1−4

「あの、本当に良かったんですか? 結局、私、眼鏡代、弁償できてなくて、申し訳ないです……」

 日曜日。午後二時に待ち合わせをして、春野さんの眼鏡選びに付き合ったものの、いろいろな眼鏡を試着する春野さんに、似合う、似合わない等、私は感想を言っただけで、肝心の代金は、春野さんが支払うことを譲らなかった。

「とんでもない。貴重なお休みの日に、僕の眼鏡選びに付き合って下さって、僕は、とても感謝しています」

 そう言いながら、こちらに向けられた春野さんの笑顔。それを見つめた私は、これも桜笑顔なのだろうか、と考えると、少し寂しさを感じる自分がいることに、気づいた。桜笑顔じゃない彼の本当の笑顔を、私は、見たいのかもしれない。


 伊達と言っても、度なしのレンズを入れるため、完成までに三〇分は要するらしく、私たちは、とりあえず、店を出た。

 二人で並んで歩く。このコースは駅に続く道だ。

「今日は、本当にありがとうございました」

 歩きながら、春野さんは、改めて言った。

 やっぱり。もうお別れにしようとしている。彼は、眼鏡を待つ三〇分を、私と一緒に過ごすつもりは、ないようだ。

「明日からの鎧は、今までよりパワーアップしそうで、楽しみです」

 ほら。鎧とか、そういうことを、彼は、何の躊躇いもなく、さらっと言う。そして、表情は、やはり桜笑顔なのだ。

 私には、絶対、言えない。馬鹿正直に、自分の弱点をさらけ出すことも、弱さを見せることも、危険だから。しかし、どうして。彼は言えるのだろうか。彼からの感情は今も伝わってこない。ただ、引っかかることがある。彼の桜笑顔や、心の鎧、発言。それらが、どうしてか、私は気になっていた。昔、弟が私の心をノックしてくれたときのことを思い出し、私は、グーにした手に力を込め、周りを見渡した。どこかに、喫茶店でもあれば!

 そんな、様子のおかしい私に気づいたのか、春野さんは心配そうに、声をかけてくれた。

「佐久間さん、どうかされましたか?」

「あの、えっと……」

 どうしよう。怖い。誰とのコミュニケーションも、極力、避けている彼のことだ。桜の笑顔で断られるのは、私も、わかっている。しかし、私が、言わなくては、二人で居るこの時間は、終わってしまうのではないか。

「あのっよかったら、お茶でもっ、していきませんか!」

 私は、足を止め、思い切って、声を振り絞った。

 目の前の春野さんも足を止め、私を見つめている。そして、笑顔になった。ああ、断られる。私は、そう覚悟した。

「いいですね。是非!」

 私の直感が、外れた。周りからの感情が伝わってくる私は、直感が当たることが、多々ある。しかし、彼からは感情が来ないから、わからなかった。

 予想外の返事に、私は驚きと喜びを感じていた。

「街中ですし、近場に喫茶店、ありそうですよね。普段あまり、ブラブラしないもので、僕、店の情報に、疎いんですが」

「私も、あまり街に出ないので……。あ、そういえば、駅前の公園を抜けたところに、個人経営の喫茶店があるって、弟に聞いたことがあります!」

「ああ! あの緑が多くて広い公園ですね? 行ってみましょう」


 *


 公園を抜けて、ログハウス風の喫茶店に着いた。

 早速、中へ入ると、入り口の会計横の机と棚に、いろいろな雑貨や、服飾小物が、売られていた。個人作家さんの作品を取り扱っているようだ。おしゃれだったり、可愛かったりする作品に、私は、席につくことも忘れ、思わず、見入ってしまう。

「素敵ですね」

 横に居た春野さんは、中腰になって、机の上のキーホルダーやアクセサリーを見ながらそう言った。

 その空気に飲まれていた私は、弟以外に言った事のなかった夢、いつか、自分のイラストでオリジナル作品を販売したいことを、ポロリと言ってしまう。恥ずかしくなって、私は発言を取り消そうと、顔を両手で覆って、言う。「ち、違うんです! 私の技量では、まだまだで、夢のまた夢で……」ぼそぼそと言い訳をする私に、気づいていないのか、春野さんの満面の笑みが、自分の指の間から見えた。そして、春野さんはその笑顔のまま、私に向けて言う。

「オリジナルの作品! いいですね! 佐久間さんの作品、きっと素敵ですよ。あなたのデザインもイラストも評判良いし、色使いも絶妙で!」

 作品のことを褒められて、私は素直に嬉しかった。まさか、こんな反応を、もらえるとは思っていなかったので、私は、戸惑いつつもお礼を告げた。

「ありがとうございます」

「このカフェ! ここに、佐久間さんも置かせてもらうのは、どうでしょう?」

「え、私が、ですか?」

「はい」

 考えてみると、やりたい気持ちを押し殺して、具体的に何もしてこなかった。漠然と、絵を、脳内イメージしたり、ラフや落書きを、描いたことはあっても、学生時代の課題や仕事以外で本格的にオリジナルと呼べる作品を、完成させた事がない。思い切って、やってみようか。という気持ちが、一瞬、沸く。ただ、すぐに、母の顔が浮かび、先ほどの少し見えかけた光を、私の心から、ふっと消し去った。私の母は、良く思わないだろう。その事だけが、気に掛かった。

 庭に咲いた花のデッサンなど、リアルな絵を描くことには、母から何か言われることはなかった。ただ、昔から、私がイラストを描いていると、母は、良い顔をしなかった。

 大分前のことだが、それが心に引っ掛っている。今は、あの頃と違うし、美術系の大学に進んだ際も、今のデザインの職に就くときも、母から特に反対されなかった。そのときは本当に嬉しく、ほっとしたのを覚えている。ただ、昔の傷をいつまでも引きずってしまって、先ほどのように、自ら、私は、光を消してしまう。

 しかし、私も社会人になったのだ。そろそろ自分の好きなことも、してみてよいのではないか?

 そう思った私は、「考えてみます」と、はっきりしない返事をした。

「駄目です。絶対に、して下さい」

 春野さんは冗談なのか、本気なのかわからないが、表情は笑顔なのに、厳しい口調で、言ってくる。私は戸惑い、「ええっ?」としか返せない。

「そして、作品が完成したら、僕に見せて下さい」

「えええっ?」

「約束です」

「そ、そんな一方的な……」

 嘆く私を見て、クスクスと笑い出す春野さん。つられて、私も笑みを零す。母のことを想像して、暗かった気持ちが、いつの間にか吹き飛んでいた。

「そうですね、確かに、一方的だ。佐久間さんも、僕に、お願い事があったら、交換条件としましょう」

 お願い事……。今は特にないけれど。そう思いながら、私は言った。

「うーん。考えておきます」


 その後、窓際の対面の席に着いた私たちは、飲み物を注文した。

 お冷やの入った、透明の冷たいコップを、両手で触りながら、手元を見ていた私は、目の前の春野さんを、ちらっと見る。

 彼は、窓の外を眺めていた。私も、外へ視線を移した。窓からは公園の様子が、よく見える。ボールを蹴って遊ぶ子供たちや、犬の散歩をする人、ジョギングしている人、今日は天気も良く、緑も青々と茂っている。

「気持ちよさそう」

「そうですね」

 そう同調して、こちらに笑顔を向けてくれる春野さん。

「実は、先日から、僕は、佐久間さんと、話がしたかったんです。佐久間さんになら、伝わる気がして……」

「え?」と、私は思いも寄らない言葉に、耳を疑うのと同時に、話がしたかった、というまっすぐな彼の発言が、心に響き、嬉しく思っている自分に気づく。ただ、彼が何についての話がしたいのか、検討もつかなった。

「なので、お茶に誘って下さったとき、とても嬉しかったです」

 そう聞いて、私は、ほっとし、勇気を出して、誘って良かったと思った。

「でも、話してよいのか、話すことで、僕の心は少し軽くなるかもしれない。けれど、その分、佐久間さんに重い荷物を持たせてしまうことになるのでは、と危惧していて」

 そこまで話していたところで、飲み物が運ばれてきた。春野さんには、ホットコーヒー。私には、アイスティー。

 途切れた話を元に戻そうと、私は、告げた。「私のことなら、気にせずに、話してください」

 私としても、彼の話が聞けるのは嬉しい。彼に、興味が出ていたのは事実だから。

「佐久間さん……ありがとうございます」

 目の前の春野さんは、コーヒーを一口飲んだかと思うと、真剣な表情になっていた。

「影響、ってわかりますか」

 まっすぐに私を見て、そう問う彼の顔に、いつもの笑顔は、なかった。

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