3. 優しい店長(仕事はしない)
雪(おそらく偽名)という美少女中学生を腕に抱えた状態でバイト先に到着した俺は、いつも通り裏口から従業員室へと入る。腕の中で気絶しているお嬢様といろいろあった場所からここまでは徒歩数分といったところで、幸いにも誰かに目撃されることなく到着できた。
従業員室内では一人の女性が椅子に座っていて、ちょうど俺が入ってきたドアの方向を見ていたのか、入室と同時に目が合った。
すぐに視線を下に落としたその女性――この店の店長――は、送ったメールの内容と会合わせて事情を察してくれたのか、優しい眼差しになっている気がする。そのことにホッとしながら、俺は遅刻を謝罪するために頭を下げた。
「すみません、遅れました……」
「あら、大也くん。予想より早かったわね。……それで、その腕の中で眠ってる子は彼女かしら?」
意地の悪い笑顔で分かり切ったことを聞いてくる店長。年齢は三十代前半で、お子さんが二人いるママさんだ。見た目が若々しいので小学生のお子さんがいるとは思えないが、話してみると実に面倒見がよくて高校生の俺にも母親のように接してくれる。
ただ、この人は少々冗談が好きすぎるというか、俺をはじめとしてバイトをからかいたがる癖を持つ。嫌だとは思わないが、そんな暇があるなら仕事をしてくれと思うのだ。だからこそ俺もそこまでまともに受け答えしないようにしている。
目を回している雪さんをそっとソファに下ろして寝かせ、店長へと向き合った。
「お察しの通り、違いますよ」
「まあそうだよね。君の優先事項は家族で、彼女を作る気なんてそもそもないんだから。あ、でもそうなるとその美少女は……まさか誘拐? 警察沙汰は勘弁して欲しいんだけどなぁ」
「はぁ……」
「もー、そんな顔しないでよ。ちょっとした冗談って分かってるくせに。さっきと同じ理由でリスク管理もきっちりしてるってこっちは分かってるんだからさ。でもそんな君だからちょっと意外ね。……何があったにせよ、そこまで近づくなんて」
慈愛を感じなくもない優しい眼差しでこちらを見つつ、曖昧な表現で的確な指摘をしてくる店長。これは普段の俺を知っているからこその言葉だろう。
ここでバイトをしていれば女の子と触れ合う機会などいくらでもあって、有難いことにお客様の中には俺のことを気に入ってくれる人もいる。それでも徹底して一定以上の距離を保ってきたことを店長は知っているからこそ、現状に意外感を覚えているのかもしれない。
ただ、俺自身にとってもこれは想定外の事態。見事に振り回されている感じなので、もはやどうしようもなかったことだと思っている。そのため店長と同様に具体性に欠ける返答をしてしまった。
「……仕方なかったんですよ。偶然助けたこの子がお客さんだと分かったので」
「まあそういうことにしておくわ。それじゃ、その可愛いお客様はワタシに任せて君は仕事に移りなさい。お昼のまかないは残してあるから、急いで食べてシャキシャキ働くこと!」
温かい笑顔で嬉しい言葉をくれる店長。やっぱりいい人だな、と改めて思う。
ホント、事務所でくつろいでないでオーナーとしての仕事をしてくれさえすれば完璧なんだよなぁ……。これからお子さんも春休みだし、仕事もせずにここで遊ぶ光景が容易に想像できるっていうね……。
とはいえ、この執事喫茶が上手く経営できているなら俺がとやかく言うことでもない。だから今はただ感謝だけを伝えて仕事に向かおう。
「はい! ありがとうございます!」
「うん、良い返事ね。じゃあ今日も人気ナンバーワン執事の実力見せてね。金剛くん?」
「……頑張りますけど、人気ナンバーワンは間違っているのでやめてください」
からかうような口調で送り出されたが、うちの店の人気ナンバーワンは決して俺ではないという確信がある。あの人が諸事情で長期の休みに入ってからは恐れ多くもそうなるかもしれない。けれどあの人こそがナンバーワンだと、誰もが知っている。
(ただ、もう戻ってこないかもしれないって店長は言ってたけど……)
イケメンかつ接客能力も抜群。目標としたその人の姿を思い浮かべながら、俺こと金剛は準備に取り掛かった。
名前、というか執事としての呼び名は自由に決めることができ、店のルールで苗字だけということになっている。俺は本名のダイヤを和名にして『金剛』で登録した。黒菱というのは珍しい苗字なので身バレの可能性があるのだ。
身バレも何も顔を出しているのでは、と思うかもしれないが、俺はバイトを始めてからの一年間で同じ学校の人間に特定されたことはない。普段から交流を少なくしているし、学校では目立たない格好を心がけている。そのうえで執事モードのときには軽い化粧や髪のセット、眼鏡の有無などが加わることで完璧な偽装ができているはずだ。
「これでよし、っと」
更衣室にある店の備品を使って身なりを整え、姿見の鏡で全身をチェックする。慣れてきて上手くなったものだと自画自賛していると、従業員室との間にあるドアがノックもなく開いた。
「あ、それと、この子が起きたら接客お願いね。仕事モードじゃないときの君しか知らないこの子がどんな反応するか気になるから! あと、個室利用も勧めてみるわ!」
「……分かりました」
着替え終わっていると予想した上での行動か否かは分からない。ただ、確認はするべきだと思う。見られて恥ずかしい身体はしていないつもりだが、俺も思春期の高校生だ。恥ずかしい気持ちは当然あるのだ。
それにしてもあの「個室」を勧めるとか、相手はお嬢様でも中学生だぞ? あの部屋の利用料金設定した店長だってこれまでの利用状況は知っているだろうに。確かにサービスはすごいが、それでもあの値段は庶民には手が出ないほどだ。きちんと入口から入店すれば料金が大きく表示されているものの、当然雪さんはそれを見ていない。店長に金額を知らされずに利用させられる可能性もある。
(それはそれで詐欺まがいな気もするけど……)
何を言っても無駄な店長だということは十分理解している。返事が肯定だけになったのは、もはや仕方のないことであった。
「さて、キッチンでまかない食べて今日も頑張ろう」
もしものときは自分がなんとかしようと意識を切り替え、更衣室を出てキッチンへと向かう。既に同じ時間帯でシフトに入っている先輩方は忙しく働いているに違いなく、理由はどうあれ遅刻した分は仕事で取り返すしかない。
楽しくもしんどい仕事の時間はあっという間に過ぎていった。
―――――――――
執事喫茶の従業員室にて。
本当に人形みたいな造形の顔だなぁと、眠る少女の顔を見ていた執事喫茶の店長。ときどき表情がわずかながら変化する様は面白く、大也と同様にもっと表情豊かなら魅力的だろうと彼女も思ったようだ。
二児の母である店長は仕事に手を付けることなくジッと雪の様子を眺めている。
「危ないところを救ったっていうので謝礼金とかもらえるのかなぁ……」
制服からして少女は近くの有名なお嬢様学校である桜森女学院の生徒。であれば、その可能性がないだろうかと彼女が真剣な表情どうしようもなくダメな発言をしたところで、救出された眠り姫が動きを見せた。
「……う、う―ん……」
「あ、起きた。お客様、大丈夫ですか?」
一応接客用の対応をすることに決めた店長は、上がった瞼の下にあるサファイアのような美しい瞳に視線を奪われた。寝ぼけ眼に指を持っていっている雪はそれに気づいていないが、知らない場所で目を覚ましたところ、近くにいたのが優しそうな女性だったことを安堵したようだ。だからこそ取り乱すことなく周囲を見渡せたのかもしれない。
「…………え、えっと、ここは?」
「ようこそ、執事喫茶へ! まあここは従業員室なんですけどね」
きょろきょろと視線をさまよわせる雪に対し、店長は安心させるような優しい声音と柔らかい笑顔で答えた。
「あの……どちら様でしょうか? 黒菱さんは……?」
「ワタシはここの店長で、うちの従業員である黒菱くんからお客様のお世話を引き継いだ感じですね。彼はお店で働いてくれているのでここにはおりません」
「……そうですか」
瞳に警戒の色がない少女ではあったが、その意識はこの場にいない別の人間に向いている。知らない大人と二人きりになるのが心細いのだろうと察した店長は、少女の希望を叶えるために必要な会話をすることにした。
「ところで体調はいかがですか?」
「あ、大丈夫です。……あれ、でも何か忘れているような?」
自分が意識を失う直前のことを覚えていないのか、雪の表情は店長から見て「無」である。言葉の雰囲気から何か考え事をしているのは分かった店長だが、いまいち状況を掴めない。そんな彼女が気付いたのは、少女の手にあるお菓子だった。
「……? あ、その大切そうに握りしめてる飴は彼からもらったものですか? 彼がいつも持ってるものと同じですし」
「………………」カァ
ボンッ
視線をその手に落とし、握りしめている棒付き飴に気づいた雪。しばらくそれを見つめていたかと思うと、徐々に珠のような白い肌が赤みを帯びていった。最終的にはリンゴも驚くくらいの赤さになり、聞こえてはいけない効果音まで発生してしまう。
「どうかされましたか? 顔が真っ赤ですし、気のせいか頭上に煙が上がっているように見えますけど……」
「な、ななな、なんでもありませんっ」
(……大也くん、まさかここでも発揮したの……? あの面倒なスキル)
両手で真っ赤な顔を覆いその表情を隠してしまった少女を見て、店長は従業員が持つ無自覚な才能でまた一人被害者が出たのかと勘違いしたのだった。
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