1. 運命の日

 日中は暖かく、朝夜はまだ肌寒い三月の下旬。一日の気温差が体調に厳しい季節で、服装にも困る時期である。ただ、高校生の俺たちは学生服に身を包むしかなく、インナーなどを工夫するくらいしか温度調節はできない。


 特に今日は終業式なので細かなルールにうるさいこの学校ではブレザーの着用が義務付けられていて、昼前になってきた今は内側の装備によっては暑いという学生もいることだろう。


 卒業生がいないため一・二年生しかいないことは幸いか。人口密度が小さい分まだマシな体感温度となっているのだから。


 『―――――以上で今学期の終業式を終了します』


 体育館に響いた、一年間過ごしたものの接点がない教員のアナウンス。ようやく終わったかと呟く声があちらこちらで聞こえ、俺たち学生はぞろぞろと教室に戻っていく。



 「ねえ、いつ遊ぶ―?」

 「春休みも部活ばっかでめんどくせ―よな」

 「来年も一緒のクラスだといいね―」



 歩いていると様々な声が聞こえてきたが、俺には遊ぶ予定も、部活動も、新学年のクラスへの興味もない。この学校で唯一の友人とはまた一緒だと嬉しいが、クラスが別であろうと関係は変わらないだろう。


 かけなれた眼鏡越しに前を歩くその友人兼師匠と呼べる人物へと視線をやると、ちょうどこっちに振り向いて話しかけてきた。


 「なあ大也。今日の稽古はどうするよ? バイトは昼からだろ?」


 鍛え上げられた肉体は制服越しでも筋肉質であることが分かり、高身長も相まって存在感があるこいつは久世翔斗くぜ しょうと。中学からの友人であり、俺の武術の師匠でもある。キリっとした面構えは男の俺から見てもイケメンで、学校の女子からも絶大な人気を誇っているらしい。


 他校に彼女がいるらしいが俺は会わせてもらったことがなく、理由も教えてくれないという冷たさだ。あれ? 俺たち本当に友達だよな?


 心配になりつつも、翔斗の人間性からして何か理由があってのことだろうと思いなおし、悪い考えを振り飛ばしてから返答する。


 「……いつも通りバイトが終わってからお願いする。この後すぐバイトは始まるけど終わるのはいつもの時間だ」


 「りょーかい! ホント、こういう日でもいつも通りだよな大也は。午後から春休みだぜ? なんか違う予定とかは……ねえか。すまん……」


 話していて察したのだろう。徐々にトーンを落としていった声音から申し訳ないという気持ちが容易に理解できた。軽く頭を下げてきた友人に対し、俺は自分の道を歩くだけだと伝える。


 「……いいよ、別に。翔斗も知ってる通り、俺がやること、やりたいこと、やるべきことは全部同じで、もう決めてることなんだからさ」


 「……家の事情はオレにはどうにもできないし、ストイックなところも尊敬してるけどよ、今しか送れない高校生活も楽しまなきゃ損だぜ?」


 整った顔ではにかむ姿も様になるなと思いながら、優しい友人が自分を気にかけてくれていることに心が温かくなった。そしてそれ以上に俺のことを考えてくれているはずの、唯一の家族の顔が思い浮かんで胸を締め付けられる。


 「分かってる。そうあることを望まれてるってことは。でも今の生活けっこう気に入ってるんだ。バイト先はいいとこだし、最強の師匠に稽古つけてもらえるし」


 「その師匠っていうのはやめてくれ。最強ってのも、マジで……」


 苦々しい顔でいつもの反応を見せてくれる大切な友人と雑談しながら、俺、黒菱大也くろびし だいやの高校生活一年目は幕を閉じたのだった。




 友人から心配されたが、この一年間の思い出もいくつかはあるのだ。青春の一ページといえるほどたいそうな経験はないが、それでも充実していたのだと思う。人とは少し違う思い出だとしても、自分で満足できるだけの充実感に満たされている。


 「春休みだし、今まで以上にバイトして稼がないとな……」


 高校に入ってすぐ始めたバイトが主にそうだ。高校生でも時給がよくて、まかないも出るという好条件。内容は多少気を遣うが、母親のおかげで特に抵抗もないので問題ない。


 「……って、時間けっこうヤバいな! 翔斗と話し込み過ぎたか……?」


 親友と別れたところで携帯を取り出し時間を確認すると、今日のシフトまであまり時間がないことに気が付いた。昼食の時間を考慮しなければ余裕だが、そんなもったいないことはできない。通いなれた通勤ルートを走破することに決め、カバンを背負ってから足を踏み出す。


 (一年も通ってると見慣れた景色だけど、けっこう怖い輩もいるんだよなぁ。この辺って……)


 見るからにアウトローやってますって感じのスーツの人とか、ナンパしてるチャラ男とか、よく分からない看板もって立ってる人とか。大通りはともかく、裏路地とかは警察もときどき巡回しているほどなので近寄らない方がいいとバイト先の店長に言われたっけ。


 (……だがしかし! 昼食のためなら裏路地に入って近道をするのが俺だ!)


 昼間からそんなに危ない輩と遭遇することもないだろうし、もし絡まれてもなんとかなる自信がある俺は、何度か通って安全だった近道へと突入していった。



 ……この選択が結果的に一つの出会いを運んできただから、人生とは分からないものである。



 「ん?」


 バイト先に向かって走っていると、大柄ないかつい男三人組がどこかの学生服に身を包んだ小柄な女学生を取り囲んでいた。囲まれている側の顔までは見えないが、あの制服には見覚えがある。有名なお嬢様学校の中等部生のものだ。


 どうしてそんなことを知っているのかって? バイト先がその学校と近いからだ。お客さんとしても来ているし。当然制服マニアとか、そういうわけではない。


 そんなことはともかく、この状況を目撃してしまった以上放っておくという選択肢はない。昼食なんかよりもよほど重要な事項だ。


 足を止めて様子見のためにそっと近づくと会話が聞こえてきた。


 「なぁ、お嬢ちゃん。こんなとこに入ってきたってことは、そういうことだよなぁ?」


 「……どういう意味でしょうか?」


 「だから、そういうことするためにここに来たんだろう?」


 「……よく分かりませんが、私はただこの住所に向かってるだけです」


 「まあいいか……。こんな上玉見逃すわけにはいかねえし。おい、お前ら連れて行くぞ!」


 そういうこと、というのはアレだろう。つまりお金を稼ぎにきたってことだ。このあたりにはそういうお店がけっこうある。しかしあの制服がお嬢様学校のものだと知っている俺としては、会話の内容から察するに少女はただの迷子だ。


 どのような展開になるか分からないため遅れる可能性があることを素早く店長にメールで伝え、犯罪行為に手を染めている輩への対処法を考える。上着と腰回りを見る限り銃器は持ってなさそうか……。今から警察に電話してこの入り組んだ場所を一から説明する時間はない。


 つまり――――


 「……真正面からいくしかないよな。あの子も怖いだろうし……」


 そうこうしているうちに、親玉みたいな感じの太ったおっさんから指示を受けた子分二人が少女に近づき、左右の肩を掴んで動きを封じた。


 「えっ、あの……や、やめてっ……」


 震える小さな声から恐怖心を感じ取り、僅かに身体を震わせていた俺の中で覚悟が決まった。武術の稽古は受けて鍛えられたのは身体だけではない。正しい道を考え、己の信念を貫けるだけの精神的な強さ、すなわち心も強くしてきたつもりだ。


 震えの止まった足を力強く踏み出し、そのまま現場に足を踏み入れる。まずは下手に出て相手の油断を誘おう。


 「……あの、そういうの犯罪ですよ。その子から離れてください」


 「なんだ、お前? おれたちのやることに文句でもあんのか? あ?」


 想定通り自分を上位だと思い込んで威圧してくるリーダー格の男。似合わないサングラスとテカテカと輝く頭部。だらしなく盛り上がった腹部、パンパンに膨れた醜悪な面がまえと、あらゆるマイナス要素を詰め込んだ謎の生物に対し、嫌悪感を通り越して憐憫の情が生まれた。


 もうね、こいつに直接触れられていないことが少女にとっては不幸中の幸いと言える気がする……。


 とはいえ、こういう輩の扱いはそこまで難しくない。後は挑発して冷静さを失わせ、襲い掛からせる。そして隙だらけのところを足でも引っかけて転がす。リーダーをコケにされれば子分たちも向かってくるだろうから、同じようにこかして少女を救出。そのまま逃走すれば逃げ切れるはずだ。


 「あれ、聞こえなかったですか? そういうのは犯罪行為だって言ったんです。言葉の意味くらいは分かりますよね? あ、耳に脂肪とか詰まってる感じですか?」


 悪口を言うのは好きではないが、目の前の奴らはヒトであっても人間ではない。そう断じれば特に抵抗もなく言葉が出てきた。むしろ俺が喋るごとに青筋を増やしていく男を見ていると楽しくなってきた。


 「……このっ、クソガキがぁっ!!」


 頭が風船のように弾けてしまうのではないかと思うくらいに怒りを爆発させ、歩いているのか走っているのか分からないスピードで襲い掛かってくるおっさん。


 いやはや、本当に分かりやすくて助かる。激昂して襲い掛かってくる相手ほどいなし易いものはない。暴力沙汰にはしたくない俺にとっては好都合だ。


 「くらえっ!」


 直進してくる相手が間合いに入り、こちらに拳を振りかぶる。だが俺のやるべきことは真っ向からの殴り合いではない。華麗に回避し、横に回り込んで足元を軽く蹴り上げる。


 「っぐぺぇ!」


 背中から地面に落ち、謎の悲鳴を発して倒れたおっさん。頭を打ったのか泡を吹いて気絶している。


 「やべ、やりすぎたか? いや、脂肪もあるし大丈夫、か……?」


 「「ア、アニキ―っ!!」」


 見守っていた子分二人が叫び、少女から手を離してこちらに駆け寄ってきた。俺の後ろに倒れているアニキの様子を確認し、彼らはキッとした目つきで此方をにらみつける。


 「てめえ、この野郎! よくもアニキを! ただじゃおかねえぞ!」


 二人ともやる気のようだが、今この場での状況判断としては不適切だ。もっとも優先させるべきは俺とやりあうことではなく、アニキを助けることだろうに。


 「……いや、今はとにかく治療した方がいいんじゃないか? けっこう強くいったぞ、あんたらのアニキ……。こっちは別に喧嘩したいわけじゃないし、ここで取り押さえて警察に突き出したいわけでもないから」


 「「くっそー! お、覚えてろよ―――!!」」


 小物感溢れる捨て台詞を吐きながら、重たいアニキを二人で抱えて走り去る二人の子分。その背中から視線を外し、俺の判断では危ないところであった少女に向き直る。


 「大丈夫?」


 「……はい。問題ありません。助けていただきありがとうございました」


 怯えや安堵と言った感情がまったく見えない無表情で感謝を述べ、軽く頭を下げてきた少女。先ほどから視界には入っていたが、その容姿は日本人離れしていた。


 光沢のある白銀色の長髪は肩のあたりで二つに結ばれている。サファイアのように蒼い二つの宝玉は、果たして俺を映しているのだろうか。目立つそれらの特徴はあるが、日本語が流暢なところからするとハーフだと思われる。


 (……なんというか、3Dゲームから出てきたキャラクターみたいだな)


 ただでさえ人形のように精巧で整ったその顔立ちなのに無表情なので、いっそう作り物感が強調されている。連れていかれそうになっているとき聞いた声には感情が確かにあったのだが、それが間違いだったのかと思うほどに今は「無」の状態だ。


 (……いや、これは「無」に見せているだけの演技か? 制服からして良いとこのお嬢様だし、俺のことを警戒して感情を見せないようにしている? それとも弱みを見せないように平静を保っているのか……?)


 真相は分からない。だがそれでいいのだ。もう関わることもないだろうし。


 今はとにかくこの子を安全なところに送り、急いでバイトに向かわなければならない。


 「無事ならよかったよ。とりあえず表通りまで送るから、ついてきてくれる?」


 「……すみません、無理です。腰が抜けて歩けません……」


 小さく頭を横に振りながら、プルプルと小刻みに震えている少女。なおも無表情は貫いているが、足元を見ると抑えきれなくなったのかガクガクしていた。


 その様子が微笑ましく、可愛いなぁと思ってしまう。とはいえ、困った状況でもある。


 「……どうするかな。ここにいるのは危ないし、とにかく移動しないとあいつらが戻ってくる可能性もある……。仕方ないか」


 「ひゃっ!? な、なにをしてるのですかっ?」


 少女が可愛い悲鳴を上げたのは、俺がその細く軽い身体を抱き上げたからだ。いわゆるお姫様抱っこってやつである。緊急事態なので体勢は我慢してもらうとして、このままバイト先で休んでもらうことに決めた俺は走り出す。


 「ジッとしていてください。落とすかもしれませんし、舌を噛んだりしてもいけないので。いいですね? お嬢様」


 「え? あの……は、はい」


 普段の俺では恥ずかしい行動なのでバイトモードのスイッチが入ってしまったが、これからそのバイト先に行くので問題はないだろう。それに腕の中の少女がお嬢様であることも間違いなさそうだからな。




 「……あ、そうか」


 裏路地を通り抜けて店に近づいたところで、俺はチラッと様子を確認した少女から不安を感じ取った。まあ当然か。連れ去られそうになった恐怖で身動きとれないところを無理やり運ばれているのだから。少女からすれば俺も拉致犯に思えるだろう。


 その考えに至ったところで、既に店は間近となっていた。この辺りは安全だし、このまま建物に入るのは再び恐怖を与えかねない。だから俺は足を止め、少女を降ろした。


 「……ゴメン、とっさのこととはいえ怖かったよな。何も説明せずに抱きかかえたりして。この辺は安全だから、もう迷い込まないように気を付けてな」


 地面を踏みしめる少女の足はもう震えていない。そして視線を上に移すと、やはり無表情で俺の方を見上げていた。だがその小さな口は開かないし、動き出そうともしない。


 「……はぁ。どうすればいいんだ?」


 色々あって精神的な疲労があった俺はため息をつき、カバンにいつもいれている棒付きの飴玉を取り出した。当分の摂取と口に何かを含んでいることへの安心感から、一種の精神安定剤の役割を果たしている俺のお気に入りのお菓子だ。一応言及しておくが、特に危ないものは入っていない。ある種のルーティンみたいなもので、癖のようなものだ。


 包みをはがし、小さな球体を口に持っていく。棒付きなのはなんとなくこっちがいいから。とっさのときに口から出せることや間違って飲み込まないことなど利点はあるが、とにかくこれがいいのだ。


 (うん、やっぱ落ち着くな。味も色々あるし、カバンから出すときにくじ引き感があるのも楽しい)


 今味わっているのはサイダー味。なんとなくスッキリしたい気分なのでちょうどいい。店に行けば買うという習慣があるせいで、カバンの一区画はこの棒付き飴に占領されている。購入時は味を選ばずに買うため、何味がどれだけあるのかは把握していない。そっちの方が楽しいからな。


 しばらく口内の爽快感を味わいながらボーっとしてから、ふと気になって動きのなかった少女へと目を向ける。


 「……」


 なんかすげえ口元見てるんだけど……キラキラした目で。こういうの食べたことないのか? 物珍しそうというか、好奇心が見て取れるというか……。


 「……君も食べるか?」


 ピクッ「………………はい。頂きます」


 待っていた言葉をかけられたからだろうか、話しかけた瞬間わずかに無表情が崩れた気がする。少しの沈黙があってから、少女は平静を装って頷いた。


 「ちょっと待ってな。今取り出すから……」


 左手に飴を持ち、右手でカバンを漁る。あまりおかしな味は買っていないはずなのでどれでも食べられるとは思う。しかし好き嫌いもあるので、何個か出して選んでもらおうとした。


 パクッ

 「……ん?」


 カバンに注意を傾けていた俺は、ふと左手に重みを感じた。


 視線をカバンから左手に移す。


 「……っ!?」


 驚愕で声が出ず、いまいち状況も掴めない。眼前に広がる光景が理解できなかった。


 少女が俺の左手を握り、その中にあった棒付き飴を口に入れている。否、俺の飴を強奪している。


 「……は?」


 驚きで固まる俺をよそに、少女はそのまま俺の左手から細い棒を抜き去り、自身の手中に収めた。口内でコロコロと飴玉を転がしながら、その表情を緩ませている。



 ―――そして冒頭(プロローグ)に戻る。


 「……このお嬢様、箱入りすぎるっ!」


 「……?」


 コテっと小さく首を傾げている箱入り令嬢を助けたこの日。俺の狭い世界に一筋の白光が差し込んだ、この瞬間。


 気に入っていた俺の日常が終わりを告げたのだと、俺はなんとなく理解してしまった。


 でもそれを悲観する気持ちは不思議となく、むしろ自然と口元が緩んでいることに気付く。


 おそらく初めて口にしたであろう飴玉を嬉しそうに舐めている少女の隣で、俺はその色づいたカラフルな表情を静かに見つめるのだった。



 何も変わらないと思っていた高校一年最後の日。思いがけない出会いが導く運命を、このときの俺はまだ知らない。


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