13. 月とコーヒー

 高校入学後初めての春休み、その初日。俺のバイト先である執事喫茶「フルーレ・シュヴァリエ」の店内は、午後三時頃にお嬢様方で溢れかえっていた。客層を見ると春休みの学生らしき層が多く、先ほどから店員執事への黄色い声が上がっている。社会人にとってはただの平日であるため仕方ないが、こういう日は同じ高校の生徒がいたりする可能性も高いため苦手だ。


 少し前までは超高額な個室サービスの担当執事として雪お嬢様に仕えていた俺は、諸事情があって現在は混み合う一般席のお嬢様方への対応に加わっている。黒菱としても知り合いの雪さんと個室にいる方が落ち着くというのが本音だが、これも仕事なので文句は言えない。


 内心を表に出すことなくいつも通りの丁寧な対応で女子大生(おそらく)二人組からオーダーを受けてキッチンへ伝えに行くと、忙しそうに働いている先輩執事から指示が飛んできた。


 「金剛、申し訳ないけど五番席の会計頼む!」


 「分かりました!」


 飲み物に関していえば普段は接客担当の執事が淹れたりするのだが、忙しい時間帯はまとめてキッチン担当となる。運んでから注ぐ作業はホールの腕の見せ所で、視覚的にも味覚的にも高いパフォーマンスが求められるところだ。


 うちの店では担当テーブルがいくつか割り当てられた接客担当の執事をメインとし、そこに誘導や会計などの補助を行うサポーターを数人配置する方法を採っている。こういった忙しい時間帯にはサポーターも接客を行うことが多々あり、現にこうして俺もオーダーを取った。個室対応が中途半端であることからサポーターとして入ったのだが、忙しすぎて役割など忘れて普通に接客もやっている。


 それはともかく、今の最優先事項は頼まれた会計だ。急いで五番席に向かい、そこに座っている姉妹らしき二人のお嬢様に声をかけた。妹っぽい人の顔はどこかで見た気がしたものの、思い出す暇もないので放っておく。


 「お待たせ致しました。それではこちら、確認させて頂きます。少々お待ちくださいませ」


 金額の記載された伝票とキャッシュトレイに置かれた金銭をチェックし、不足がないことを確かめてからレジへと運びレシートと、あればお釣りを届ける。簡単な作業とはいえ、お金を扱う以上は忙しかろうと慎重になるべきだ。


 ただ、今回はお釣りもなくレシートのみを手渡すこととなった。


 「こちらレシートのお渡しになります」


 「ありがとうございます。えっと……金剛さん。ん? 菜月なつき? どうしたの?」


 財布を出していたお姉さんらしき女性に差し出すと、明るい笑顔で受け取ってくれてこちらも少し嬉しくなる。ただ、俺の胸元にあるネームプレートを見て笑いかけてくれたそのお姉さんは、視線を移した先にいる妹さんの様子を見て首を傾げた。


 その名前を聞いた瞬間、一つの可能性が頭をよぎった。見覚えのある顔と聞き覚えのある名前が一致し、予想していた事態に直面したことを理解する。だが俺の変装は完璧なはず。学校での俺しか知らない人間が今の俺を見て黒菱大也だと気づくわけが―――――。


 「えっ? もしかして……黒菱くん?」


 ……マジで? いや、そんなまさか。高校では目立たないように過ごしているし、必要最低限の人間関係しか築いていない。さらに見た目も声も変えているのだから、気づかれるわけがない!


 「……それはどなたでしょうか。お嬢様?」


 「ごまかさないで。その声、同じクラスの黒菱大也くんだよね?」


 あれぇ? なんでこの人こんな自信満々なの?


 確か、黄波菜月きなみなつきという名のクラスメイトだったはず。出席番号が近くて翔斗と一緒に関わった覚えはあるけど、たいして印象に残る出来事はなかったはずだ。秋にあった文化祭で少しの間二人で話したような気もしないではないが、俺の記憶では普通に他愛もない話をしただけだ。


 つまり何故バレたのかは分からないが、今はとにかく人違いで通させてもらう!


 「…………人違いでは?」


 「隠そうとしてもアタシには分かるんだからね!」


 クラス内の人気者で、誰からも好かれている印象の同級生。黄色っぽい印象を受ける明るい茶髪は眩しく、後ろで結われたポニーテールは三日月を思わせる。そして同色の瞳もまた満月のように輝いている。魅力的な笑顔もあり、一般的に見て美少女と言えるだろう。


 今見て取れる容姿以外の情報は記憶していない。ただ、今現在の状況からすると観察眼は優れているらしい。まあそれにしても驚きだ。俺のこと好きなのかな、この人?


 うん、冗談は置いておくとして致し方ない。退散させてもらうことにしよう。こっちは忙しいのだ。次のお客さんも待ってるし……。


 「……それではそういうことにしておいてください。自分は少し忙しいので失礼させて頂きます。いってらっしゃいませ、お嬢様方」


 「ちょ、ちょっと待って!」


 逃げの一手を打たれて焦ったのか、立ち去ろうとした俺を呼び止める黄波さん。女性への接し方を母から教育されているため立ち止まってしまったが、そこで美人なお姉さんのフォローが入った。


 「はぁ……。菜月、高校生もなって店員さんに迷惑かけないの。おかしなこと言ってないで行くわよ」


 「お姉ちゃん待って! まだ話が……」


 「はいはい。ん? 確かさっきの名前いつも……。はぁ、乙女な妄想垂れ流してないで足動かしなさい」


 「ち、ちがっ―――――」


 何やら姉妹間でしか分からないような話をしていたようにも思うけど、とにかく助かった……。姉に背中を押されて店を後にした黄波さんの後姿を見ながら、俺はお辞儀をして呟く。


 「……いってらっしゃいませ、お嬢様方」


 その後すぐに次のお嬢様を通し、自分にできる仕事を見つけながらサポーターとしての役割を果たした。しかし胸のうちにある不安は消えてくれない。


 あの様子だと今度は一人で乗り込んできそうなんだよなぁ……。


 春休みはかなりみっちりシフトを入れてるから回避は難しいし、雪さんを頼りにするのも図々しい。


 はぁ。そうなると口外しないように頼むしかないよな……。



 次に会う際どのように対処するかを頭の片隅で考えながらも集中して仕事に励んでいると時間の経過が早く、気づけば客足のピークが遠のいていた。そうして仕事量が落ち着いたこともあり順番に休憩を取ることになったのだが、いまだに店長は出てきていないらしい。


 「……教えるのに苦労してるのか?」


 従業員室のソファで遊び疲れて眠っている店長のお子さんたちに癒されていると、つい独り言がこぼれた。このまま一緒に寝てしまいそうだなぁと思いつつ、従業員用のコーヒーを口に含む。苦味とカフェインで眠気は薄らいでいったが、その熱さに舌を火傷しそうになった。


 「いてぇ……。まあ、もうなるようにしかならないか」


 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。人生もコーヒーみたいに深いものなのだろう。浅い感想が胸に浮かんでスゥっと消えた。



 真実を月に暴かれたこの日から、俺の高校生活は大きく変化することになる。ただそれを今の俺が知るはずもなく、諦めと希望を持ってその先を考えることしかしていないのであった。

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