第206話 孤独と死(1)
「これが……?」
「あぁ、驚いたろう? お前はすぐに幹部をやめたら知らされていなかっただろう! あははは!」
ヴァネッサ魔石を見たエスターはあんぐりと口を開けた。それもそのはず、ヴァネッサの存在は極秘。あの事件以降すぐに幹部を辞めたエスターには知らされていなかった。
「えっと、本当にあのヴァネッサなのか?」
「それは難しい問題だな。私の本体がずっと育ててきた私の脳みそだ」
エスターは眉間にしわを寄せて考え込む。大丈夫、俺もよくわからない。
「少なからず、ある程度の知識の共有はしたよ。ただ、本体が死ぬ瞬間の記憶がないのが残念だ。いいデータになったのに」
やっぱりイかれてやがる。
「まぁ、私はこうして生きているんだしあまり気に病まないでくれ」
ヴァネッサの言葉にエスターは片眉をピクリとあげる。俺はエスターにあまり責任を感じて欲しくなかったのだ。ヴァネッサが形は問わず生きていると知ってくれれば少しは心の重荷も軽くなるのではないかってな。
「そういうことか」
俺はエスターに睨まれる。
「私は落ち込んでなどいない。自分の失脚を悔いているだけさ。父を殺してまで奪った椅子をあっけなく奪われてしまった」
エスターは自身が女だったせいで母親を失った。そして、父親を殺した。
「ソルト、お前はまだ気がついていないのか」
「何が?」
「私が召集されたわけを」
「仕事がないからだろう」
「浅いな」
ヴァネッサ魔石が「やっかいな案件だということだろう」と答えを吐いた。
「あの戦士部長が私を派遣することを承諾した……ということはそういうことだな」
エスターの話じゃ、新しい戦士部長はエスターを始末しようとしているらしい。わざと、特別討伐隊に配属しかなり危険な魔物のダンジョンに派遣する。とてもあくどいやり方だ。
「リュウカはそんなに危険な場所だと?」
「リュウカのダンジョンの住まう魔物は……エンドランドや極東の比にならないだろうね。あぁ……もしも、もしも龍のうろこを手に入れたら私におくれ」
——
ヴァネッサ魔石が興奮した声をあげた。
「まぁ、魔物が原因だとは限らないだろう」
「そうだといいな」
エスターは何かを知っているのかいないのか、クシナダが用意したお茶をすすった。
「でも、嫌がらせなんてひどいですね」
「クシナダ……。私はもう一度戦士部長の椅子を取り戻そうと思っている」
エスターはニヤリと口角を上げた。
「彼女も怖がっているのさ」
***
エスターの人生は壮絶だった。ウリツキー家は王家に使える騎士の家系で貴族の称号も持っている。エスターの父は王に使える騎士でありながらギルドの戦士部の幹部も兼任していた。
しかし、子宝に恵まれなかった。
有名な戦士の家系からウリツキー家に嫁入りした女性はエスメラルダという名だった。美しく可憐で全ての魔物を切り倒す才能に恵まれた女戦士だった。
——やっと生まれた子が……女か
それは、エスメラルダに向けられた軽蔑の視線だった。エスメラルダは可愛い娘を抱き、そして絶望したのだ。
エスターがまだ5歳の頃だった。
「エスメラルダ様がダンジョンの中で亡くなりました」
そう伝えて来たメイドは父親の愛人だった。
父親は「そうか」と短く言うと、エスターに言ったのだ。
——お前もあんな風になりたくないなら大人しく裁縫でもしていなさい
母の遺体は左足と指輪の嵌った右手のみ。エスターは退役した母方の祖父に剣術を習うことになった。
「のちに、父は再婚を繰り返したが……子供はできなかった。おそらく母ではなくあやつが原因だったんだろ」
エスターはそう言って、空を見上げた。
俺は彼女に誘われてとある墓地に来ていた。彼女の母親が眠っている墓は長い間手入れをされておらずボロボロだった。
「じゃあ」
俺の言葉を遮ってエスターは
「私の父親は誰か……わからない。だから、同じ戦士部にいた私を目の敵にしたんだ。あの男は、私を最難関の任務に放り込んで何度も何度も葬ろうとした」
——最期は自らの手で……私を殺そうとした
エスターは知らないだろうが、おそらくエスターの父親も有名な戦士なのかもしれない。
愛した女が生んだ子供を殺したいと思わせる嫉妬は正直異常だ。
エスターは白い花を墓に供える。
「私には、土の下以外に帰る場所などないんだよ。だから……惹かれてしまったんだろうな。私と同じ目をしたあの子に」
あの子というのはエスメラルダ……エスター自身が首を落としたあのエルフのことだ。エスターはあのエルフに自分を唯一愛してくれた母親の名前を与えた。
俺なんかよりもきっと、エスターの心の傷の方が深いのかもしれない。
「リュウカで成果を上げて……私は戦士部長に決闘を申し入れる。もう一度、戦士部長を殺して私がその席に座る」
エスターは遠くを見つめていた。
この人はずっと孤独で、そして彼女が孤独から抜け出す道は死だけだと考えているんだ。
「私は、お前を信じている。ありがとう」
俺は黙って微笑んで、頷いた。エスターの心の闇は思った以上に深いかもしれない。
それに……エスターの代わりに幹部になった女って……。
そうとう厄介なやつっぽいな。
「さて、お話はこのくらいにして旅の準備をはじめようか」
エスターはさっさとギルドの方へと歩いていく。小さな少女の背中を俺は追いかけた。
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