第172話 ハクの不思議体験(2)


「何もいないぞ」


 念のため、シューにも見てもらう。

 俺たち以外の誰かがいた痕跡はないし、そもそも幽霊なんてのはこの世に存在するはずもないのだ。


「で、でも見たんです」


 いつも真面目なハクが嘘ついているとは思えないしなぁ……。

 

「でも、いないにゃ」



 ハクは少しだけ不満そうに頷いてなんとか自分を納得させて仕事へと戻った。


***


 俺はギルドでの仕事を終えて、大荷物を抱えている。というのもロームから送られて着た乾いた麺を抱えている。もともと小麦しか取れなかったロームでは小麦を使用した食べ物が発達している。


「これはパスタというらしい」


 麺だけではなく様々な形にした小麦粉を乾燥させて長期間の保存が可能。食べるときは湯がいてやれば美味しく食べることができる。

 食料が豊富ではないロームでできたこの食べ物はいい商売になるかもしれない。リアがすでに商品開発中だ。


「トマトとチーズってのがロームではよく食べられている組み合わせらしいが、俺はあのバジルソースがわすれらんねぇ……」


 ぶつぶつと独り言を言いながらくろねこ亭へ向かう。

 極東風にアレンジでも美味しいだろうし、スープに入れて一皿で食事が完結するような料理にしても良いだろう。

 俺としてはニンニクと唐辛子でピリッと仕上げる男っぽい味付けもして見たい。いや、海鮮ともばっちりだろうなぁ……。


「ソルトさーん!」


 泣きべそをかきながら俺にぶつかったのはハクだ。

 俺は荷物を落とさないように何度がふらついて、やっとのことで前を向いた。


「また、また出たんです!」


「例の幽霊か?」


「今度はくろねこ亭で……その」


「そのなんだよ?」


「捕まえたんです!」


——捕まえた?!


「と、とにかく来てくださいっ! シューちゃんもっ!」


 ハクは俺の荷物を半分くらいぶんどって走り出した。俺もあとを追う。正直幽霊の正体が死ぬほど気になる。


「シュー、どうした」


「シューはいきたくないにゃ。嫌な予感がするにゃ」


 ぐるぐると喉を鳴らして不快感をあらわにするシューは俺の肩に爪を立てた。


「まぁ、大丈夫さ。多分」


「ソルトのお人好しはコリゴリにゃ」


「わかってる、仲間にする気はないよ」


「嘘にゃ」


 シューをなだめながら俺はくろねこ亭へ向かった。

 くろねこ亭は外売りの部分以外を緊急閉店にしているせいで人だかりができていた。おっさんはランチボックスを売りながらイモイモ焼きの対応に追われている。

 

「ちょっと、すいませんね」


 俺は人ごみをかき分けながらなんとか店内に入る。

 そこには取り押さえられた髪の長い白い服を着た女と怖がるハク。女を取り押さえているのはフィオーネだった。

 取り押さえられてるってことはハクのいう幽霊じゃないだろうに。


「で、誰なんだこいつ」


「わかりません、言葉をしゃべらないので」


「フィオーネ、放してやれ。その代わり、名前を教えてくれないかい? 俺はソルトだ」


 俺はフィオーネをどかして白い着物の女の手を取った。そのまま椅子に座らせて彼女の長い前髪を優しくかきあげる。

 真っ白な顔はとても綺麗だった。


——イザナミ様??


「イザナミ様っ?!」


 ハクと俺が同時に声をあげて、くろねこ亭のメンツも彼女の顔を覗き込む。


「フィオーネ、洗脳解除薬と変化解除薬を」


 俺は薬を受け取って彼女の手の甲に塗った。

 彼女は反応を示さない。


「だから嫌だっていったにゃ」


 シューは女の前に降り立つを前足の肉球で女の額に触れた。

 すると……

 女は風船がしぼんでしまうように音を立てながら小さな人形の紙へと変わってしまった。


「これは式神にゃ」


「シキガミ? シニガミじゃなくて?」


 俺の質問に笑ったのは後からやってきたヒメだった。こいつ……この前の地下室の時点で知ってやがったな?


「これはイザナミ様の式神じゃ。イザナミ様はもっと自由にこの地を歩きたいと申しておったのでな。ヒメが許可したのじゃ。地下室で盗み食いをしていたのをハクに見られ……その時点でわかっておったがハクが……ハクがあまりにも怖がるので愉快でのぉ」


 式神ってのは自分の分身を一時的に作る極東でも選ばれし人しか作れないものらしい。イザナミ自身は極東の安全な場所にいながら、式神を通してこのエンドランドで自由に過ごしていたらしい。

 うちの地下室であいすくりーむを食べたり、くろねこ亭では試作品やまかないを食べていたらしい。

 いや、何も盗み食いしなくても……。


「イザナミ様はいつもいつも自分はもてなされてばかりで、本当の皆の暮らしを感じたいとおっしゃった。ヒメたちのように自由に暮らしてみたいと。許してやってくれないか」


 ヒメは人型の紙を拾うと俺に頭を下げた。


「よ、よかったぁ」


 ハクはへなへなと座り込んだ。


「次は俺たちに隠さないでくれたら……いつでもここへ式神を送ってくれてかまわないと伝えてくれるか」


「それは反対にゃ! 絶対ダメにゃ!」


「どうしてですか? シューさん」


 ハクが首を傾げた。


「毎晩、ソルトの部屋で寝ている時になんかもふもふされていたにゃ。ソルトだと思って無視してたけど……きっとあれはイザナミの式神だにゃ」


 

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