第173話 ワインとパスタ(1)
古書店のカビ臭い香り……じゃなくてうまそうな香りが漂っている。俺はカウンターに読みたい本を積み上げて、うまい紅茶を入れて読書をしているが、奥の台所ではサングリエがパスタソースを試作中だ。
肉花草をひき肉にしてから塩胡椒で傷め、飴色たまねぎとトマトソースで煮込む。隠し味は極東の醤油。
これが麺状のパスタに絡まると最高。麺状じゃない短いパスタや可愛い形のパスタでもよく合う。
「でも、ワインに合うって感じじゃないのよねぇ」
確かに、ランチに食べる分にはとっても手頃だし美味しい。
でもワインというよりは冷たいフルーツジュースの方が人気が高い。ワインってなるともっとメインディッシュ的な料理の方が頼みやすい。
俺はもっぱらパスタを食べるときは緑茶を冷やしたものだ。口の中がさっぱりしていい。
「赤ワインをソースに使ってみたけれど、あまり味がよくないのよねぇ」
サングリエの独り言だけが響く。
俺はかまわずページをめくる。あぁ、こんな植物もあったっけなぁ。最近はダンジョンに入っていないから鈍ってるかもしれん。
新しい野菜でも栽培してみるか……? 毒を抜いた状態で栽培するためには研究部に行っていくつか作業をしないといけないな。
あの酸モモ。ちょっと研究部の方でいじってやれば美味しいジャム用モモになるだろうか。
アイスクリームとの相性が抜群だったんだよな。
「ソルト、味見して」
サングリエはミートソースに夏ナスが絡んだパスタを俺の前にトンとおいた。
口に運ぶ前にわかる。
これは美味しいやつだ。
「うまい、けど……刺激が足りないな」
まぁ、これは好みによるが俺はパスタがソースの味を薄めてしまうのでもっと刺激の強い方がいいと思う。
「そう?」
「例えば唐辛子を入れるとかどうだ? たぶん、ピリッとすると赤ワインがほしくなるかも」
「確かに、少し甘くしすぎたかしら?」
「くろねこ亭は子供たちが試食するから甘くしがちだが、夜出すんなら刺激がある方がいい。うちのワインによく合うと思うぞ」
サングリエと一緒に試作品のパスタを食べながら思う。あぁ、これが俺やりたかったスローライフだ。
ゆったりできる空間に、俺の大好きな本やお茶。そして仲の良い……
「クリーム系やチーズ系なら白かロゼ……うーんどうだろう?」
「そうだな、ロームの料理長おすすめのグラタンってのはどうだ?」
「あれは子供向けでしょう?」
「甘めのワインとよく合うと思うけどなぁ」
サングリエは首をひねった。ちょっと臭みのあるチーズの焦げ目が俺は大好きなんだけどな。
「どこ行くの?」
「あぁ、ヴァネッサのところに。いくつか毒のある食材を栽培用に毒抜きしてもらおうと思って申請にな。ついでにフィオーネに声かけてダンジョン行ってくるわ」
「そう、じゃあ戸締りはしとく」
「よろしく」
「そうそう、これ、試作品のショートパスタなんだけど持って行って」
俺は美味しそうなショートパスタが詰まったランチボックスを受け取って荷物の中に入れた。
採集の途中にでも食べるか。
「ありがと、行ってくる」
***
「えーっと……何を採集するんですか?」
「唐辛子だ」
「農場にありますよね?」
フィオーネはぽかんと口を開けている。シューは唐辛子が嫌いなので乗り気ではない。
「もっと辛いやつだ。紅蓮唐辛子ってのがこのダンジョンに自生しているんだが……」
俺たちを押しのけるようにしてパーティーが突っ込んできた。戦士、魔術師、回復術師、そして鑑定士で構成されている。
昔懐かし、全員分の荷物を背負った鑑定士がよろよろと歩いている。
「おいおい、採集のおっさん! 邪魔だよ!」
戦士の男が俺を小突いた。
すかさずフィオーネがその手を叩いた。
「失礼ですよ、あなた戦士番号は」
「なんでお前に言わなきゃなんねぇの? お前こそ誰だよ」
「フィオーネ、やめとけ。すいませんね。邪魔で」
触らぬ神に祟りなし。俺は相手にせずやり過ごすことを選んだ。
「謝ってくれたらいいんだよ。ほら、行くぞ」
典型的な傲慢戦士。魔術師と回復術師は彼に従うだけ。おそらく、戦士がいちばんの実力者で逆らうのが怖いんだろう。
俺は鑑定士の方に目をやった。体の小さい女の人だった。その目は死んだ魚のようでぼんやりとしている。
声をかけるべきか否か。俺は迷った末にやめた。
そして、彼らから少し距離を取るようにして紅蓮唐辛子の採集を続ける。
「おい、お荷物! さっさと食事の支度をしろ」
「はい、レガード様」
懐かしい、嫌な光景だ。採集ができるような割と平和な階層では鑑定士が料理を作ったりして休養をする。
鑑定士の彼女は「お荷物」なんて呼ばれているのに文句も言わず準備を始めた。
しばらくして食事を終えた彼らは下へと向かって行った。
「なんか、嫌な感じでしたね」
フィオーネは背中にたくさんの紅蓮唐辛子の苗を背負っている。俺は採集したタネを麻袋の中に入れた。
「だな……。力こそ正義、それを信じるバカと信じてついて行くバカ。いまだに抜け出せない人がいるんだよな」
「どうしておきっぱなしなんだろう」
フィオーネは不思議そうに首を傾げた。
「何がだ?」
「ほら、調理した鍋……ボスを倒した後ここに戻るんですかね?」
「あぁ?」
フィオーネの足元に駆け寄ってみるとそこには焚き火の跡だけではなく、ダンジョン内で使う調理セットも残されていた。
携帯用のパンによく合う肉のクリーム煮が作られた痕跡がある。
——待てよ……。これ。
「どうかしました?」
「フィオーネ、下に向かった奴らの様子は見てたか?」
「ええ、ソルトさんに突っかかってきたときよりも静かでしたねぇ。多分反省したんですよ」
これは……まずいぞ。
「シュー、回復術師なしでいけるか」
「薬草でなんとかするにゃ」
「フィオーネ、戦う準備を」
「な、なんでですか」
「話してる暇はない。下へ急ぐぞ!」
クリーム煮はどんな生臭い魚や肉でも美味しく食べられる調理法だ。だからこそ、何かを混入するにはもってこいの料理でもある。
例えば、このダンジョンに自生する……
「おそらく、あの鑑定士はパーティーを壊滅させるつもりだ」
俺はダンジョンの下層に向かって走りながら説明する。といっても相手はフィオーネなので通じているのかは不明だ。
「このダンジョンに自生している刹那草は食った人間を錯乱させる効果がある。普通は魔物を錯乱させるのに使うが……」
料理用の鍋と一緒に放置されていた皿は3つ。おそらく鑑定士は食べていない。仲間に食べさせたのだろう。
そしてもう一つ……
「あの鑑定士……仲間を道連れにして死ぬつもりだ」
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