第197話 救えない命(2)


「ヴァネッサ!」


 俺が研究部の執務室の扉を開けた時、ヴァネッサはまだ生きていた。剣を突きつけられ、争ったのか口からは血が垂れている。

 犯人は黒いローブを羽織っている。

 俺は犯人が戸惑っている間にヴァネッサと犯人の間に割って入る。


「やめるんだ。エスメラルダ」


 犯人は、いや……エスメラルダは小さくため息をついてローブを脱いだ。下にはくろねこ亭の可愛らしい制服。

 レオナルドのメモが正しいなら犯人はエルフ。そして、すべての現場にいたエルフで……これだけのことをしでかす実力があるのは彼女だけだった。


「クシナダは」


「人魚を送りに行ったよ。ちょうどよかった」


「よくねぇよ」


 ヴァネッサは余裕の笑みだ。


「エスメラルダ。お前たちを傷つけたのはヴァネッサじゃない。わかるな?」


 エスメラルダは俺が現れて錯乱しているようだった。脂汗をかき、目は泳いでいる。ただ、パーティーを壊滅させるほどの腕を持つ戦士だ。俺から下手に動くことはできない。


「ジェフも……ほかのみんなもだ。お前たちを傷つけたのはこいつらの先祖で……こいつらには関係ない。そうだろ?」


「うるさい……うるさい!」


 エスメラルダは


「私の弟は……両目が綺麗なばっかりに生きたまま目をえぐりだされた! あの女が……お前にそっくりのあの女が【見てみたい】と言ったばかりに」


 エスメラルダは血走った目でヴァネッサをにらんだ。


「簡単には死なせても、もらえなかった。何度も治療され、手術され……私が……私が弟を殺した! ただ……生まれただけなのに。幸せに生きていただけなのに……生き物の形ではなくなるまで弄ばれた弟は私に殺してとせがんだ」


 エスメラルダは切っ先を俺に向けた。


「どかないなら切る」


「それが……レオナルドを殺した理由か。サブリナはどうした。あいつらは関係ないだろう!」


「サブリナには逃げられた……。でもあいつが悪いんだ! あの男……仕方なかったんだって言いやがった!」


 エスメラルダの切っ先が俺の頰をかすめた。ひんやりとした感覚の後に傷口が熱くなる。


「ヴァネッサは悪くない。エスメラルダ……やめろ」


「どけ……できれば貴方を殺したくない」


「俺だって死にたくない。殺させたくない」


 エスメラルダは、きっとずっとこの時を待っていたんだろう。ギルドに入り込めるこの時を。

 エスターに助け出されるように計算して自分の仲間を殺し記憶喪失のふりをする。そして、戦士部からより都合の良い俺たちを利用した。

 レオナルドに行き着いたのはサブリナとクララを運んで帰った時にあのサブリナにそれとなく聞き出したんだろう。

 そして……レオナルドを殺した。彼が答えを知っていたから。


「エスメラルダ、辞めるんだ。今ならまだ戻れる」


「弟は……ルボンは戻ってこない!」


 エスメラルダは剣を振り上げた。俺は利き手ではない左腕を犠牲にすることにした。片腕になってもヴァネッサが生き残ればそれでいい。


——ぐっ


 衝撃は腕ではなく腹に。

 鋭い衝撃ではなく重い衝撃だった。


 俺の目の前に影がよぎり、エスメラルダの顔が狂ったような笑顔になった。


「ヴァネッサ!」


 ヴァネッサが俺をかばったのだ。こともあろうかバカみたいに飛び出して。エスメラルダの剣をまともに受けたのだ。それだけでなく、エスメラルダの剣が自分の胸から抜けないように抑えてやがる

 その時、戻ってきたクシナダが扉を開け、瞬時にエスメラルダを取り押さえた。


「誰か! 誰か!」


 クシナダは自身の牙でエスメラルダを麻痺させて、すぐに人型に戻るとヴァネッサに駆け寄った。

 さっきレオナルドに使ってしまったせいで、俺のポケットに薬草は入っていなかった。


「なんで! いつもソルトさんは何もできないんですか! いやだ……死なないでお願い」


「ソルトを責めてやるな……ずっと私を守ってくれて……いたよ」


 ヴァネッサの優しい声、クシナダを撫でようとしても彼女の腕はもう上がらない。


「それに……一度くらい……死んでみたかった……んだ」


「いや……いやぁぁぁぁ!!」


***


 ヴァネッサは死んだ。

 ほんの少しの間に俺は自分の腕の中で大切な人間をふたりも失った。あの時自分が戦士だったなら……S級戦士のエスメラルダと対等に渡り合えたかもしれない。

 俺が回復術師や医師だったなら……ヴァネッサを死なせずに済んだかもしれない。


「どうして……助けてくれなかったんですか。いつも、いつも誰かにやってもらってばかりで恥ずかしくないんですか。ただ突っ立って……見てただけじゃない!」


 クシナダは泣きはらした目で俺にそう言った。

 本当にその通りだ。


 俺はいつだって……


——所詮、無能な鑑定士なんだ


「クシナダ……」


 フィオーネがクシナダを俺から引き離す。サブリナは貧民街の小さな路地裏で隠れているところを発見されたらしい。

 レオナルドが彼女を逃がすために時間を稼いだようで、今は彼の遺体のそばにいるそうだ。

 レオナルドが一人の女を守ったのに、俺は誰も守ることができなかった。鑑定士で、剣術もできるはずだったのに。


「ソルト、きてくれないか」


 エスターだった。


「エスメルダの尋問が始まる。お前は情報を持っているだろう、ぜひ。それから……ロームの女王も捜査に協力してくれるらしい」


 俺は立つことすらできない。

 エスターに肩を借りてやっとのことで立ち上がる。


「もう、2度と顔を見たくないです!」


「クシナダ!」


 フィオーネがクシナダをひっぱたく音がした。

 でも、クシナダの言う通りだ。

 俺は……


「私の責任だ」


 エスターが静かに一言。そして、俺は保安部へと向かった。

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