第31話 邪神教典①

 街中をゆっくりと闊歩する一人の男。ローブを羽織った顔から覗く口元は、薄く笑っていた。

 彼の愉悦の所以、それはローブの中に隠してある一冊の本だった。

――邪神教典

 邪神が作り上げた呪われたアイテムであり、この本に血で百人分の名前を書くと邪神が降臨するという代物なのだ。

 こんなさびれた町でこんなものを置いているとは思わなかった、あのさばさばした女店主の店、なかなかの品揃えだった、魔を断つ聖なる力を持つ石とか結構危険なアイテムの煩雑に置かれていたことを除いて。

 まあ手に入れた経緯はどうでもいい、早く帰って邪神復活の儀式を執り行わなければ、はやる気持ちが歩く速度に現れ、街並みが目まぐるしく変わっていく。そして曲がり角に差し掛かったところで――

「うわっ!」

「ぎゃひん!」

 角を曲がったところで何かとぶつかり、勢いよく地面に突っ伏してしまった。

「ごめんなさい、大丈夫ですか」

 衝突した相手は、若い冒険者だった。心配そうにこちらを覗きこんでいる。

 ここで気が付いた、ローブの中で手にしていた邪神教典がない、焦って周りを見るとすぐ手前に落ちていた。

「き、気をつけたまえ!」

 間抜けな声を上げてしまった羞恥と曰くつきのものをかけている焦りから逃れるように離れる。

 今はこんな子供を相手にしている場合はない。早く邪神を復活させなければ。



「なんか変だったな」

 やたらと周りを気にしながら逃げていった男の背中をリョウは見送った。自分もさっきの衝突で取り落とした書物を拾って帰る。町の図書館で借りてきた回復の魔法の本、もっと丁寧に扱わないと。

「……あれ?」

 手に取った時、何か違和感を感じた。

表紙の模様もなんかちょっと違う気がするし、手に取った時の質感が違うような――あ、厚みが違うのか。

 中身を見ると自分が求めていたものは何一つ載っていなかった。

 変色した羊皮紙の束、そこには何も書かれておらず、書物としての体をなしていない。

 しかし表紙を捲って裏の部分に何かが書いてあった。


 数多の血が捧げられし時 深淵より邪なる神が復活し 幸福なる世界に憎悪を 憎悪に塗れた世界には幸福をもたらさん。


 血のような真紅のインクで不吉な言葉が書かれていた。

「これさっきの人の本か……」

 慌てて逃げていった男の背中はもう見えなくなっていた。

 参ったなこりゃ。



「くそっ!」

 集会場についた時に、邪神教典を確認したら『回復魔法 入門編』のタイトルがついていた。

 どこですり替わったのか、その回答はすぐに出た。

 さっきの冒険者とぶつかった時だ、慌てて引き返したが時すでに遅し。冒険者は付近にはいなかった。

 せっかく夢が叶うと思っていたのに、まさかこんな試練が待ち受けているとは――だがようやく、邪神の復活における現体制の崩壊という名の大義が目の前にあるのだ諦めてなるものか。

「このマドラス教、キョーソの名に懸けて必ず邪神を復活させるぞ!」

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