3−2

 ダイニングに入ると、私は、部屋の中心にある二人用のダイニングテーブルのいつも座る椅子を引き、座った。

 夫が、ポットのお湯を確認したあと、お茶の準備をしてくれている。

 先ほどまで、熱があった人にお茶を淹れさせるなんて、と思ったが、今は、甘えようと思った。きっと、私の、今、震えている手でお茶を淹れたら、反って、心配させてしまう。そう思い、震える両手を膝の上で、ぎゅっと結んだ。

 温かいお茶を飲んで、自分を、落ち着かせなくては。

「お待たせしました。どうぞ」

 そう微笑む彼に、私は、ほっとしたいが、出来なかった。彼の、感情が、わからない。

「ありがとうございます……」

 私の普段使いの湯のみで、渡され、ここは、私が居ても良い場所なのだ、と再認識する。同時に、この居場所に、居られなくなるかもしれない恐怖が、こみ上げて、一気に全身が冷たくなるのを、感じた。再び、震えだした手に、ぎゅっと力を込め、なんとか震えを止める。

 お互いに、ダイニングテーブルを挟んで、向き合い、椅子に座って、お茶を飲んだ。

 落ち着いてきたので、そろそろ、話そう。と、私が、息を吸うのは、先ほどから、何度目だろう。やはり躊躇ってしまう。

「環さんの大切な人って、颯君だったんですね」

 そんな私を知ってか知らずか、夫から、さらっと、話題を振られた。私は、手元の湯飲みから、夫へと、視線が移る。夫は、優しい表情で私を見ている。

「どうして、そんな顔で、いられるんですか」と言いたいのに、私は、口が動かない。

「約束……何か、事情があったみたいですね、颯君のこと、追わなくて良かったのですか?」

 そう軽い感じで、明るく聞く夫は、私が、話したいことが、わかっているかのように、質問してきた。もしかしたら、私が、話しやすいように、夫は、先程から、明るく振る舞ってくれているのかもしれない。

 そう思うと、少し落ち着いてきた私は、ゆっくり口を開いた。

「颯とは、お互いが高校生の時、約束を取り交わしました。それは、半ば無理矢理に、私が、お願いして、取り付けた約束です……」

 温かい湯飲みを両手で握りしめ、その自分の手元を、見つめながら私は、続ける。

「お互いが、お互いの、唯一無二の存在になる。というもので、お互いを超える特別な存在を作ることも禁止し、恋愛も、キスも、性交渉も、誰ともしない。もちろん、互いともしない。と……。私が言い出し、私も颯も、それを誓いました。それが、二人の約束です」

 なんて、勝手で、我が儘で、最低な約束だろう。私が言い出し、内容も、私が決めたものだった。弟は、嫌な顔ひとつせず、今まで、守ってくれていた。

 夫は、黙って耳を傾けてくれている。

「私は、自分の寂しさや、孤独を、埋めるために、弟を利用していたのではないか、と問われても、違う、と言い張る自信が、ないんです……」

 颯を追う資格は、私には、ない。

 それに颯も、私に追われることを望んでいない気がした。

 もし、颯を追っていたら、颯が、恐怖を感じながらも、約束を終わりにしてくれた意味が、きっとなくなる。そんな気がした。

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