第224話 失う(1)

 女たちがいない。


 こんなに平和な空間は久々じゃないだろうか。相棒のシューは木陰で涼んでいるが。


「ソルト!」


 そんな平和もつかの間、カラフルなウミヘビを握った翡翠が波打ち際に顔を出した。そう、こおはリゾートダンジョンの浜辺だ。ダンジョンの中だというのに太陽が輝いているし、海は波打っている。


「おいおい、変なの捕まえたなぁ」


「ううん、変なのじゃないよ」


「どうみたって変なのだろ」


 翡翠はカラフルなウミヘビをぺちっと砂の上に投げると自身も人間の足を生やして砂浜へと上がった。


「ほら、ソルトだよ〜」


 翡翠はウミヘビに語りかけた。こいつ、ついに頭おかしくなったか? いや、なんかヤバいもんでも食ったか?


「ほぉらぁ……会いたいって言ってたじゃん!」


「ぐぬぬ」


 蛇がしゃべった!!

 俺は驚いてトロピカルジュースを盛大にこぼし、シューは尻尾の毛を逆立てた。


「あちゃー、派手にやったのぉ」


 俺のびっくりなんてそっちのけでウミヘビは喋り続ける。


「ねぇねぇお父さん、ほらほらちゃんとお願いしなよ」


 父親なのぉ??

 

「そうじゃ、ちょっと頼みづらいんじゃが……」


「ソルトさーーーん! きゃあ!!」



 高貴なその声の主はジュースだらけになって半裸になっている俺の上半身を見て見事なまでに鼻血を撒き散らした。

 ワカちゃんである。


「わ、ワカちゃん?」


 俺は彼女に駆け寄って背中を支え、とりあえず日よけの下へと運んだ。浴衣と呼ばれる極東の薄着を来た彼女はリゾートに来たというよりはとてつもなく急いで来た……といった感じだ。


「そ、ソルトさん……破廉恥です!」


 そうワカちゃんに言われて俺はびしょびしょになっている羽織を身にまとった。気持ち悪い。


「どうしたんすか? そんなに慌てて……」


「あっ! 私ったら……すぐに戻って来てくださいっ! 誰も手が離せなくて……サングリエさんが……サングリエさんが……」


 うわっと溢れるように泣き出したワカちゃんを見て俺は背筋が凍りそうになる。彼女が俺を呼びにきたということは……ワカちゃんしか手があいていないレベルで非常事態だということだろう。

 それに……


「サングリエが?」


「サングリエさんが……毒入りのワインを飲んで……意識不明の重体……今だに毒の種類もわからず……ギルド内は混乱に陥っています。ヒメちゃんたちはサングリエさんの治療に、フィオーネちゃんたちは調査に巻き込まれ……その……どうしたら」


 サングリエが死ぬ……?


「ワカちゃん、すぐに極東へ帰るんだ。もし、極東の要人たちがいるんであれば全員連れ帰ってイザナギさんたちに報告を……その」


「ソルトさん……私……何か協力を」


「いや、ワカちゃんは安全のために帰ってくれ」


「ソルト……さん?」


 俺はシューにワカちゃんを頼むと言って、急いでギルドへと向かった。


***


 サングリエはギルド内で開かれたワインの試飲会を主催していた。最近、ワインがこの国では人気だ。というのも、ワインなんてのはおっさんが飲むものだったが、女王のラクシャが好むという噂が流れた途端国中で流行りだしたというわけだ。

 そんなこともあって、ギルドでもワインを楽しむ催しをとサングリエ自身が企画したものだった。


「容体は」


 俺の短い質問に、ネルもミーナもゾーイもうつむいた。


「まず、毒物であることは確かだが判定ができない。意識はない、衰弱している」


 ネルは淡々とそして悲しそうにサングリエの状況を話してくれた。


「血液、唾液、胃の内容物、排泄物まで全て採取しているが毒物が発見されていない、ソルト……。彼女の所見は泡を吹いて倒れ、息をしなくなった。それなのに体から毒物が見つからない」


 と言ったのは極東エルフの体を手に入れたヴァネッサだ。ヴァネッサの横でクシナダが泣いていた。


「今、薬師部と鑑定士部が協力して全ての毒物やこういった作用を起こすものについて調査してる」


 ミーナは小さくため息をついてから「あなたの力ももちろん必要よ」と俺の肩を叩いた。


「ヒミコさまの所見では……呪術や魔法の類ではないとのことじゃ」


 ヒメは静かに言ったが唇に血が浮かんでいた。


「ヒメは回復術師じゃ……あんなにそばにいながら彼女の毒を浄化することなんざできなかった。ヒメにもっと力があれば……」


「ヒメさま……そんな」


 ソラはヒメの背中をさすり、俺に深々と頭を下げた。


「私とハクがついていながら……毒を盛られるなんて。腹を切っても詫びきれません」


 いや、切らなくていいから。と言ってやる余裕は俺になかった。頭の中がぐちゃぐちゃで正直何も考えられなかった。


「みなさん! あぁ……ソルトさんもいらしてたんですか」


 いつになく真剣な表情のフィオーネ、そしてその後ろには黄金の甲冑を身につけた派手な女、ララ・デュボワがじっとサングリエを眺めていた。


「私だった」


 ララは静かに口を開くと


「私が飲むはずのワインを、彼女が口にした。それが、保安部の出した調査結果だわ」


 甲冑の擦れる音が病室に響く。ララはそっとサングリエの横たわるベッドの前にひざまづくと頭を下げた。

 その光景にその場にいる全員が驚いて声もあげられない。

 俺はただ、無感情だった。


「エスターの仕業でしょう。私を殺したいほど憎んでいるようだったから……決闘の申し込みが却下され、暴挙に出たんだわ」


「どうだっていい」


 俺は本当にどうだってよかった。

 犯人とか、誰がやったとか。

 

「サングリエが助かればそれでいい」


「ソルト!」


 ヒメの手を振り払って俺は自分の執務室へと向かった。

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