1−8

 お店を出て、眼鏡屋へ向かい、二人で公園を歩く。

 私は、ふと、思いついたことを、質問した。

「春野さんは、どうして、今の会社に、就職されたのですか?」

 横を歩く春野さんは、顔だけ私へ向けて答えてくれた。

「学生時代、僕も、周りと足並みを揃えて、就職活動に励みました。しかし、面接でも、殆ど話さないうえに、何の取り柄もない僕を、採用してくれる会社は、どこにも、ありませんでした。世の中、甘くないですよね」

 そう言って、彼は、空を仰ぐ。私も、視線を彼から外す。噴水の近くに立つ、丸い時計が目に入った。午後四時半を指している。公園には、さきほど喫茶店から見えた、たくさんの人たちが、各々楽しんで、賑わっている。

「大学卒業後、就職浪人となった僕は、そのまま、家に閉じこもってしまって。それを見兼ねた父が、父の幼馴染である、この会社の社長に、相談したのが、きっかけで。うちに来ないか、と社長が言って下さって、今、こうして働けています」

「社長が!」

 そんな経緯があったことを、知らなかった私は、驚いたが、胸にストンと落ちた。

 この会社の雰囲気の良さは、社長の、人柄の良さに依るところが大きいことを、私も、感じているからだ。

「社長には、すごく感謝しています」

 そう笑う春野さんに、「ベンチにでも、座っていきませんか」と言いたくなっている自分に気づき、私は、焦った。その欲望を抑えこみ、せめて、私は、ゆっくりと歩き、二人の時間を少しでも長くしようとしていた。


 *


 眼鏡屋で無事に春野さんの眼鏡を受け取り、その後、駅まで歩き、お別れした。


「お帰り。どうだった? ……え、また会う? ふうん。なんで?」

 家に帰って自室に戻ると、弟がノックして入って来た。

 今日、眼鏡の弁償のために、同期の社員と外出することは、弟にも話してあった。相手が男性ということも。嘘をつくのも、隠すのもおかしいし、私としても、弟に、隠し事をするのは、嫌だった。

 なんで? と聞かれる事を想定せず、ただ、事実の一部を報告した私は、少し焦ったが、隠すつもりは、最初からなかったので、求婚されたことを、話した。

「結婚っ!」

「ええ。結婚しませんかって言われて……」

「なのに、なんでまた会うことに? どちらにせよ断るのなら早い方が……」

 何も答えられず、目線を下に向ける私。

「迷って、るの?」

 そう呟く弟の声は、力なく震えていて、弟の悲しんでいる感情が、私に、止め処なく流れ込んでくる。目の前で絶句する弟に、私は、すぐに、きちんと詳細を説明しなければ、と思った。

「違うの! 結婚と言っても、形だけ。相手の人は、私に生涯一人だけ、心に決めている人が居ることを、伝えたし、向こうも、私に指一本触れないって。その人は、自分に何も求めずに、ただ一緒に暮らしてくれる人と、結婚したいんですって。お互いカモフラージュの為に、結婚するの」

「……それで、良いの?」

「え?」

 ぼそっと言った弟の言葉が、うまく聞き取れず私は、聞き返した。私のことを案じてくれているのが弟から、伝わってきた。

「いや、姉さんが、それで良いなら良いんだ。よく考えて好きにしたら良いよ」

 謝罪にも似た感情が、弟から読み取れた。目の前で笑顔を作ってくれる、弟のその感情を、今は見て見ぬふりをして、甘えることにした。私は、卑怯者だ。

「うん……。ありがとう、はやて

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