第11話深淵 ――Lost in Abyss――④

「ちゃんと生き残りなさいよ」

 遠くなっていく彼女の背中に手を伸ばし、その名を呼ぶ。

「アテナ!」



 伸ばした手は何も掴むことなく、拳を天井に掲げていた。

――夢か、いやさっきの光景は夢じゃない。

 睡眠をとったはずなのに体を覆う倦怠感が拭えない、今もっとも考えたくない現実を突き付けられたからだろう。

 自分を庇い犠牲となった彼女の背中、そして最後に自分に見せた笑顔が脳裏に張り付いて離れない。

「くっそ」

 一応あいつは女神なので死んではいないだろうが、マドラーの手中にある以上無事ではすんでいないだろう。

まあ過ぎたことは仕方ない――といつもなら悪態の一つでもついて切り替えられるのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 そういえば俺の切り替えの早いところが好きとかあいつ言ってたっけ。

 シェイクスピアは言った「今が最悪」だといえる間は最悪ではない、と。リア王の一節だったか。全くその通りだ、悪態もぼやきも全くでてきゃしない。

「あーくそったれ」

 そういえば、隣のクラスの立花さんが確か絶望的な状況に直面した時に何かしたらいいって言ってたか、いつもはすぐ思い出せるのに、どうも思い出したくない光景が思考を邪魔している。

 天に掲げた手で今度は目を覆う。こうして目を覆えば、もしかしたら現実から目を背けられるか――だめか。「生き残れ」リフレインする声が克明になっただけだ。

 逃れられない絶望、目を閉じても、耳を塞いでも、魂の奥底にへばりついて離れない。

「おお目を覚ましたか」

 少し掠れた声が思考に差し込まれた。声のした方に目を向けると穏やかそうな笑顔を浮かべたおじいさんとおばあさんがいた。

「ここは? 貴方たちは?」

 そう言えばここはどこだ。ようやく上半身を起こして、周りを確認する。

見たことのない家のベッドの上だった。

しかし窓の外の景色は見覚えがある。空は暗黒の帳が降りている、しかし夜ではない。文字通り闇で覆われている――あの時マドラーの城の窓から見えた空と同じ色。

「ここは、マドラー城のある山のふもとにある小さな村じゃよ」

「すみません、助かりました」

「いやあ驚いたよ、儂が川で洗濯していたら、川上からどんぶらこどんぶらこと流れてきたんだからね」

 そんな桃太郎みたいな。

兎に角状況を整理すると、命辛々逃げ出し川に落ちて、このラストダンジョン前に村に住んでいる住人に助けられ、現在に至るということか。なんにせよこの人たちには足を向けて眠れない。

「あ、俺はリョウです、一応冒険者をしています」

 それにしても人里離れた山奥に住む老人、しかもただの山ではない魔王軍の拠点のある場所である。

 普通の人間でも生きるのは至難の業である、そんな場所で隠棲している老人、只者ではない。

「わしはアイザック、農家を営んで居る」

「……からの」

「わしはアイザック、農家を営んで居る」

「それで」

「いや、わしの家三代続くトマト農家だけど」

 そういって困ったようにトマトを差し出してきた。農家だった、滅茶苦茶うまそうなトマト作っている農家だった。

「大体こういうところで穏やかな生活をしている人って大体伝説の武術家っていうイメージがあったので」

「何じゃその偏見は」

 おじいさんとおばあさんが笑い飛ばす。穏やかな時間が流れるが、その平穏にいつまでも浸っているわけにはいかない。

「ではそろそろ私は……」

「どこに行くんじゃ?」

「いやまあ、ちょっと」

「……せっかく拾った命なんだ、大事にするんだよ」

 おじいさんとおばあさんの目つきが鋭くなり、平穏な雰囲気が一変する。

「気づいていたんですね」

「君が流れてきた川の上流は、マドラー城があるからの」

「たまにいるんじゃよ、マドラーに挑みに来る命知らずが、まあ入っていった数に対して戻ってきたのは何百分の一ぐらいの人数だけども」

 おじいさんとおばあさんがここぞとばかりに畳みかけてくる。

「まあそんな連中の中で、君はぶっちぎりで弱そうじゃが、何とか生き残った。その幸運を捨てる必要はないとおもうぞ」

 数多の挑戦者を見てきた彼らが言うのだから、きっと俺はもの凄く弱そうに見えているのだろう、まあ弱いのは事実だが。

 自分でもわかっている。マドラーには逆立ちしようが天地がひっくり返ろうが、勝てる見込みはないことを。

「それでもいかなきゃダメなんだ」

 心に巣食う絶望を払拭するには、奪われたものを取り返さないといけない――気がする。

 その言葉に二人は同時に溜息を吐いた。

「君は私が見てきた中で、馬鹿さ加減は一位だよ」

 おばあさんの言葉におじいさんは苦笑い、だがその笑みはどこか楽しそうであった。

「で、何か策はあるのかい?」

 おばあさんの言葉に、一瞬で押し黙る。

 ここまで息巻いてみたのはいいが、現状どうやってマドラーからアテナを奪い返すか見当もついていない。正直無残にもその命を散らしたあのしゃれこうべのときはうまい具合に蹴りが入って、頭が落ちただけで、実はほとんどダメージを与えられていなかったのである。正直下っ端を倒せないのならばその首魁たるマドラーを倒すのは夢のまた夢であろう、それどころか一撃で再び転生するかもしれない。

 ありとあらゆる策を講じなければ勝てないのだが、いろいろ考えても答えが出ないリョウを見かねたおじいさんが切り出した。

「まあここまで乗り掛かった舟じゃ、わしらも協力しよう」

「え、いやあなた方にこれ以上迷惑をかけるわけには」

 その気持ちは嬉しいが、魔王に喧嘩を撃った人間に加担すると危険が及ぶかもしれない。

 全力で遠慮しようとしたリョウだが、ここでおばあさんが前に出た。

「いやいや遠慮せず――にっ!」

 おばあさんが言葉を言い終わるのと同時に、リョウに一気に肉薄した。そして無防備な顔面に肘鉄を鼻先ギリギリに繰り出す。

 目にもとまらぬ一撃によって発生した一陣の風がリョウの髪を浮かせる。

「今のままだと、瞬殺されてしまう。どれ私が稽古をつけてあげよう、多少はましになるはずだよ」

 おじいさんじゃなくて、おばあさんが超強かったパターンか。

 こうして対マドラー戦の修業が始まった。



 そんなこんなで始まった修業であるが。

「反応が遅い! 貧弱な貴様にとってマドラーの攻撃は、一撃一撃が致命傷になることを忘れるな!」

 さっきからおばあさんのキャラが変わっている。というか厳しい、厳しすぎる。さっきから組み手を行っているのだが、このおばあさんが異常に強い。

まず攻撃がこちらの反応速度をはるかに超えており、攻撃を受けたことを認識するより早くすでに攻撃が終わっているという、受けたものを全員ポルナレフ状態にする理解不能な攻撃をしてくる。

 それでも何とか反応し、防御したとしても。

「敵の攻撃が一回と思うな! 第二波、第三波を最初の攻撃を躱した時点で予測しろ!」

 目の前にいたはずなのに、追撃の時はなぜか背後にいるというドラゴンボールのような戦法を平然とやる。

 うまく攻撃をいなして、反撃に転じたときも。

「甘い!」

 その言葉と同時に吐かれたのは紫紺の毒霧、それが顔面に直撃する。

「ああああああああああああああああああああ!」

 毒霧の浴びた部分が熱をもって、そのあと全身が麻痺した。おじいさんが解毒薬を飲ませてくれなければ、危険な感じになるレベルだったこともあった。

「敵は能力を隠している可能性もある、警戒心を怠るな!」

 とまあこんな感じで、もうあんたがマドラーと戦ってくれよといわんばかりの理不尽な強さから繰り出される異次元の修行を受けた甲斐があり、攻撃に反応するくらいはできるようになったが。

「ほう……様になってきたじゃないか、これならマドラーの攻撃にも対応できるだろう、それなら――」

 おばあさんは両手を十字に構えて、切った。

 おばあさんを中心に爆風が発生し、金色の闘気に包まれる。

「さあこのスーパージモトミンの攻撃をしのげるかな」

「いやだめだろ、それは」

「大丈夫だ。最初に教えた『殴られた衝撃を地面に逃がす呼吸法』を使えば何とかなる……多分」

 あんた自分が暴れたいだけじゃないだろうな、と思ったが口には出さなかった。まあ泣き言を言っている場合ではないので。修業を再開しようとした、その時。

『やあ人間諸君、私はマドラー』

 尊大、傲岸不遜の色に満ちた声が大地に響き渡る。

山を越える巨大な幻影、巨大な角を持ち悪意に満ちた眼光を出すさえた悪魔――マドラーがそこに顕現する。

 思わぬ仇敵の出現にリョウは歯噛みしながら、その幻影を睨む。

『聞こえているか、城に侵入した愚か者よ。貴様の大切な仲間は、我が手中にある』

 ここでこんな放送を行う目的は一つだろう。

『取り返したくば、城の跡地に来い。もし来なければ……仲間の命は保障しない』

 ここまで大々的に呼び出すとは、どうしても俺を殺したいらしい。

『それではな、ハーハハハハハハハハハハハハハハハ!』

 高笑いを上げながら、マントを翻すマドラー。

 どうやら時間はないようだ、このままではアテナがどんなことをされるかわからない。

 決意を固め、拳を握りこんだリョウはある異変に、気が付く。

 先ほどのマドラーの挑発、内容的にはもう終わっているはず。しかし巨大なマドラーの幻影が残留し続けている。

『そうだ、さっさと助けに来い』

 こちらに背を向けたマドラーが言葉を続けたが、明らかにこちらに向けた言葉ではない。

 こちらの頭に疑問符が踊り狂っているなか、幻影マドラーは地団太を踏み始めた。

『もう四日だぞ! 仲間が攫われて四日だぞ! さっさと助けに来い! 俺はこの四日間あいつがあの女を取り返しに来ると思って、不眠不休で警戒し続けているのだぞ! あいつそれでも勇者、いや人間か!』

『マドラー様! まだ魔法解いていないです!』

『何ぃ!』

 テレビ画面のようにぷつりと魔族の恥ずかしい生配信が消え去る。随分間抜けなことが起こったが、その実事態は悪化している。

「行くんじゃな」

 おじいさんと普通の状態に戻ったおばあさんも全てを理解しているようだ。ちなみにさっきのマドラー痴態はスルー。

「……ええ、お世話になりました」

 時間がない、綿密に尚且つ迅速に作戦を立てて、マドラーに挑む――アテナ奪還作戦の開始である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る