第195話 真紅の人魚(2)

 ギルドの廊下を歩いているとすれ違う人のほとんどが人魚のことを話している。なんというか……すごく鼻が高い。

 俺は蔑まれていた鑑定士ではなく、とても貴重な魔石を発見しレースに勝ったパーティーの隊長なのだ。


——これを機にモテないかなぁ


「ナディア、お疲れ。エスメラルダは?」


「お姉ちゃんはねー、まだ体が痛い痛いだからおやすみ〜」


「気をつけるんだぞ」


「はーい」


 ナディアは大量のランチボックスを抱えてギルドの中へ入って行った。医師部だろう。今日は大きな会議があるらしいからな。

 もっと簡単に持ち運べるようなカートを大工に作らせるか。


「ソルトさーん!」


 クシナダが白衣姿のまま俺を呼び止めた。クシナダの方をたくさんの男が見ている。彼女はどうやら男性陣に人気らしい。


「どうした?」


「例の……いいから来てくださいっ」


 クシナダにぐいぐいと手を引っ張られる。俺、レオナルドたちを待たせてるんだが……。こうやって強引なところはフィオーネそっくりだな。


「びっくりしますよ」


「何が?」


「あの魔石の中にいた人魚……生きてたんです。ヴァネッサさんがコミュニケーションを取ってますが……あの猫ちゃんをって」


「やばいにゃ」


 シューがブルブルと震える。


「どうした、シュー」


「シューは命の恩人だと勘違いされたかもしれないにゃ」


 俺にもクシナダにもシューが言っている意味がわからなかった。


***


 研究部の執務室。たらいと呼ばれる極東の水入れに入った人魚はまだ幼いらしい。緑色の鱗が生えた下半身は完全に魚のそれで、彼女の耳はまるでヒレのようにひらひらとしていて……それなのに人間のような上半身の造形は不可思議というほかなかった。


「まだこの子は言葉を知らないようだ」


 ヴァネッサが言った。そして、人魚の子供はシューを見つけるとにっこりと笑顔になってバシャバシャと尾ひれで水しぶきをあげた。


「おそらくだが、魔石が生成される段階でワイバーンの巣に迷い込み魔石の中に取り込まれてしまったのだろう。ただ、人魚はちょっとやそっとじゃ死なないからな」


 どんだけ強いんだよ……。石の中にぴったり閉じ込められててどうやって生きてるんだよ……。


「この魔石を採掘したお前さんを恩人だと思っているようだな。誠に残念だ」


 ヴァネッサはシューに言った。


「だからなんだよ、その恩人とか助けたとか」


 ヴァネッサは俺の質問にやれやれと腕をあげると静かに説明をしてくれた。


「人魚というのはだな。そもそもダンジョンの女神と呼ばれている」


 人魚がダンジョンの女神と呼ばれるようになったのは、傷ついた人魚を助けた冒険者が人魚から受け取った鱗をお守りにしたことで幸せになった逸話からだと言われているそうだ。

 それが本当かどうかはわからないが、古くから人魚という生き物は神格化され見つけたら助けなければならないとされている。

 そして……魔石を採掘した。つまりあのダンジョンから人魚を助け出したシューをこの人魚は恩人だと思っているようだ。とのことである。


「実際に削り出したのはヴァネッサだろ?」


「そうだが……私には反応しないようだ」


「ただのネコ好きとかじゃなくて?」


「うーん」


「どうでもいいけどさ……」


 俺に全員の視線が集まる。


「こいつ……どうすんの?」


 ニコニコの人魚。シューをみて嬉しそうにバシャバシャしているが……こいつをうちで引き取るなんて絶対に無理だ。

 人魚なんて育てたこともないし、育てる気もない。


「ダンジョンに戻すにゃ」


「そうだ、リゾートダンジョンの海に放流しよう」


 シューが人魚の鼻っ面に前足の肉球を当ててぐいっと押した。


「いたいっ」


 人魚は甲高い声を上げる。


「こいつ、言葉を話せるにゃ」


 フシャー!

 シューが唸ると人魚は真っ赤になった鼻をこすりながらすんすんと鼻をすすった。


「だってぇ……人魚って黙っていた方が可愛いんだものっ!」


「よし、クシナダ。今すぐリゾートダンジョンに放流してこい。すぐにだ」


 クシナダは「はい」と返事をする。

 しかし……


「いやいや〜! せっかく地上にこれたんだもんっ! ダンジョンに戻るなんて絶対にいや〜!」


 駄々をこねる人魚はバシャバシャと水を飛ばした。ビショビショになる俺とシュー。


「人魚が恩返しをするなんていう昔話は嘘だったにゃ。こいつは飛んだお荷物にゃ」


「そうだな……」


「地上に上がった人魚はダンジョンに戻ったら泡になっちゃうのよ!」


 ヒクヒクと人魚の赤くなった鼻が動く。


「嘘だにゃ」


「えーん! そんなこと言わずに〜! お願いっ、お魚は自分で取って食べるからぁ。ねっ? ねっ?」


 胸の前で手を丸めて可愛いポーズをとってみせる人魚。嬉しそうなヴァネッサと困っている俺たち。


「それにね、私、入ったことのあるお水の中なら瞬間移動できるのよぅ。便利でしょ?」


 便利なのはお前だけだ馬鹿野郎。

 なぁ、シュー。さっさとダンジョンに……と思ったらシューは何やら企んでいる顔を。


「シューのためにお魚を毎日取ってくれるかにゃ?」


「もちろん! お魚の取れる場所へ一度入れば……どこからでも潜って行ってお魚を捕まえてあげるわ!」


やばいぞ。


「ソルト、この人魚をうちの温泉で飼うにゃ」


 いやだよ。勘弁してくれ。


「お前、なんで魔石の中に?」


「えっ? うーん……ワイバーンの巣でお昼寝してたらなんかパキッって生成に巻き込まれちゃったんだぁ」


 物理も何もかもを無視する存在、人魚。どういう原理でそうなってやがるんだよ。


「ヴァネッサ、こいつ実験台にしていいよ」


 俺の言葉に涙を浮かべる人魚、ヴァネッサは嫌味な笑いを浮かべて


「人魚の呪いは怖いからな。遠慮しておくよ。そうだ、真紅の魔石に関してはもう少し研究させてくれ、気になってな」


 こうしてうちの居候が増えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る