第145話 サクラの慈愛(2)

「どうしたの?」


 サクラが連れてきたルドとアルは可愛らしいエルフの兄弟だ。しっかりものの兄とまだ幼い弟。一昔前のフウタとサクラのようだ。


「口紅がついてるにゃ」


 シューが俺の耳元で囁いた。俺は慌てて袖で唇を拭った。シューの呆れた視線と俺を不思議そうに見上げるサクラ。何ともいえない表情で俺を見ているソマリ。


「どうりで、真っ赤なミーナとすれ違ったわけにゃ」


「ミーナさん……どうしたんだろう」


「なぁ、サクラお姉ちゃん。この人がママを助けてくれるの?」


 ルドがサクラを見上げた。サクラ「きっとね」と回答を濁した。ソマリは「お母さんのところへ案内してくれないかな」と言って店の扉のカーテンを閉めた。


「行きましょうか」


 ルドの案内で俺たちは貧民街の奥へと足を踏み入れた。


***


 貧民街の中でも長屋のように一つ屋根を細かく区切った建物の一角にルドたちの家はあった。ボロボロの木の扉にくろねこ亭の厨房よりも狭いだろうか。その真ん中に布団。おそらくベッドが置けないからだろう。

 そこに横たわるエルフの女性。ひどく痩せ、生きているとは思えないほど息も浅い。


「お母さん! 薬師さんがきてくれたよ」


 ルドが母親に声をかけると母親はゆっくりと体を起こし、俺たちに会釈をした。


「あぁ……ルド、アル。私はこの子達の母親スピカです」


 スピカは細くなった桃色の髪を手ぐしで梳くと咳き込んだ。サクラが彼女の背中をさすり、そしてソマリがスピカを見て眉間にしわを寄せる。


「サクラ、それからシューさん。子供たちを外へ連れて行ってはくれませんか。できれば、くろねこ亭へ。できれば……ネルさんという医師を呼んで」


「おい、ネルさんはそんなすぐに来れる人じゃないぞ」


「いいから……そのバカ医師を呼びなさい!」


 ソマリの迫力にサクラと俺は頷くしかなかった。

 シューは面倒にゃと文句を言いながらもルドとアル、そしてサクラを連れて家を出た。


「あんた……身売りしただろ」


 ソマリは鬼の形相でスピカの腕を引っ張った。俺は乱暴をするソマリではなく肘から先のなくなったスピカの腕に驚いた。まるですっぱり何者かに斬られたようになくなっていた。


「身売りってなんだよ」


「お前、流通部なのにそんなことも知らないの」


 口の悪い女だ。俺の印象は置いておいて、身売りって言えば花街に行ったとかそんなことか?

 いや、この腕じゃ花街でも働くのは難しいだろう。


「エルフの身売り……この女は金のために《自分の骨を売った》のよ」


——エルフの骨


 それは禁断の素材である。生きているエルフから得た骨は様々な魔道具を許可する材料として遥か昔、この国……エンドランドでも使われていた。

 エルフが人外と言われていた頃。まだ魔物の仲間だと判断されエルフ狩りが行われていたという歴史がある。

 俺も本の中でしか読んだことがないが。

 エルフの材料は生きたまま取り出すことで魔力を温存したまま手に入れることができる。

 その残虐性とエルフが魔族ではないことから現在では禁止されている。もちろん、エルフの人権も人間と同じになった。


「なら……スピカさんが病弱なのは……」


「売った骨に魔力を吸い取られたからでしょうね」


 ソマリはスピカの包帯を外して傷口に薬を塗った。


「医師には嘘でもついたんだろう。これはただの傷薬で治るもんじゃないわ」


「スピカさん。なぜ自分の身を売ってまでして貧民街に住んでいるんですか」


 俺が疑問だったのはなぜ、そのような禁断の品物を売ってこの人がこんなところで暮らしているか……ということだ。


「それは……」


「スピカ」


 ネルが部屋に入って来ると、ソマリが口を開いた。


「貴女が無能な医師かしら」


「ソマリさん」


 俺がとめてもソマリは口を閉じない。


「彼女のこの傷をみて……傷薬を処方するなんて、なんて無能なの。彼女は骨を売った。骨を売ったエルフへの処置をしなかった。お前の責任だ」


 ネルに傷薬を投げつけて、ソマリは出て行った。


「ソマリ!」


「ギルドに行くわ。魔力の流出を防いで……それから魔力を補填しないといけない。材料とそれから回復術師が必要だから。お金はそのヤブ医者がだしてくれるわ」


 ネルはスピカに駆け寄った。


「スピカ……なぜそれを私に言わなかった。旅の途中で魔物に襲われた傷に塗ると……そう言ったではないか」


 スピカは「ごめんねネル」と言って俯いた。

 置いてけぼりの俺は黙ってただその場に佇んでいる。


「私……国を出るために腕を売ったの。この国にくるために……自由を掴むために売ったの。ずっと籠の中で……息子たちにそんな人生を送って欲しくなかったから」


 スピカたちは密入国だった。

 古都ロームとこの国は友好関係であるものの限られた人しか移動することはできない。ネルも幼い頃ロームから逃げ出して漂流していた頃、極東に流れついたそうだ。

 

「私をここへ入れてくれた人たちが教えてくれた。ここにいるエルフたちの話を。そのリストの中から見つけたの。ネルという名前。極東に流れ着いたという噂は聞いていたから貴女を頼った」


 スピカは弱々しく笑い、そしてため息をついた。


「スピカさん。貴女をここへ導いた。いえ、貴女から腕を奪ったのは誰ですか」


 スピカは迷うように目を泳がせる。すかさず、ネルが


「私と、そしてギルドがスピカと子供達の身の安全は保障しよう」


 スピカは


「ダルマス商会」


 と静かに言った。

 彼女の息子たちを誘拐しようとした男、エルフの骨……俺の心がざわざわと揺れる。嫌な予感がする。


「んもうっ! どうしていつもいつも厄介ばかり運んでくるのよ!」


「お姉ちゃん幹部なんでしょう! 手伝ってよ!」


「もう! ソマリなんか大嫌いっ!」


「私は大好きだから、ねっ! ねっ!」


 騒がしい赤毛の薬師姉妹が大きな薬箱を抱えたフィオーネと共にやってきた。仲が悪いようないいような?

 ミーナが俺をまるっきり無視して治療を始めた。

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