第163話 ミーナ・シュバイン(1)

「もう行ってしまわれるのですか?」


 グレースは意地悪な笑みを浮かべる。俺たちは一旦国に帰ることになり、このグレースが許可を出した人間のみロームへ入国できることになった。

 

「私、まだもらってないわ」


「えっ?」


 その場にいた全員が凍りついた。呆れ顔のプリテラはため息をつく。


「私が2日も看病したのよ? 等価交換。ね?」


 不可抗力……というか俺には選択肢がなかっただろう。

 グレースはまた何かイタズラを言うつもりか。


「だからね、これをいただくわ」


 グレースは俺のカバンの中から一冊の本を取り出した。それは滞在中に俺が書かされていた鑑定の知識を記したものだ。

 今、この国で栽培している作物についてや、ダンジョンに自生している毒がある作物の毒抜き方法や活用法など我ながら良い出来だから持って帰って執務室に飾ろうと思ったのだが。


「あなたの知識を対価として貰い受けるわ」


 まったく、人をどんだけヒヤヒヤさせるんだか。


「元気でね」


「はい」


「また……」


 おそらく、来ることになるだろう。

 できれば、面倒事じゃなく……俺たちのもつ知識でこの国を豊かにする手伝いとかで……。


「さようなら、ソルト」


***


「本当に、妹がご迷惑をおかけしたわ」


 ミーナは申し訳なさそうな顔で言った。目の下はクマで色づき、少し痩せたのかげっそりと頰がこけている。心配そうなエリーとリア、きょとんとしているフィオーネ。

 シューはすぐにミーナのデスクへ飛び乗った。


「フィオーネ、今日はゆっくり休んでくれ。リアとエリーも。俺はミーナさんと話があるから……少ししたら戻るよ」


 俺たちの雰囲気を察したのか何も言わずに彼女たちは出ていく。

 俺はお茶を入れてミーナをソファーに座らせた。


「大丈夫なんですか」


「だめかも」


 ミーナは深いため息をついた。

 俺が危惧しているのは、シュバイン家の跡取り娘が外国で犯罪を起こし、その贖罪のために国から追放されたも同然の状況なのだ。

 ミーナはソマリが時期当主として存在していたからこんなところで自由に過ごすことができていたが、今はそうはいかないだろう。


「シュバイン家って相当な良家みたいですね」


「知らなかったの」


「薬師には詳しくないもんで」


「俺としてはあなたが退任することになれば俺も退任しようと思ってます」


 まぁ、ミーナはなんだかんだ緩くてやりやすかったし、なによりも結構長い付き合いだし。


「退任はしないわ。私が薬師としてシュバイン家を継ぐほどの才能がないことは家族も理解しているから」


 どういうことだ?

 なら……ダメとは?」


「なら、流通部の仕事は続けられますよね?」


「ええ……幹部の立場は我が家も納得しています。そうなると……私に求められるのは」


「跡取りになる婿と結婚することか」


 ミーナは小さく頷いた。


「で、ミーナさんはどうしたいんだよ」


「私は……」


 涙目で俺を見つめるミーナの赤い瞳は少しだけ揺れた。彼女は好きな男でもいるんだろう。だから、親が選んだ相手とは結婚したくない。そんなとこだろう。


「で、あんたが本当に好きな男ってのは親が認めてくれそうにないんすか」


「えっ? あっ……そ、そうね」


「薬師じゃないか……となると難しいっすねぇ」


「そうね……」


「俺に何かできることがあれば……」


「いいから」


 ミーナは冷たい言葉を俺に浴びせかけた。

 なんで急に怒り出したんだ?


「私の問題だから。怪我、治るまで来なくていいわよ」


 ミーナは俺を追い出した。執務室から追い出された俺は盗み聞きしていたリアとエリーと目があってにっこりと苦笑いをしあった。

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