第226話 大地の王者の成れの果て(1)
「大丈夫じゃ、ソルト」
ヒメはいつになく緊張した様子だった。それもそのはず。このダンジョンは過去に一度も討伐されたことのないダンジョンボスがいて、俺たちはそれから牙をぶんどろうとしているのだ。
「ヒメさま、ソラも一緒におります」
ヒメとソラは狐耳をふわりと動かして俺の後ろへと回った。この姉妹の本気モード。心強い。
「にいちゃん、なんで俺が一番後ろなんだよ?」
フウタはかなり不服そうだ。それもそのはず、フウタは寄宿学校を首席で卒業後、各パーティーから引っ張りだこの人気魔術剣士である。
「フウタ、お前はこのメンバーで一番足が早い。万が一のことがあればお前が素材を持って逃げ帰ってくれ」
「なんだよ……そんなの」
「大丈夫、私たちはきっと成功するしサングリエちゃんも助かる」
クシナダの声は震えている。彼女の額のツノが赤く光っていた。
ベヒーモスは豊穣の神である。というのは昔のおとぎ話だが、本当にそんな気がする。俺たちが進むダンジョンの中はまるで農地のように作物が自生していた。毒があるものもあるがほとんどが毒抜きなしで食べられるものだ。
小型の魔物は俺たちに襲いかかっては来ない。シューの魔法のおかげで俺たちはこのダンジョンに一体化しているのだ。
「ねぇ、ソルト。なんか変だよ」
クシナダが最深層への入り口の前で立ち止まった。
「どうした?」
「ねぇ、ソルト。ベヒーモスって聖獣なんだよね?」
ベヒーモスを最後に見たのはおそらく俺の母親だ。親父の話じゃ、温厚なベヒーモスを倒すのはやめた……そうだ。大きな体格のベヒーモスは四つ足の魔物で大きな耳と長い鼻がその特徴だ。
彼の足跡にはたくさんの植物が生え、彼が息を吐くと果実が実り……
ただ、ダンジョンを荒らす冒険者を見つけるとベヒーモスは怒り攻撃をしてくる。
「そうだ、ここの植物たちはおそらくベヒーモスの力で生きていると言っても過言ではないな。できれば殺すことなく牙の先端だけ欲しい」
「でもね、ソルト」
「どうした? クシナダ」
クシナダに答えを聞く前に俺は思わず最深層への入り口から飛び退いた。驚いたフィオーネとフウタがすっ転んだ。
「ソルト?」
ヒメが震えだした。
俺は絶望で吐きそうになった。
「腐臭がする」
俺の言葉に一同が凍りついた。
ベヒーモスがいるはずの場所に腐臭などするはずがないのだ。腐臭がすると言うことはベヒーモスがすでに殺されている……ということだ。
「ベヒーモスが死んでるってことだ」
「じゃあ、牙はないってことにゃ?」
俺のシューの間にクシナダが割り込んだ。
「違う……声がする。ベヒーモスは生きてる」
「どういうことだ……?」
***
ドロドロの沼地と化した最深層の真ん中に大きな魔物がいた。真っ黒にただれた皮膚は溶けおちている。
鼻がもげそうなほどの腐臭は彼自身から漂うものだろう。
「あれが……ベヒーモス?」
「多分……な」
「一応、牙はあるわね」
クシナダが言った。なぜ、あいつが腐りかけの毒まみれになっているのか俺にはわからない。
俺の母親の時代にはその文献がないってことはこの30年くらいでこいつに何かが起きたってことだ。
「フウタ、戻って応援を頼む。薬師と回復術師を」
「わかった、死ぬなよ」
フウタが走りだした。その音を聞いてベヒーモスが咆哮する。シューが魔法を唱え、俺たちをふわりと包む。
「できるだけあの息に当たらないようにするにゃっ」
「フィオーネ、ソラ、狙いは牙だ。クシナダ、拘束を頼む!」
俺たちはベヒーモスへと立ち向かう。
——考えろ
俺は彼女たちが戦っている間にベヒーモスがこうなった答えを探さないといけない……。
「ソルト……まずいぞ」
ヒメが震えた声で言った。
「どうした……?」
ヒメが指差したのはフィオーネだった。彼女は大ぶりの大剣をベヒーモスに振り下ろすがその攻撃は全て腐った毒の皮膚に吸い込まれている。
ソラの一撃も、シューの魔法も、そしてクシナダの麻痺牙もだ。
「全部……吸収してやがる」
その時だった。
「いやぁ!」
ベヒーモスが黄色がかった息を吐き出した。それをまともに食らったソラは体が痺れて動かなくなる。
「ソラ!」
フィオーネがベヒーモスを色魔女の力でひきつけている間に俺はソラを抱き上げ岩陰へと運ぶ。
ヒメの魔法ですぐに意識は取り戻したが……
「あれは……クシナダちゃんの……」
ベヒーモスは力を吸収する性質がある。だから、クシナダの麻痺毒を吸収し、それを攻撃に使ってきたのだ。ベヒーモスの体内で強化された麻痺毒はクシナダが放ったものよりも広範囲で強いものだった。
となれば、今ベヒーモスが毒まみれなのは……毒を食らったからだ。
「ソラ……奴の毒をヴァネッサに渡して解毒剤を作らせてくれ」
ソラはきょとんとした顔で俺を見上げる。
「サングリエはそれで良くなるだろう」
「でも……3人じゃ……」
ソラは体を起こし、戦うフィオーネたちを見つめる。
「大丈夫、俺に考えがある。ソラ……できればベヒーモスの生態についてリアに知らせてくれ。それから応援を……」
「はい」
ソラは自分の服に染み込んだ毒を袋に詰め込むと走りだした。
「ヒメ、力の限り回復魔法を使うぞ」
「わかっておる……時間稼ぎじゃな」
「違う」
「ソルト! 全然攻撃が効かない!」
「みんな! 一旦引くぞ! シュー、目隠しの魔法を!」
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