第137話 お願いソルト!(3)


 毎日毎日こいつらは……もう勘弁してくれって!


「なかなかいい家じゃないか」


「何の用ですか、ネルさん」


 オレンジ色の髪は綺麗に整えられ、いかにもエルフっぽい麻の服はなんというかとてもよく似合っている。

 彼女はネル・アマツカゼ。ギルド医師部の幹部だ。

 

「用? わかっているくせに何をいっているの」


 にたり。

 ネルは片方の口角だけを上げるようにして微笑んだ。どうせ、仲良しのミーナに頼まれて俺を説得しに来たんだろう。こいつも。


「嫌ですよ」


「私は何もいってないよ。何が……嫌なんだ。自惚れ屋さん」


 俺は思わず顔が真っ赤になる。

 自分が必要とされていると分かりきって最初から断るなんてなんてうぬぼれなんだ。してやられた。


「まぁ、貴方の考える通りさ。ギルドに戻る気はないの?」


 なんだよ!

 恥ずかしがった俺が損したぜ。


「今のところないっすね。元々は冒険者をやめてギルドから離れてのんびり暮らしたいってのが俺の希望なんですし」


 ネルは首を傾げた。

 俺には彼女が何を考えているのかわからない。


「私はここの牧場で取れるミルクと、それからあの子が焼く田舎パンが大好きだ。私が極東へ流れ着く前、故郷で遠い昔に食べたような……そんな味がしてな」


 ネルは悲しく笑うと応接室から外の景色を眺める。


「ここに居たいという気持ちはわかる。ただ、この景色を守るためには誰かが頑張らないといけない。それはギルドであり、そして我々個人でもある」


 ネルはそっと一枚の書類を取り出した。


「薬師と医師の溝を埋め……ギルドをより良くしようとした亡き先人たちだ。医師部のとある人間が起こした毒水騒ぎで亡くなった。これを解決し、犯人をあぶりだしたのは貴方だ。貴方が全てを暴いてくれたから……今私は亡くなった前幹部の意志を継ぐことができている。医師と薬師の連携が強くなり……救えなかった人を救うことができるようになった。プライドや確執なんてバカらしいものだって貴方が皆に示したから」


 書類にはたくさんの人の名前が刻まれている。


「鑑定士は力でも戦士に勝てず、傷ついたものを癒すことも、魔術で仲間を守ることもできない。でも、貴方に救われた人は五万といる。それを忘れないで欲しい。そう言いに来たの」


 ネルはドヤ顔をしてからそっと目を閉じた。


「エルフと違って貴方達人間の一生は短い。私は貴方の選択を尊重する。でも……貴方がギルドへ戻って一緒に国を守れる日をいつまでも待っている」


 ネルはそう言うと颯爽と部屋を出て行った。森の香りがふわりと俺の鼻をかすめる。ネルが帰って来たゾーイに色々教え、可愛がっている。牧場のミルクを毎日買ってるのだってきっとゾーイとの接点を増やしたいからかもしれない。


「なぁ、シュー。俺、どうすべきかな」


「流通部に戻ってうまい魚がもっと流通するようにするにゃ」


「シュー、いいのか」


 シューはここでのんびり昼寝をしたり温泉に浸かったりして楽しむことを望んでいた。ギルドへ戻ればきっとまたやっかい事に巻き込まれるだろうし、相棒であるシューものんびりとは行かなくなるかもしれない。


「毎日毎日、ソルトはのんびりしすぎて寝ている時うなされてるにゃ。ギルドでくたくたになるまで働けば良く寝れるにゃ」


「それに……」


 シューは少しだけ間を置いてからいった。


「ソルトは小さい頃からの夢を叶えられる段階に来ているにゃ。初めて会った日教えてくれたにゃ」


——子供達が憧れるヒーローみたいな冒険者になりたい


「もう冒険者は引退したけどな」


「関係ないにゃ、例の二人組もとっちめてにゃいし……シューとしてはもう休暇は十分にゃ」


「じゃ、ほどほどに再開するか」


「にゃにゃっ。まずはお魚流通からはじめるにゃ」


***


 流通部の執務室、ドアの奥ではエリーとミーナの声が聞こえる。15時のお茶タイムか。きっとくろねこ亭のデリバリーを使っているに違いない。


「どうも」


 俺が扉を開けるとふたりは目をまん丸にして驚いている。

 俺のデスクはエリーが掃除をしてくれていたようでとても綺麗で。本棚もホコリひとつない。シューが使うクッションは日なたにセッティングされ、湯のみはしっかり逆向きに置いてある。


「週2、絶対に定時上がり。面倒事は引き受けません」


「ソルトさん」


 ミーナは立ち上がってうるうると涙ぐんだ。そんな大げさな。


「くろねこ亭や農場を優先します。それでもいいですか」


「もちろん!」


 シューは用意されたクッションではなくミーナの膝の上にひょいと乗っかった。ミーナは優しくシューの背中を撫で、エリーはお茶を入れるため給湯室の方へと歩いていった。


「根負けですよ」


「何がかしら?」


「ミーナさんに、エスターさん。それにネルさんまで」


 ミーナはおとぼけ顔だ。


「ミーナさんが言わせたんでしょう。俺に戻ってくるようにって」


「まさか、エスターさんなんてあれから会えてもいないし……ネルだって忙しくてランチもできていないのよ」


 それが嘘か本当かはわからなかった。

 でも、嘘だとしても本当だとしても俺は素直に彼女達の気持ちを受け取ろうと思う。


「さ、ミーナさん書類半分手伝いますよ」


「ありがとう」


 こうして俺の休暇は終わり、少しだけ条件が良くなってギルド流通部特別顧問として復職したのだ。

 

 

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