第12話 深淵 ――Lost in abyss――⑤
山頂、つい先日まで荘厳な城が立っていたのだが、今は見る影もない。
その城の跡地、山の荒野の中心にいる一つの影――マドラーは先日自身の城を燃やし尽くした愚かな人間を待ち構えていた。その傍らには大きな鳥籠型の檻があり、その中には人質であるアテナもいる。
「本当に来るかしらね」
鳥籠の中で両腕を縛られているアテナが呟く。
「ここまで焚きつけたんだ、来るに決まっている」
「そうかしら、あいつ薄情だからね」
「……というか、来てもらわなければ困る」
アテナは知っている、田中涼はリアリストである。身分の限界を知っているがゆえに自分よりも強い相手とは弱みを握って精神攻撃を仕掛けたり、敵に警戒される前に闇討ちを仕掛けたり、メタや弱点をとことん突きまくって、削り殺すことに何ら躊躇いを覚えない――そして勝ち目がないと判断すればあっさりと撤退する、そういうやつだ。
だが同時に、奴はトラックにはねられそうになった猫を助けてこの世界に転生した、お人好しでもある。
果たして、その二つの天秤はどちらに傾くのだろうか、まあなんとなく想像はつく。
故に山を登ってくる一人の人間の姿を見て、驚きはしなかった。
「逃げずにここにやってきたことは褒めてやる」
相も変わらず上から見下ろしてくるマドラー。
そんな威圧感たっぷりの言葉にリョウは耳を貸さずに、その視線をアテナに移す。
「よう、大丈夫かアテナ」
「ええ、五体満足よ」
「よーしじゃあさっさと帰ろうぜ、さっさとそこから出てさ」
「うーん、そうしたいところだけど――」
「お前ら! いい加減こっちを向け!」
修羅場なのに日常会話を繰り出す二人に、マドラーは烈火のごとく怒る。
「お前ら状況分かっているのか」
鳥籠のアテナが無言で縛られた両手を掲げた。
「こいつの命は俺が握っているんだぞ」
「でも今まで殺さなかったから、大丈夫かなって」
「――どこまでも俺をコケにしやがって」
地の底から絞り出すかのようなマドラーの声。
「貴様の働いた狼藉、その命を持って償え……」
「そんな能書きはいいから、さっさとアテナを返してくんねえかな」
その最後の一言が、マドラーの怒りを一気に燃え上がらせる。
「死んで贖ええええええええええええええええええええ!」
両腕の火球を投げつける、二方向から飛んできた火球だが、難なく躱す。
それを見て、今度は背後に無数の狐火、まるで壁のような炎の弾幕に視界が覆われる。
降り注ぐ小さな流星群、針に糸を通すかのような隙間を縫って、何とか躱す。これも冗談みたいな修行の賜物か。
「これだけ撃って掠りもしないとは、プークスクス」
大袈裟に笑って挑発する。
「貴様あああああああああああああああああ!」
文字通りマドラーの怒りの炎に油を注いでしまった。
「許さんぞおおおおおおおおおお」
怒号とともに両腕を天に掲げた。その掌の上に集まる炎の激流が形を成し、綺麗な球体になる。
前回最後に見せた、極大の火炎魔法だった。あんな攻撃を食らってしまったらきっと骨まで溶かされる。
「ワンパターンだなおい」
しかしリョウは避けようとしない。
――寧ろ狙い通りだ。
一番嫌な展開は奴が完全に遠距離に徹し、弾幕を張られて、そのまま削り殺されること。前日の戦闘で奴が行ったのは遠距離攻撃だったから得意としている戦法なのだろう。
故にちまちました攻撃では倒すことができないと思わせる必要があり、躱す隙のない大技を誘発させて、火球が出来上がる前に万歳しているマドラーに一気に距離を詰める。魔法が全くというほど使えない自分にとって勝機があるのは近接戦闘のみ。
そして修行で手に入れた多少なりともましになった拳が炎の魔族の顔面を抉る――はずだった。
突如としてマドラーの作り出した小さな太陽が収束し、その体に流れ始める。
そしてマドラーの炎を纏った拳がリョウの胴に叩き込まれる。
「ぐあっ!」
「ワンパターンだなあ、おい!」
やられた、さっきの挑発で判断力を失ったかと思っていたが、ブラフを張る冷静さ残っていた。さすが歴戦の魔族といったところか。
なす術なく吹っ飛ばされたリョウに、さらに追撃として無数の火球が撃ち込まれる。
「くそっ!」
雨霰のように降り注ぐ火球、しかし何とか反応し、震える体を奮い立たせて、何とか躱すが足元が爆発し、体勢を崩して転んだ。不幸なことにマドラーの目の前に。
「貴様を倒すのは、直接手を下すしかないようだな!」
再び胴体に、今度は蹴りを叩きこむ。リョウは呻き声を上げた。
「オラオラオラァ、さっきの威勢はどうした!」
勢いよく蹴り上げると勇者の上半身が折れて、跳ねた。
「……くっそ」
それでも何とか震えながら立ち上がるが、足に震えを見るに起き上がるのもやっとのようだ。
近づいてくる自分を迎撃するために殴りかかってくるが、完全にへっぴり腰であり、放たれた拳は脆弱そのものである。マドラーは勝利を確信した。
「はははははは、足掻け足掻け」
さっきから繰り出される拳も狙いが定まっていない。もうここまで来たら後は遊んでも勝てるというものだ。
「……全く……最悪、だ」
絞り出すような声とともに、放たれた右の回し蹴りを繰り出す。
だが見え見えだ。その蹴りが首を掠めるように、ギリギリで躱した――はずだった。
しかし首から青の血が噴き出し、首が裂かれるような痛みが走る。
「……何?」
リョウの靴底、土踏まずの部分から刃物が突き出ていた。仕込みナイフである。
「虚弱な人間の考えそうなことだ」
切り裂かれた傷は深く、滝のように血が流れ出す。
「この程度で、私が倒せると思っているのか全く……つくづく人間は度し難いな」
人間なら致命傷であるが、悪魔である自分にとってはかすり傷に等しい。少々驚いたものの、所詮は人間の浅知恵。つけられた傷は自身の命にはまるで達していない。
どうやらさっきのが最後の一撃だったようで、勇者はその場に座り込んで動かなくなった。
「もう万事休すか、ならここで終幕だ!」
さてどう料理してくれようか、今までの雪辱を最大限に晴らすには、何をするのがいいか。
決めたぞ。最初はその顔面が崩壊するほど殴り続けてやろう。
三度炎を纏ったマドラーの拳が振り下ろされる――しかし、その拳は止まった。
「馬鹿な……」
燃え盛っていた炎も沈静化し、消え去る。それどころか真っ直ぐに大地を踏みしめることさえもできない。視界が陽炎のように揺れて、平衡感覚を失う。
最後は前のめりに倒れ、地面に伏せる。形勢逆転し、さっきまでリョウを見下ろしていたマドラーを今度はリョウが見下ろしている。
「何とかなるもんだな」
完全に立場が反転した、敵を目の前にしてマドラーはまるで動けずに、地面にその身を投げ出している。
「き、きさま、何を……した」
「……仕込みナイフに毒塗ってただけだよ」
おばあさんが毒霧に使用したときは数百倍に希釈したものだったので、原液を使えばどうなるのかは想像に難くない。
一応異世界から来た勇者って触れ込みだったのだが、それにしてはグレーゾーンな勝利の仕方であるが、背に腹は代えられない。
「……最後の……最後まで、卑怯な手を……使い……やがって」
下にまで痺れが回ったのか呂律の回らないマドラーに言い放つ。
「俺は弱いからな。罠に搦手、小細工に後出し、騙し討ち。何でもやらないと勝てないんだよ」
たった一撃当てるためだけに、色々と策を講じた、というよりはいろいろ気を使った。
遠距離攻撃は効果がないと思わせるために絶対に躱さなきゃいけないし、そして肉弾戦闘(すてごろ)の攻撃はわざと受けて、近接戦闘の方が効果的と思わせなきゃいけなかったし、体へのダメージを最小限にするために殴られた衝撃を地面に逃がす呼吸法を絶えず使わないといけないし、その隙間に毒を仕込まないといけない。正直心が折れそうだったが、旅立つ直前に隣のクラスの立花さんの言っていたことを思い出した。
シェイクスピアは言った、「今が最悪」だといえる間は最悪ではない、と。
そして隣のクラスの立花さんは言った。最悪の状況なら、「最悪」って言っちゃえばいい、そうすれば最悪じゃなくなるから――なんてこともない言葉であるが、この言葉を思い出したことも大きかった。
兎に角もどの要素が欠けても成立しない、馬鹿の考えた最高に賢い作戦だったが、何とかなるものである。
「この……絶対に……殺してやる」
敗北者の悪態を無視して追い打ちとばかりに、袖口に仕込んでおいたナイフ(もちろん毒付き)を肩口に突き立てる。
止めの毒によって意識を失ったのか、マドラーは白目をむいて、だらしなく舌を出したまま動かなくなった。
決して綺麗な勝利とは言えないが、勝ちは勝ちである。
「さてと」
これで邪魔はなくなった、鳥籠の傍に駆け寄り、そして。
「サンシャインフィストォォォォォォォォォォォ!」
光輝を帯びた鉄槌が鳥籠に穴をあける。
「さてと逃げるぞ、縄解くから手出せ」
「ええありがとう」
しかしここまで順調だった奪還作戦も、足止めさせられる。
「この縄やけに長いな」
大人数でチャレンジする長縄並みに長い。
「何でも、すぐに解けないようにだって」
「変なところみみっちいな」
まさかの縄を解くのに大苦戦。仕込みナイフには毒塗ってあるから使えないし。早く逃げないといけないという焦りからか、縄は解けるどころかどんどん複雑化していく。
「もうこのまま逃げるぞ」
結局痺れを切らして、ロープを解かずに逃亡――するはずだったのだが。
「ねえ、あれ」
「マドラーの体が、燃えている……」
伏せっているマドラーの体から白煙が出ており、体も赤く発光している。
そして何より離れていてもわかる熱量。さっき突き立てたナイフが溶けているぐらいだから、相当ヤバイ。
そして遂に、赤き悪魔はゆっくりと立ち上がった。
「まじかよ」
毒に侵され指の一本を動かせなかったのに、一体どうやって――。
「血液を沸騰させ、消毒した」
おっかなびっくりな方法だが、現にそれで煮沸消毒に成功しており、再び臨戦態勢になった。
「もう油断はしない、次の一撃で消し去ってくれる!」
臨戦態勢どころか最初からクライマックスだった。
一瞬で巨大な火球を作り上げた。
しまった、単純な戦闘になったら勝ち目はない。しかも完全なる初見殺しである仕込みナイフはもう当たらないだろう。
何か打開策を――だが思考を巡らす前に火球が放たれた。
「灰燼に帰せ!」
溜めがさっきよりも短い分さっきよりも小ぶりな火球であるものの、それでも視界を覆う巨大な火球。勿論全力で逃亡したところでその射程範囲から逃れることはできず、障害物のない更地において盾となる壁などがあるはずもない。
次に起こることが頭をよぎって、リョウは目を背ける。
刹那――巨大な火球が爆ぜた。
だがそれは火球がリョウたちに直撃したわけではなく、その火球にもう一つ同じくらいの大きさの火球がぶつかったからだ。
この場にいる全員が虚を突かれて一瞬固まるが、火球の飛んできた方向、空を見る。
やはり空は相も変わらず暗黒に染まっている。しかしそんな漆黒の中を突き進む巨影、大きく翼を広げたその存在は、ファンタジー世界では須らく強者と描かれている圧倒的な存在――ドラゴンがこちらに向かっていた。
マドラーの攻撃を妨害したということは自分たちの味方か、いや俺にドラゴンの知り合いはいないし、敵の援軍か。
状況の変化について行けない三人を尻目に、そのドラゴンの背中から小さな影が飛び出した。
自分たちの前に降り立った二つの影。
「よう」
一人は動き易い恰好をした女性、馬の尻尾のような長い髪を振り乱しながら、大地に降り立つ。
「よかった、お二人とも無事みたいですね」
もう一人は対照的に光輝なドレスのような、そして神々しさを帯びた白銀の髪を持った淑女。
さっきまで絶望的な状況だったが、今は間違いなく言えることがある。
「最高だ」
この状況には有難すぎる友軍――サクラとグラーシーザーの姿がそこにあった。
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