epilogue

 本当に今年の冬は寒い。不織布のマスクを通して冷気が染み入ってくる。

 冷えきった頬で風を切るようにきびきびと歩き、目的を持って並ぶ人たちの列の最後尾につく。

 15泊16日という長い隔離期間を経てようやく解放された恋人を、成田まで迎えに行くために。


 エンジンがかかり、バスはごとんとひと揺れしてから走りだす。

 シートベルトを装着し、車内アナウンスを聞きながらスマートフォンを膝の上に取りだす。

『お土産はニョニャ食器とニョニャクバヤとビーズサンダルとベリーズのチョコレートです!』

 説明の添えられた写真をひとつひとつ拡大して確認し、マスクの下でにやけてしまう。いったいもう何度そうしたことだろう。

『雪下さんのサイン忘れないように! 絶対!』

 雨月から念押しのLINEが届く。これもいったい何度めだろう。はいはい、と小さく笑うと、二重にしたマスクの中の湿度が少し上がった。


 世界的パンデミックが起ころうと、職を失おうと、誰かにぞんざいに扱われようと、それでもやっぱりわたしはまた、恋に落ちてしまった。

 なんてしぶといんだろう。なんて貪欲なんだろう。我ながら笑ってしまう。

 わからない。この恋だって、醜悪な末路をたどるのかもしれない。対面した瞬間に失望されるかもしれない。彼がたくさんの嘘をつき、隠しごとをしているかもしれない。倦怠がふたりを飲みこむ日が来るかもしれない。

 それでも信じたいと、全身の細胞が叫んでいる。その声を無視できない。少なくとも今は。


 車窓の景色はゆっくりと流れる。座席はちょうど後輪の真上のようで、モーターの駆動がダイレクトに体に伝わってくる。

『不要不急の恋人』の編集画面を開き、「連載中」のタブを「完結」にスライドさせて完了ボタンを押すと、スマートフォンをハンドバッグの闇に落としこんだ。わたしの物語はどのくらいのスピードで世界に届くのだろうと考えながら。

 バスが高速に乗り、景色の流れが速くなる。誰かが飲んでいるコーヒーの香りが漂ってくる。心地よい振動に身を任せながら両目を伏せて、ひとときの幸福な夢を見る。


【完】

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