第3章 泥だらけのSOS
私たちは、また独りになるのだろうか。
私は、ただ呆然とするしかなかった。
弟が、二人の約束の終わりを、告げた。弟は、自分だけ悪者になるつもりだ。しかし、そうはさせない。その為に、夫へ、きちんと説明しなければならない。
弟から流れてきた感情は、大きな感謝と謝罪。恐怖。それらに加え、少し希望のようなものもあった。
謝罪も感謝も、するのは私の方だ。
私は、ずっと、弟を、振り回してきたのだから。弟に、助けられ、守られていた。そんな弟の光に、私は、助けられていた。
「あの、環さん」
背中に居る夫から、控えめな声を掛けられた私は、気を取り直して、笑顔を作り、問いかけた。
「俊太さん、熱は、大丈夫ですか」
夫の熱が、大丈夫なら、今、話そう。私は、そう思った。
「あ、はい。おかゆを食べて、少し寝たら、重かった身体のだるさも、取れていて……。環さんのおかゆパワーのお陰ですねっ」
いつも通りの夫に、安堵すると同時に、怖くなる。先ほどの、弟とのやりとりの後で、何故、彼は、今、ヘラヘラと出来るのだろう。わからない。そこで、彼からの感情が、閉ざされていることに、私は、気づく。結婚してから、二人きりのときは、途切れることのなかった彼からのイメージ。僅かでも、確かに、ずっと流れてきていたのに。
シャットダウンしているのは、彼なのか、それとも私のほう?
私は、夫と二人で居るときは、かしこまった口調で、夫との距離を保つように意識していた。それは、契約を破らないためだったが、何故、そんなことをする必要があるのか、自分でも、考えないようにしていた。
先ほど、弟に、口づけをされそうになり、私は、気づいた。弟と口づけを交わしたくない気持ちより、夫に見られたくないという気持ちのほうが強かった。
私、やはり、夫が、好きなんだ。
弟は、気づいていた。私の気持ちに。それでいて、弟は、気づかないふりをして、私が結婚することも、約束を続けることも、許してくれて、私からの相談や愚痴も、嫌な顔一つせず、聞いてくれていた。それが、私だけじゃなく、仮に、弟自身のためだったとしても、私は、間違いなく、安心を貰っていた。どれだけ感謝しても、足りない。
「俊太さんのことが好き」という自分の気持ちを、ずっと見て見ぬふりをしてきたのは、弟との約束のためではない。
私自身が、怖かったからだ。
私が、自分の気持ちを認めることで、夫や弟との関係が変わることも、夫から拒絶されることも、夫や弟を困らせることも。それらにより、自分が傷つくのも。
正直に、言うんだ。
そして、向き合うんだ。
怖くないわけが、なかった。でも、行かなくては。今まで逃げて、逃げすぎて、遠ざけてきた場所。そこに、夫は、居る。
その場所へ必死に、少しでも近づくため。
「あ、あの、私……」
「お茶を、淹れますので、一息ついてから、お話しましょう」
笑顔の夫に促されるまま、私は、夫に続いて、ダイニングへ向かった。
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