り呆れていることを隠さない様子で親友がにかっと笑う。


 「はいはい。まあでも大也にも春が来たようで何よりだな」


 「うるせえ……」


 「まあでも二人っていうのがなぁ。正直さ、オレには大也が選べるとは思えないんだけど」


 「……二人の気持ちは分からないけどな」


 「好きだったとしての話だよ」


 「そう仮定するなら、その通りだろうな」


 「まあ自業自得だと思って存分に悩めばいいんじゃねえか? それがきっと大也のためになるって」


 自業自得という部分は物申したいが、悩むことから逃げてはいけない。そしてその経験が自分のためになるというのも分かる気がした。


 「……分かったよ」


 「あ。でもどっちかに告白される前に自分から気持ち伝えろよ?」


 「ああ、わかってる」


 そうしなければならない理由は、当然。


 「ならいいや!」


 「……いろいろありがとな。家のこともあるしそろそろ帰るわ」


 真剣な雰囲気を上手く壊すその眩しい笑顔に、思わずこちらも笑顔になった。


 「おう。次は学校か。また一緒のクラスだといいな!」


 「そうだな」


 「黄波さんも、な?」


 「……じゃあまたな」


 少しめんどくさいところもあるが、それもまた親友の魅力なのだろうと思った。この友と同じクラスじゃなかったらクラス内で一人になってしまう可能性が高い。


 でももし菜月さんが一緒なら、どうなるのだろう。


 そうなったら、そのとき自分はどう思うのだろうか。一人で歩く帰り道、綺麗な夜空を見上げながらそんなことを考える。


 星の輝きを霞ませてしまうほどに大きな月の優しい光。手が届いてしまいそうなほど近く見えた月へと手を伸ばそうとして、その手は止まった。


 ポケットのスマホが振動し、メールの受信を知らせたのだ。


 「……雪華さん?」


 内容を確認すると、そこには予想された範囲の面倒事が降りかかってくる可能性があるという旨が。そしてその後に続いていたのは不安や期待、その他多彩な感情。


 「……これからもよろしくお願いします、っていう言葉に嘘はないし、こんなことで一度言ったことを覆したりなんかしないけどな……」


 小さく口角が上がっているのを感じながら、再び月を見上げて帰路につく。


 「まあなんとかなる、よな……?」


 考えなければならないことは多く、正直どれかを投げ出してしまいたいとも思う。


 けれどそれはまだ早いし、前向きに考えればすべて自分の成長につながるものだ。


 だからなんとかなると思ってなんとかする!



 激動と変化の春休みが、もうすぐ終わろうとしていた。


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