2. 目的地と説明

 僅かに喜色の滲む無表情で俺から強奪した飴を舐める、浮世離れした容姿の箱入り美少女。この状況を喜ぶべきなのか、それとも年上としてこの子を窘めるべきなのか。分からないが、ようやく飴がなくなったようなので話をしようと思った。あまりに世間知らずで警戒心もないため、放っておけなかったのかもしれない。


 「そういや、君の名前聞いてもいいかな? 俺は黒菱大也。四月から高校二年だ」


 「……ゆきです。漢字は冬に降るあの雪です。今度中学二年生になります」


 ありきたりな問いかけに対して一瞬ビクっと身体を震わせ、視線を地面にそらして答えたお嬢様。相変わらず表情は薄いが、俺は表情の小さな変化をくみ取ることに自信がある。バイトと稽古で磨いた観察眼はそれなりに有用だ。


 とはいえ、今回の場合は容易に分かる。嘘をついていると。


 まあでも、本名を知ろうが知るまいが俺のやることは変わらない。だから気にせず話を続けた。


 「……教えてくれてありがとう。良い名前だね。真っ白で綺麗な君にぴったりだ」


 「……」


 視線を下に向けたまま耳を赤くしているところを見ると照れているのだろうか。そうであるならば、雪という漢字が入っている名前の可能性が高い。


 ……はぁ、俺の悪い癖が出た。詮索は必要ない場面だろうに。


 自己嫌悪しつつ内心でため息をつきながら、黙っている令嬢との話を再開させる。


「……それで、雪さんはどこに向かってるの? このあたりのことならけっこう詳しいから案内できると思うけど」


 「え、えっと……ここ、です……」


 遠慮がちに小さな紙片を差し出した雪さんは、おそらく俺への迷惑を考えているのだろう。だがその遠慮は必要ない。俺がやりたくてやっていることなのだから。


 提示された紙の上にある、女の子が書いたであろう可愛らしい文字へと視線を走らせる。そして見覚えのある住所、というか馴染みのある住所が書かれていることに気が付いた。


 「……驚いたな。俺の目的地と一緒だ」


 「そ、そうなのですか? では黒菱さんは……」


 「そう、そこのアルバイト従業員」

 

 「……不幸中の幸いというものでしょうか。あの、そちらまで案内して頂けますか?」


 奇跡のような偶然に、どこかホッとした表情で頼みごとを口に出した少女。どうしてこのような令嬢が俺のバイト先に来るのかは分からないが、お客さんが来てくれるのなら拒む理由もない。


 「もちろん。あ、でもその前に一つだけいいかな?」


 しかし、その前に言っておかなければならないことがあった。店内で同じようなことをやられたときにはたまったもんじゃないからな。


 「はい、何でしょうか?」


 まったく警戒心のない眼差しで首を傾げる箱入り娘。どうしてこんな危なっかしい少女が一人でこんなところに迷い込んでしまったのだろうか。家の人間は何をやっているのかと思う。


 いくつかの疑問を持ちながら、俺は地面に対して垂直にまっすぐ伸ばした右手を、白い雪に覆われたような小さな頭へとゆっくり振り下ろした。


 「てい!」

 「ひゃっ! …………え?」


 想定外のことだったのか、無表情を崩して小さな悲鳴を上げたお嬢様。その後少し経って状況を理解したのか、頭を叩かれた事実に呆然としている。


 「さっき問題にした点なんだけど、ああいうことはやったらダメだ。教えてもらってないのかもしれないけど、もう中学生なんだから自分できちんと判断しないと……って、大丈夫!? そんなに痛かったっ!?」


 言いたいことをつらつら話していると、宝石のような蒼い瞳が徐々に涙で濡れていく様子が見て取れた。母親の教えもあり女性に優しくすることをモットーとしている俺にとって、泣かせてしまったという事実は動揺を誘うものである。


 思わず頭を撫でてしまい、距離感も詰めてしまった。

 春の日差しを浴びて輝く白銀の髪はやわらかく、近づくとなんとなく甘い良い香りが鼻孔をくすぐる。


 人によっては拒絶されるかもしれない感じだが、お嬢様はあまり気にしていない様子だ。目元に光る美しい雫を拭いながら、その理由を説明してくれた。


 「……い、いえ。ちがいます。怒られたのが久しぶりで、おかしな気分になっただけです……。黒菱さんのせいではありません」


 「えっと……そうだ。いろいろ味あるんだけど、どれがいい?」


 こんなときのためにストックしてあると言っても過言ではないマイキャンディ。カバンを開きその種類を確認していると、先ほどの泣き顔と打って変わって期待が垣間見える視線を此方に向けてきた。我ながら甘いし、それを可愛いと思うのだからチョロい。


 「……先ほどのお菓子、ですか?」


 「うん、そう。好きな味ってある?」


 「み、ミルク味ってありますか……?」


 恥ずかしさがあったのか、リクエストの声はあまり大きくない。けれどはっきりと聞き取ることができたのは強い意思が含まれていたからだろう。


 「たしかあったはず……あ、あった。はい、どうぞ」


 白い棒の先に包装された飴玉があるそれを差し出すと、僅かに沈黙があってから戸惑いと疑問を含んだ視線で差し出し返される。


 「…………毒見を―――」


 「しない。……っていうかさっき怒った理由はこれだからな?」


 「えっ、そうなのですか?」


 「……はぁ」


 本気で分かっていなかったという様子のお嬢様に、俺は思わずため息をついてしまう。どうして分からないのだろうか。


 「釈然としません……。私の何が間違えていたというのですか? 毒見は必須だと教わりました」


 無の中にムスッとしている感じが分かりやすく出ている表情で説明を求められる。


 ……可愛いけどもっと感情を出した方がいいよなぁ。


 という感想を抱きながら、どういうわけか俺は謝罪してから解説を始めた。


 「……うん、ごめん。それを教えた教育係が悪いんだ。毒見じたいは別に問題じゃないんだけど、その……異性とは普通やらないんだよ」


 「何故ですか? 命の安全よりも大切なことなのですか?」


 飴玉サイズで致死量に達するって、どんな毒使ってんだよ……。というか、そもそも君の不用心さなら毒以外の方法でも簡単に害せるだろ……。


 などと考えてしまったが、俺は意味のないことをなるべく言わない主義だ。


 「いや、用心に越したことはないけどさ、衛生的な面とか精神的な面で問題があるだろ?」


 「……衛生面は分かりました。でも精神面の問題は分かりません」



 ……この子ホントに中学生? それくらいすぐ分からない? 女子校ってそういうもんなの? それともお金持ちのお嬢様ってみんなこんな世間知らずなの?

 俺ら男はそういうのけっこう早い段階から気にしてるよ?


 溢れ出す疑問の波で思考回路が強制的に切り替えられ、仕事モードになってしまった。こうなってしまえば恥ずかしさを感じずに紳士的な対応が可能となる!


 「……間接キスというのをご存知ですか、お嬢様?」


 「え、それは……文字通り間接的な……キス、ということですか? …………あっ」カァ


 「お分かり頂けたようでなによりです。なのでこういうことは相手を選んでお頼みになってください」


 「わ、わた、わたしは……なんてはしたないことを……」


 真っ白な肌を赤く染め、頭を抱えながら目を回している姿も可愛いというのがズルいところだ。そんなお嬢様はもうそろそろ限界なのか、華奢な身体がふらふらし始めている。


 「さて、それでは目的地に向かいましょう。もう一度失礼しますね」


 「…………キュー」


 自分のやってしまったことを理解して気を失ったお嬢様。力を失って倒れかけた小さく軽い身体を抱き上げた俺は、人目につかないよう注意しながらバイト先へと向かったのであった。




 ミルク味の飴玉はお姫様の小さな手の中でギュッと力強く握られていて、力の抜けた全身はさっきよりも少しだけ、でも確かに重たく感じた。

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