第144話 サクラの慈愛(1)
ギルドから持ち帰った書籍をくろねこ亭のカウンターで読みながら俺は店の様子を伺っている。誘拐未遂事件のせいでくろねこ亭の子供達が怯えている。
まぁ、なんでダルマス商会のやつらが貧民街の子供を連れ去ろうとしたのかってのがわからず仕舞いのままで。
一応ギルド保安部に報告はしたが、ダルマス商会は否定。そんな商人はいないと言い張っている。
「ソルトお兄ちゃん、ちょっと手伝って欲しいの」
俺の服の裾を引っ張ったのはサクラだった。ミーナとのお勉強をしていないときは農場の方を手伝ってもらっていたが……
そのミーナが出す課題が多すぎるのだ。
「ん?」
「ここのね、文字が読めないの」
「あぁ……これは」
俺は単語の意味を教えてやる。全く、ミーナはスパルタ教育だな。
「そうだ、サクラ。自分の本。欲しくないか?」
「自分の本?」
「そう、いい本屋さんがあるんだ」
***
俺はサクラとふたりで貧民街を歩く。俺よりもサクラの方が道には詳しい。俺が農場を開くとき、ここで貧民街の子供達を安く雇ったのが彼女との出会いだ。今考えてみるとサクラは本当にたくさんの出会いを運んでくれた。
「シューちゃんねちゃったよ」
「あぁ、こいつはいつも寝てるんだ」
俺の腕の中でぐっすりと眠るシューを見てサクラは微笑んだ。シューもシューで真夜中に魔術の練習をしたりするので昼間は眠いらしい。さすが夜行性。
「さ、ここだ」
「あら、いらっしゃい。今日は小さい彼女さんも一緒なのね」
俺はソマリに挨拶をしてからカウンターのクッションにシューを乗せた。めんどくさそうに顔を上げたシューはすぐにその上で丸くなった。
「サクラ、この人はソマリさん。ミーナの妹さんだ」
「あらっ、気がついたの?」
ソマリは全く動揺せずにクスッと笑った。その様はまるで悪い魔女のようで気味が悪い。
「はじめまして、サクラです。えっと……」
「この子は鑑定士と薬師の天職を持っててさ。今はうちで働きながらミーナに修行をつけてもらっているんだ。そこで、いい本がないかと思ってな」
ソマリは微笑んで、それから薬草や薬品関連の本が並ぶ本棚を案内してくれた。目を輝かせるサクラ。
ソマリがサクラに向ける眼差しはとても優しくて、それはソマリという人間がわからなくなる。
「ソルト君」
「なんすか」
「お姉ちゃんの弟子なら私の弟子よね?」
「ちょっと、それはよくわからないっす」
「私のこと聞いたんでしょ?」
「あぁ……ロームから帰って来たってこととかっすかね?」
「ローム?」
サクラは思わぬ言葉に引っかかった。そしてサクラがソマリのスカートをそっと握って言った。
「ロームに行ける……?」
「どうしてお嬢ちゃんはロームに行きたいんだい?」
「あのね、困っている人がいるの」
それはあの誘拐されかけたエルフの兄弟の母親のことだった。サクラの話じゃ具合が悪くネルが送る治療薬でもよくならないらしい。ネルが送っているってことは最上級の薬師が調合した薬のはずだ。それでもダメというのは……。
「聞いたの……ロームってところはたくさんすごい薬師さんたちがいるって。だから、そこへ行けばルドたちのお母さんを助けられる薬を作れるじゃないかなって……。ねぇ、ソマリさん。本はいらないよ、だから……その」
サクラは巾着袋を取り出してソマリに手渡した。くろねこ亭とうちの農場で働いたお給料だ。1万ペクス。全てためていたのか……。
「これでね……本当はくろねこ亭のお隣にサクラのお薬屋さんを作りたかったんだ。でも……ルドたちのお母さん助けたい」
サクラが自分が薬屋を立てて貧民街の住民や子供達を助けるのが夢だと語った。昔、自分が毒芋で死にかけたとき怖い思いをしたから。そんな子供達がいつでも頼れる場所を自分の力で作りたかったと。
まぁ、土地なんてそんな安いもんじゃないしそもそもそんなんじゃ経営が立ち行かない。そこまで頭が回る年じゃないのはわかっているが……俺はサクラの心意気に感動している。
「ソマリさん、俺からも頼めないかな。君の知り合いに紹介状か何か……その」
「まずは、私が治せるかどうか判断させて」
微笑みが消えたソマリは険しい顔で俺に言った。
「サクラ、シューと一緒にルドたちを呼んで来てくれないか」
シューは耳を倒して体を目一杯伸ばしてからサクラの横へ飛び降りた。シューは人間の姿に戻るとサクラと手を繋ぐ。
「シュー、ありがとう」
「今日はみるくアイスおごりにゃ」
「はいはい」
サクラたちを見送って、俺はソマリにじっと視線を送る。
「ソマリさん、何の目的があって俺に近づいた?」
「あら、私たち。たまたま出会ったんじゃなくて?」
ソマリはとぼけるように両手を上げておどけてみせた。
「あんたと出会ってからミーナさんの様子がおかしい。俺の仕事にも支障がでるからな」
「お姉ちゃんは私が大っ嫌いなの。だって、私の方が才能があってお姉ちゃんは家で劣等生扱いされてたから。お姉ちゃんのものは全部私がとっちゃうから」
ソマリはぐっと俺に近づいてまるで女狐のような視線を向けた。
「私もね……お姉ちゃんのものが欲しくなっちゃうから」
囁くこいつはとんでもない女かもしれない。俺は重なる唇の感触を俺は拒むことができなかった。
だが、俺はその選択が間違いかもしれないと思ったときのことだった。
——バサバサッ
床に本が落ちる音。俺は驚いてソマリから離れ振り返った。
そこにはソマリと同じ赤髪をおさげにした丸メガネに大きな胸が窮屈そうなローブに収まった女。
ミーナが立っていた。
「ソルトさん……最低です」
「お姉ちゃん!」
「来るんじゃなかった。やっぱり貴女は私の疫病神だった!」
怒って出て行くミーナ。俺はサクラたちの帰りを待たなければならない。だから彼女を追うことはできなかった。
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