第2章 告白とSOS

 喫茶店でのお菓子作りと、片付け、調理場の清掃を終え、包装した焼き菓子一つ一つと調理場の状態を、オーナーに確認してもらった。オーナーから「今日もお疲れさん」と笑顔をもらって、俺は、頭を下げ、帰路についた。

 姉が、スマホを、喫茶店のカウンターに忘れていることに、気がついたのは、片付けを済ませたあとだった。姉のマンションには、固定電話がなく、姉と連絡を取るのは、難しい。俊兄の連絡先は知っているが、熱で寝ているだろうし、連絡が取れたにしても、俺が、スマホを持って行くのは変わらない。スマホがないとなると、不安だろうし、困るだろう。夜遅いのが気になったが、今から、姉夫婦のマンションへ、俺は、急いで向かうことにした。

 夜の公園を出て、駅前の駐車場に駐めていた車に、乗り込んだ俺は、エンジンをかけた。


 *


 チャイムを鳴らすと、インターホンから、「はい?」と姉の声が聞こえ、「俺、颯です」と告げると、バタバタと中から慌ただしい音が近づいてきて、ガチャっという鍵を開ける音とほぼ同時に、ドアが開いた。

「こんな夜に、どうしたのっ?」

「姉さん、スマホ。店に、忘れてた」

 そう言って、俺は胸ポケットから、姉のスマホを取り出し、差し出す。

「えっあれっ? あっない!」

 スカートのポケットに手を突っ込みそう言った姉は、どうやらスマホを忘れたことに気づいていなかったようだ。姉の格好は喫茶店に居たときのままの仕事着で、姉の目元が腫れていることが気になった俺は、問いかける。

「泣いてたの? 何かあった?」

「あっううん! 大したことじゃなくて」

「俊兄と、何か、あった?」

「あーうん。あの、えっと。私が調子に乗って、契約を、少し違反してしまっただけ……」

 そう言って、えへへ、と弱々しく笑っている姉を見て、俺は、胸が締め付けられる。

 姉夫婦の、結婚する際に交わした契約の話は、結婚前、姉が、俊兄には内緒で、俺に説明してくれて、俺も、知っている。姉夫婦は、いつまで、この距離のまま、いくのだろう。俺との約束がなければ、姉夫婦は、もっと仲良くできるのではないか。俺は、いつまで、自分のために、姉を縛り付けるのだろう。本当に、このままでよいのだろうか。

「環さん? チャイムが聞こえましたが、こんな時間に、誰でしょう……?」

「俊太さん。私がスマホを忘れていたみたいで、颯が、届けに来てくれて……」

「俊兄。体調、大丈夫?」

「颯君。お久しぶりです。身体は大丈夫ですよ」

 にこにこと笑顔で答えてくれた俊兄。その様子に姉もほっとしているようだった。

 姉は、間違いなく、俊兄に惹かれている。

 俊兄がこちらに近づいてくるのを確認し、俺は意を決した。

 俺に、出来ることは――。俺は目の前の姉の腕を掴んだ。

「えっ何――」

 という姉の声が、聞こえたのと同時に、姉を抱き寄せ、その唇を俺は、奪おうとした。

「環さん!」

 俊兄が、姉を呼ぶ声が、響く。姉と俺の唇が触れ合う前に、姉と俺の間に俊兄の手の平が入り、口づけは阻まれた。

 俊兄が、姉に惹かれていることにも、俺は、ずっと前から気づいていた。

「颯君、酔っているのかな? おふざけにしては、質悪いですよ」

 怒っている俊兄は珍しい。それだけ、姉のことが大切なんだろう。俺は、話すことにした。

「酔っていないし、ふざけたわけでもない。俊兄、姉さんの心に決めた人っていうのは――」

「颯っ? やめて!」

 俺が何を話そうとしているのかわかった、姉が止めに入ってくる。

「どうして! 姉さん! もう、認めよう。お互い、自分の心に、嘘をつくのは、終わりにしよう!」

 きっと、姉は、俺との関係を、人に知られたらいけない、と、心のどこかで恥ずかしいことだと、思っているんだ。だから、俊兄に知られることも、怖いのだろう。血の繋がった実の弟が、心に決めた相手だ、ということを。けれど、何も、恥じる関係ではない。俺と姉のこの関係を打ち明けないと、姉は――いいや、俺も、前に進めない。それに、俊兄なら、受け止めてくれるんじゃないか。そう確信した俺は、言った。

「俊兄、姉さんを縛っていたのは、俺だ。俺の我が儘に、姉さんは、長い間、付き合ってくれてたんだ……」

 姉が一歩、踏み出せるように、俺に出来ることをしよう。

「違う! 颯の我が儘じゃ、無い! 私が――」

 姉が叫んでいるのを、遮って、俺は、吐き捨てた。

「けれど、もう無理なんだ。俺には、姉さんを幸せになんて、できない」

 しかし、俊兄になら、出来る。俊兄と姉の二人なら、この暗闇から抜け出せるはずだ。

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